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自己への技術におけるアイロニーとユーモア

* 自己反省の欲望

一昔前に自分探しの旅というのが流行ったように、人は基本的に「本当の自分」というのをを知りたいという欲望を持っています。そしてこの「本当の自分」をめぐる欲望は「(本当の自分は)こんなものじゃない」とか「(本当の自分は)こんなものなのか」とか「(本当の自分は)こんなものであってたまるか」という「自己反省の欲望」として表出します。

もちろん、いくら探し回ったところで「本当の自分」などというものは実体として存在しないわけですが、我々はこのありもしない真理を延々と探し回ろうとします。いやむしろ、ありもしない真理だからこそ延々と探し回っているといった方が正しいのかもしれません。

では、このような終わりなき「自己反省の欲望」は人間の普遍的な欲望なのでしょうか。この点、人間の歴史における「自己反省の欲望=欲望の解釈学」の系譜を探求した思想家がミシェル・フーコーです。

* 人間学的思考から権力論へ

1950年代にフーコーはそのキャリアを心理学者としてスタートさせました。当時、フーコーが発表したいくつかのテクストで主題とした「人間学的思考(喪失したものの回収)」は概ね当時のフランスを席巻してた実存主義や人間主義的マルクス主義へと送り返すことができます。

ところが1960年代に入るとフーコーはかつて自らが依拠していた「人間学的思考」の起源を問い直すことになります。フーコーの実質的なデビュー作と見做される「狂気の歴史(1961)」では近代的意味での「狂気」と「人間学的思考」との間にある共犯関係が明るみに出され、かつてのフーコーが依拠していた「人間学的思考」が、歴史的な文脈の中で検討に付すべき一つの問題として扱われることになります。そして「臨床医学の誕生(1963)」においては「人間学的思考」が依拠する「見えるもの(ポジティヴなもの)」と「見えないもの(ネガティヴなもの)」という二項対立それ自体が問いに付されることになります。

さらにその後、フーコーは、こうした「人間学的思考」の起源へと向かいます。「見えるもの」と「見えないもの」との垂直的関係は、歴史の中でどのように成立したのか。そしてそこから至上の主体であると同時に特権的な客体でもあるようなものとしての「人間」が西洋の知の中にどのようにして登場することになったのか。こうした問いに答えようと試みたのが構造主義ブームの最盛期に出版され大きな反響を呼んだ「言葉と物(1966)」です。 

こうして「人間学的思考」からの脱出に一つの区切りをつけた後、1970年代に入るとフーコーは自身の研究テーマをこれまでの知と言説をめぐる分析から、知と権力の関係をめぐる分析へと転回させることになります。

この点、フーコーは権力における「抑圧」や「排除」というネガティヴな側面から、むしろ権力における「生産」というポジティヴな側面に注目するようになります。そしてこのような観点から権力のメカニズムを捉え直した研究の成果をまとめたのが「監獄の誕生(1975)」です。ここでフーコーは西洋の刑罰制度における「身体刑から自由刑へ」という処罰形式の転換を「君主権的権力から規律権力へ」という権力のメカニズムの歴史的変容との連関から解明しようとしました。

そして翌年に出版された「性の歴史1-知への意志(1976)」においてフーコーは個人の「身体」を「規律」しようとする「規律権力」の傍らに、統計学的調査の対象としての「人口」を「調整」しようとする「もう一つの権力」を描き出していきます。これがフーコーが「生政治」と呼ぶ新たな権力です。

そして彼はこのような「規律」と「調整」の両極から人の「生」に積極的に介入しようとする包括的な権力形態を「生権力」と呼び、そこで形成される様々な装置の中で最も重要なものの一つに個人の「セクシュアリティ」を位置付けます。

* そして古代世界へ

ここから1970年代後半のフーコーは「生権力」に関する考察をもっぱら「人口」をめぐる「調整」という「生政治」に焦点を当てて進めていきます。ところが1980年代になるとその研究は突然中断され、それまでとは全く異なる新たな探索が開始されることにます。

ここでフーコーは18世紀以降の権力関係ではなく、古代ギリシア(紀元前4〜5世紀)や帝政期ローマ(1〜2世紀)や初期キリスト教(2〜5世紀)の言説を扱うようになります。その理由としてフーコーは個人の「セクシュアリティ」に注目していくうちに、自己が「欲望する主体」として自身の「欲望」を解釈し、それによって「私が何者であるか」という真理を明るみに出していくという「欲望の解釈学」があまりにも広く受容されていることが明らかになってきたため、こうした「欲望の解釈学」の系譜を辿るためには時代を大きく遡る必要が生じたこと点を強調しています。

このような「欲望の解釈学」の系譜を遡るため古代世界を探査するというその新たな研究においてフーコーが強調するのは、古代ギリシアから帝政期ローマを経て初期キリスト教に至るまでに、性に関する規範は一定の連続性が認められる一方で、性に対する考え方には根本的な変化が見出されるということです。

この点、古代の性道徳について従来の歴史観においては、古代ギリシアでは性に関する自由奔放さが容認されていたけれども、やがて帝政期ローマにおいて性に関して節制すべきであるという要請が生じて、これが後の初期キリスト教における厳格な性道徳を準備することになったのだと考えられていました。

これに対して、フーコーは実は古代ギリシアにおいて厳格な性道徳というのはすでに見出されていたという異論を唱えます。けれどもフーコーはそれでもやはり帝政期ローマにおいては性に関する考え方に大きな変容が生じており、さらに初期キリスト教において決定的な差異が生じていると主張します。どういうことでしょうか。

* 快楽の活用から欲望の解読へ

まずフーコーは「性の歴史2-快楽の活用(1984)」において古代ギリシアにおける性が決して全面的な自由を享受していたわけではなく、一定の「節制の原則」の下にあったことを、身体、結婚生活、少年愛に関して当時なされた考察を検討することによって示そうとします。

もっともフーコーによればこうした「節制の原則」は万人に対して等しく課されていたわけではなく、あくまで古代ギリシアの「市民」である成人男性が自己を完璧に支配する形を通じて、女性や少年といった他者に対する支配力を示すという「生存の美学」の実践であったとされます。

次にフーコーは「性の歴史3-自己への配慮(1984)」において帝政期ローマにおける性道徳が古代ギリシアにおける「節制の原則」の一層の厳格化によって特徴付けられるとしつつも、それは古代ギリシア以来の伝統の単純な強化ではないことを、やはり身体、結婚生活、少年愛という三つの領域で生じた変容を取り上げることで示した上で「節制の原則」の一層の厳格化の背景にあるものとして彼は「自己への配慮」を中核とした「生存の技法」の発達をあげています。

この点、古代ギリシアにおける「節制の原則」による自己統御は他者統御と分かち難く結び付いていました。ところが帝政期ローマになるとそうした結び付きが緩くなり、自己は自己の問題に専心すべきであるという「自己への配慮」が一般的となりました。そして、その「自己への配慮」のもとで自己をめぐるさまざまな問題が--すなわち、自己の依存と独立、自己と他者の絆、自己の管理、自己に対する完全な主権などといった問題が--極めて重要なものとして浮上します。

もっとも、ここでもやはり問題とされたのは、性的快楽をどのように活用すればいいかという一つの実践であり、自分自身の欲望をいかにして解読するかという「欲望の解釈学」と呼べるものは存在していないわけです。

こうした意味での「快楽の活用」ではなく「欲望の解読」が問題とされるようになったのは、初期キリスト教においてのことです。もっとも、フーコーによれば最初期のキリスト教には未だ「欲望の解釈学」と呼びうるようなものは見出せず、それは2世紀から5世紀にかけての変化の中で現れてきたといいます。

まず、東方の修道制を西洋に伝えたことで知られる教父カッシアヌスは情欲を生じさせる非意志的な動きを、意志を襲う敵として捉えつつ、自己に欺かれないための自己に関する際限なき解釈学的な作業を修道制の修練として課しました。

これに対して初期キリスト教の正当的信仰教義を確立した教父聖アウグスティヌスは情欲を主体の構造の一部をなすものとして捉え、それによって、欲望の中に我々自身の真理を探ろうとする企てにその端緒を与えました。こうして欲望が不断の軽快および分析の対象とされるようになり、欲望と主体との根源的な関係が打ち立てられることになります。

このようにフーコーの死後30年以上の歳月を経て出版された「性の歴史4-肉の告白(2018)」においては4世紀から5世紀にかけての教父たちの言説の中から「欲望の解釈学」という企てが輪郭を現していく様が描き出されています。

* 自己への技術

こうしてフーコーは「欲望の解釈学」の系譜を描き出す中で、その探求の出発点にあった個人の「セクシュアリティ」の問題よりも、むしろ自己が自己に働きかけるために用いられる「自己への技術」が、古代世界においてどのように練り上げられて変遷していったのかという問題へと強く惹かれていくことになりました。この点、フーコーは古代世界における「自己の技術」を次のように類型化しています。

まず古代ギリシアにおける「自己への技術」とは、プラトンの対話篇「アルビキアデス」にあるように、今や忘却してしまった自己の本性である「魂」がかつて神的なものと関わりを持っていた頃に知っていた真理を記憶の底から思い出すことを指しています。

次に帝政期ローマにおける「自己への技術」とは、自己をめぐるさまざまな問題をアドホックに自己管理していく「自己への配慮」です。それを顕著なやり方で示しているのが、とりわけストア派を中心とした以下のような実践です。

真理を獲得するために師の言葉に耳を傾けること。そのようにして学んだ真理を自分自身の行動のための原則とすること。そして自分が確かにそうした原則に従って行動しているかどうかを、「自己の検討(良心の検討)」と呼ばれる実践によって日々検討すること。

すなわち、ここでの真理とは、知っていたはずののもではなく、外から学ぶものとなります。そしてこの真理を日々絶えず思い起こし、絶えず活性化していくことで、自己の統御を確固たるものにしていきます。

最後に初期キリスト教における「自己への技術」とは、これはもちろん自己に対する根本的不信のもとで自己自身の内奥に秘められた罪深き真理を絶えず読み出していくあの「欲望の解釈学」です。そして、こうした「欲望の解釈学」の目的は畢竟、自己を捨て去って他者へ絶対的に服従するところにあります。こうしたことから「欲望の解釈学」の実践は、自己が自己を放棄するための終わりなき作業となります。

* アイロニーからユーモアへの折り返し

ところで、ここでフーコーが示した「自己への技術」はかつて突然中断した「権力論」との関連でいえば、絶え間なき罪悪感の中で無限に自己反省をし続ける「欲望の解釈学」における主体は「規律権力」における主体の原型であるといえ、自己の問題を即物的に自己管理していく「自己への配慮」における主体は「生政治」における主体と親和的であるといえます。

けれども「自己への配慮」における主体は「生政治」における主体と異なり、権力に「調整」してもらうのではなく、あくまで自己が自己を「管理」するところが異なります。こうした意味で、もしかしてフーコーは「生権力」に対する抵抗の起点を古代世界の中で探し回っていたのかもしれません。

いずれにせよ「本当の自分」を問う自己反省は時として人を成長させますが、その問いを執拗に問い続けたとしても畢竟、我々は「決定的な答え」に辿り着くことはできないでしょう。むしろここで重要となるのは「本当の自分」を自己反省し続けるアイロニーではなく「さしあたり自分は何をやるべきか/やりたいか」というタスクを出力して自己管理していくユーモアへと折り返していく点にあるのではないでしょうか。

こうした意味で、フーコーが古代世界で探求した「自己への技術」の中にはアイロニー(欲望の解釈学/自己反省)を追求しすぎることなく、ある程度のところでユーモア(自己への配慮/自己管理)へと折り返すような生き方を見出すことができるように思えます。





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