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波立ち始めた砂浜に二人立ち、物語が始まった

 小説の神様か能登の御陣乗太鼓の鬼か、はたまた先祖から受け継いで来たDNAか。それとも、それらの全てに導かれるかのようにして、私は一つの扉の前に立った。その扉の向こうにあるのは小説の主人公の人物設定である。この扉の前に立つためにニ年余りの歳月を費やした。思い返せば、この瞬間を暗示するかの様に、それは長谷川等伯を書き始めた時から始まっていた。
 一番の予兆は茶道である。そこで金沢の大樋焼きを知った。次に浅田次郎と出会った。彼の作品である「蒼穹の昴」に興味を持った。この作品に影響を受けてネットで中国のテレビドラマを観るようになり、ハマりにハマってしまった。
 そんなおり独り身の寂しさと将来の不安にかられ、マッチング・アプリに手を出した。そこで六人の女性と毎週一人づつデートを重ねた。全く気持ちが動かなかった。中には自分のお店に連れて行くための、新手の呼び込みの様な女性もいた。
 5回目のデートを終えたところで私は会を退会した。しかし、あと一人、消化試合が残っていた。その女性とは食事をして、すぐに別れて帰るつもりだったが意図せず以外にも、異常な盛り上がりを見せた。盛り上がった一番の原因は、二人で食事をしたお店のインテリアが茶道のお茶碗の大樋焼きの家元が手がけたものだったことである。
 私がインテリアについて店のスタッフに問いかけた。そこで大樋焼きに付いて私とスッタッフが会話している姿を見て、上海出身の彼女が異常に私に関心を持ってくれた。
 マッチング・アプリで出会った三人の日本人女性と三人の中国人女性。最後に出会ったのは上海出身の中国人女性。
 国際情勢における国家としての中国も中国人個人の人間性についても、日本国内の評価は最悪の状態だ。しかし、私なりの彼女に対する評価は第一印象からして、この上なく良好だった。
 これまでは中国の清朝や唐や三国志など古い歴史を舞台にした中国のテレビドラマにハマっていた私。それが彼女の影響を受け、より現代に近い時代を舞台にしたテレビドラマに興味が移って来た。かといって全くの現代物ではない。いわゆる文化大革命前夜の中国を舞台にしたテレビドラマにハマった。中でも京劇の役者を主人公に描いたドラマに興味を惹かれた。その京劇の役者の人物設定が、私の義父の記憶と重なった。
 私の義父は太平洋戦争中、東京芸大の前身の一つである東京美術学校で日本画を学んでいた。そして学徒出陣でビルマ戦線に出兵させられ、命からがら帰国した。
 戦後は漆器で有名な能登の輪島で蒔絵師をしていた。しかし、絵への夢を捨てきれず単身上京し、日本画と能登の家族を捨てて油絵に転向した。夢追い人の彼はご多分に漏れず、周囲の人間を翻弄し続けた。
 今は故人となった彼の墓には、彼が詠んだ一句が刻まれている。
「千里の浜 真砂つかみし 夢の如し」
 私の実父は彼の墓の前に立った時、手元にあった包装紙の白い面を墓石に押し付け、そばの雑草をむしりとって包装紙の上から力任せに石面に擦り付けた。見事に墓石に刻まれた文字が包装紙に転写されていた。それからしばらくして田舎の地元紙で義父の俳句が紹介された。
 私は偶然にも義父が、その句を詠んだ時の情景を覚えている。場所は能登半島の千里浜である。さらにその義父の姿に私が幼い頃に初めて千里浜に家族と行った時の記憶が重なって、脳裏に蘇った。
 これらの事象の全てが集まって化学反応を起こした。
 小説「俵屋宗達」の冒頭の情景が頭の中で像を結び私の全身を包み込み、そしてやがて私がその場に居合わせたかの様に私の感覚をタイムスリップさせた。私と幼い俵屋宗達の伊悦と広い砂浜に立ち尽くし、夕日を背景に波立ち始めた日本海を二人並んで見つめている。
 物語の始まりである……。

創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。