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日々

※この記事は投げ銭制です。全文読めます。

今、二十分の自己導尿と米とぎをすませ、この雑文を書きはじめている。もちろん米をとぐ前に手はしっかり洗った。たったそれだけなのに、ぐったりとまではいかないが、一息つきたくなる軟弱さにいつもながらため息が出る。

わたしの代わりに仕事、行ってくれない?

今朝仕事に出かけたパートナーもそんなことをぼやきつつ、やはりため息まじりで出かけた、と思い出す。今までならほとんど口にすることのなかった類いのぼやきだった。

諸事情により一時期に別に暮らしていたパートナーが先週末、家に帰ってきた。

元々荷物持ちの彼女は、一年くらい旅をしてきたのかと思うくらいの着替えやら日用品やらを抱えてきた。その荷はまだ居間の隣室に片付けきらないまま置かれている。自分が片付けてもいいのだが下手に手を出して、あれどこにしまったの、などとなってもややこしいので、そのままにしてある。

ひとり暮らしの間、私は病院とちょっとした買い物以外は出かけず、家にいた。本当は本屋や映画、美術館に行きたい気もあったが、今はあまりお金を使いたくなかった。

朝はロールパンに野菜ジュースという小動物みたいな朝飯をもそもそ食べ、大量の薬を飲み下す。午前中は基本的に体調が悪いので横になり、本やテレビをみる。

昼になるとなんとか起き上がり、パックご飯半分と、即席味噌汁やスープ、あとは余り物のおかずを食べる。食欲はないが、ただ食後の薬を飲むために食べていた。午後からは体調がよければこまごました買い物に行ったり、洗濯や簡単な掃除したり、コラムを書かせてもらったりしたが、だめならまた午前と変わらない感じで過ごした。

夕方になると、実家に出かけ、夕飯をごちそうになった。事前に食いに来い、といわれていた。久しぶりに食べる母の飯はやはりありがたかった。そのあと帰るとまた薬を飲み、シャワーを浴び、ぼさっとテレビを眺めて寝る。あまりアルコールは飲まなかった。最近は飲むと次の日、体調が悪くなるから。

そんな暮らしを、約半月。

今までふたりでなんとかまわしていた暮らしががらりと変わり、それがまた急に元に戻った環境の変化からか、ここにきてふたりして妙な疲れが出てきた。

パートナーは今朝、ほんのわずかだが朝寝坊した。先に書いたようなぼやきも昨日からもらしている。はた目からもくたびれている感じだ。

私も昨日は午前はずっと本を読み、午後は読まずに放っていた郵便物をしかたなく開いた。月々の携帯料金を安くしたくてドコモショップに相談したら、ネット環境を変えましょうとなったのだが、そうしたらもうややこしいのを通り越して暗号なんじゃないか、というほどの説明書きがきたのだ。

こういう契約書みたいのは苦手も苦手なので投げ出したくなったが、よけいな金のかかるオプションを知らぬ間につけられていてもいやなので、眉間がねじれるような目付きで読んだ。とりあえずは大丈夫か、と思ったとこで、またくたびれてばったりとなった。寝そべってなにげなくスマートフォンを開いたら、カレンダー予定に今週金、土とまた通院なのを思い出し、部屋中の酸素がなくなるみたいなため息が出た。なにをしても疲れが出てきて、もう笑えてきてしまう。そうしているともう夕方。パートナーが帰ってくるので、よっこらしょと夕飯らしきものの支度をはじめる。

改めて、日々の暮らしを営むというのは難いことだな、と今、実感されている。

ましてや私たちは「普通」とは少し違う。自分で自分たちを低くするような書き方はしたくないが、やはりこれが私たちの現実なのだなと、心底思わされているのが本心だ。

それでも日々は、時間は、確実に私たちの前にやってきて、過ぎていくのだからしかたない。今、できることをひとつひとつこなすしかしかたない。そうして小さな営みを重ねて、生きていくしかしかたない。

玄関のチャイムが鳴った。郵便物だろうか。またよっこらしょと身を起こし、玄関に向かった。自動車のディーラーだった。これも相談していたエンジンスターターの話だった。帰り際、来年のカレンダーを置いていった。こうして日々はまたくるのだな、と、えせ哲学のようなことを思いつつ、まるまったカレンダーを棚に置いた。



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