見出し画像

資本主義とアソシエーション--よみがえる『資本論』

* なぜいま『資本論』か

ドイツの経済思想家、カール・マルクスの主著『資本論』は当時人々の暮らしを激変させていた「資本主義」のメカニズムを徹底的に解析し、その矛盾や限界を明らかにした名著です。しかしソ連崩壊以降、マルクス主義は弱体化し『資本論』を読もうとする人も一昔前に比べると随分と少なくなりました。その一方で資本主義はさらに強大化し「新自由主義(市場原理主義)」という名の下に世界中を席巻し、その結果として金融危機、経済の長期停滞、貧困やブラック企業、気候変動の影響による異常気象、さらに新型コロナ・ウィルスによる世界的パンデミックが我々の生活を脅かすようになりました。

とりわけ深刻な問題の一つが格差の拡大です。国際開発援助NGO「オックスファム」によると世界の富豪トップ26人の資産総額は地球上の人口の半分、実に約39億人の資産に匹敵するそうです。

このような様々な問題が想像を超えるスピードで拡大し、深刻化している現代においては、このまま本当に資本主義にしがみついていても大丈夫なのかという声が年々若い世代を中心に大きくなっています。こうして、いま再び『資本論』がかつてとは別の形で注目を集めています。

この点、マルクスというとソ連や中国のような共産党による一党独裁社会を連想しがちですが、マルクス自身は「共産主義」とか「社会主義」という言葉をほとんど使っていません。代わりにマルクスが用いたのが「アソシエーション」という言葉です。アソシエーション。それはいかなるものなのでしょうか。

* 商品と物象化

改めて『資本論』の概略を見てみましょう。よく知られているように『資本論』は「商品」の分析から始まります。同書は冒頭で「富」と「商品」を区別し、資本主義社会の「富」は「商品」という形で現れるといいます。つまりかつては誰もがアクセスできた「コモン(共有財産)」であった「富」が資本によって囲い込まれることで貨幣を介した交換対象である「商品」と化します。

そしてこの「商品」を作るためには「労働」が必要となります。そして資本主義社会において「労働」の目的は「必要なものを作る」のではなく「資本を増やす」こと自体にあります。したがって資本主義社会における商品は人々の生活に本当に必要なものかどうかより、その商品がどのくらい資本を増やすことに貢献してくれるかが重視されるようになります。つまり、ここでは「商品」の「使用価値(人間にとって役に立つ価値)」より「価値(交換を成立させる共通基準)」が重要となってきます。

こうして消費者も生産者も、様々な不確定要因で変動する「価値」に振り回されるようになります。かつて「使用価値」のためにものを作っていた時代においては文字通り人がモノを使っていましたが「価値」のためにモノを作る資本主義のもとでは立場が逆転し人がモノに振り回され支配されるようになります。このような現象をマルクスは「物象化」と呼びます。

そしてこのような「価値」を増やしながら自己増殖する運動をマルクスは「資本の一般定式」と呼ばれる「G-W-G'(ゲー・ヴェー・ゲー)」という有名な式で表しています。「G」はドイツ語で貨幣を意味する「Geld(ゲルト)」を指し「W」は商品を意味する「Ware(ヴァーレ)」を指しています。

そして「G'」とは最初の「G」に儲けが上乗せされた状態を表しています。つまり「資本」とは「G-W-G'」という金儲けの運動それ自体であり、この運動を永続的に反復する体制を称して「資本主義」といいます。

* 労働と剰余価値

この点、「G-W-G'」の運動において生じた価値の増殖した部分を「剰余価値」といいます。この剰余価値は労働者が生み出したものにもかかわらず資本家のものとなります。つまりここで「搾取」が生じています。なぜこのようなことが可能かというとマルクスはその理由を「労働力」と「労働」の違いから説明しています。

「労働力」とは労働する能力であり、労働者と資本家の間で等価交換されているものはこの「労働力」です。ここで重要なのは資本家は労働者から買ったものは「労働が生み出す価値」ではなく「労働力という商品」であるいう点です。こうして資本家は労働者から買った「労働力」という商品を「労働」させることで「剰余価値」を手に入れることが可能となります。

そして、このような「労働」によって生じる「剰余価値」を増やすため資本家は「生産力」を向上させようとします。この点、生産力を向上させる一番単純な方法は「労働力」を長時間使用することです(だからサービス残業はなかなか減らないのです)。このような方法で手にした追加の剰余価値をマルクスは「絶対的剰余価値」と呼びます。

これに対して何らかのイノベーションによって生産力を向上させるという方法もあります。その結果、市場で優位に立つことで一時的に生じる剰余価値を「特別剰余価値」と呼びます。そしてこうしたイノベーションによる労働力の価値が低下することで生み出される剰余価値を「相対的剰余価値」と呼びます。

* 疎外とアソシエーション

また、生産力を上げるイノベーションに資本家が求めたものは「価値」の増大ばかりではなく労働者に対する「支配」の強化があります。これこそが資本主義がもたらす生産力の増大に対してマルクスが問題視していたものです。

この点、資本主義のもとで生産力が高まるとその過程で「精神的労働」と「肉体的労働」が分断されるとマルクスはいいます。つまりイノベーションにより生産工程が機械化されることで、まず「商品」の企画立案といった「精神的労働」を資本家や資本家に雇われた経営者が独占し、その「商品」の生産工程という「肉体的労働」は細分化されて単純作業へ「分業」されることになります。

その結果、一人ひとりの労働者は毎日ただ自分に割り振られた単純作業を反復するばかりで、いつまでたっても固有のスキルが身に付かず、資本の組織する分業システムから抜け出すことができなくなってしまいます。しかも彼らの仕事は誰にでもできる単純作業なので、彼らは常に「替えのきく存在」でしかありません。人が資本主義というシステムの部品と化すということ。こうした状態をマルクスは「疎外」と呼びます。

マルクスは若い頃から一貫してこのような労働における「疎外」を乗り越えようと主張していました。マルクスは『資本論』第三巻の草稿で資本主義に代わる新たな社会において大切なのは「アソシエート」した労働者が人間と自然との物質代謝を合理的に持続可能な形で制御することである、という趣旨のことを書いています。ここで「アソシエート」するとは共通の目的のために自発的に結びつき協働するという意味です。

先述のように、マルクス自身は「社会主義」や「共産主義」といった言葉はほとんど使っていません。来るべき未来社会のあり方を語る時に彼が繰り返し使っていたのは「アソシエーション(自発的な結社)」という言葉です。労働組合、協同組合、労働者政党、どれも皆アソシエーションです。現代においてはNGOやNPOがアソシエーションに当てはまるでしょう。すなわち、マルクスが目指していた社会とは、このような「アソシエーション」を基軸とした自発的な相互扶助や連帯を基礎とした社会です。

* 平等で持続可能な社会を描き出すということ

ではマルクスが具体的にどのような未来社会を描いていたのでしょうか。そのヒントとなる一節が『資本論』第一巻の終わりの方にあります。

否定の否定は、生産者の私的所有を再建することはせず。資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と、地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有することを基礎とする個人的所有を再建するのである。

カール・マルクス『資本論』より

すなわち、資本によって「否定」されて生産手段と自然を略奪された労働者が未来社会では資本の独占という「否定」を「否定」する「否定に否定」により、生産手段と地球を「コモン(共有財産)」として取り戻すということです。つまり一人ひとりの「個人的所有」はもちろん否定しないけれども、水や森林、あるいは地下資源といった根源的な「富」は「コモン」として、みんなで管理していこうということです。

このようにマルクスが思い描いていた「アソシエーション」を基軸とする社会はコモンを再生する社会です。すなわち社会の「富」が「商品」として現れないように、みんなで自治管理していく平等で持続可能な経済社会を晩年のマルクスは構想していました。

もちろん、こうしたマルクスの描き出した未来図が絶対的に正しいわけではないでしょう。しかし少なくとも彼は資本主義システムとは異なる可能性を根源的なレベルで思考した思想家の一人であることは確かです。そして今回のコロナ・パンデミックを機に資本主義の限界を感じた人は若い世代を中心に確実に増えています。こうした時代だからこそ資本主義のシステムから「富」を取り戻し、誰もが「疎外」されることなく手を取り合える豊かな社会を思い描くことができる想像力を手にするために、いま再び『資本論』は参照されるべきなんだと思います。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?