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選び続けるのって体力がいるね

わたしは根っからのいじめられっ子なので、誰かを選んでいる人のことを今でもちょっと怖がっているところがある。
別に何かあるわけではないし、その人にとても選ばれたいと思っているわけではないけれど、なぜか、凄い勢いで人を選んでいく人のそばにいると、疲れてしまう。
選ばれなかったら悲しいし、寂しいし、そのなんとも言えない虚無感は、小さい頃に散々味わってきた。
トラウマになっているのかもしれないけれど、わかっていることは少なくとも確実にそういうのが苦手であること。たとえわたしのことを選んでくる対象が超どうでもいい人だったとしてもなんでだろう、この状況が優しくないと思っている。好きになれないな。

そんなわたしですが、会社に入りたてのとき、不思議な体験をした。同期の女の子がわたしの様子や顔色をすごく伺いながら話しているのが伝わった。
わたしはその子にあまり興味がなかったから必要最低限しか話していなかったけれど、それも含めてわたしは、無意識に人を選んでいたのだと思う。
その子がわたしを伺っている全ての表情から、わたしはいじめっ子側になっていると自覚した。
いじめてないけど、そんな感覚。ふーん。こんな感じだったんだ。それがわかったけれどもはや、その感覚にもあまり興味も快感もなかったな。
自分で選ぶことは自分の心のヘルシーさを守る最低限だったから。

最近のわたしはというと、体力がないために何かを選ぶということができない。うまくできない。
体の疲労感を考えるとこれは、病気のせいにしておきたい。
食べるもの、会う人、明日のこと、今のこと、
未来のこと、一緒にいる人。
今までならすぐに選べた。
自信もあった。
でも今は、選ぶ体力がない。
そうすると人の様子や、人から言われた言葉ばかりが気になってネガティブのループにはまってしまう。

わたしが歌いたい歌は?
わたしが食べたいものは?会いたい人は?
そんないろんなことを、
人の言葉や人の軸を元に考えて
アンヘルシーな心になっていく。

今のわたしは、体力がないことを自覚して、一旦1人で考えたほうがよさそう。
お休みをする時だね。
わたしは何がしたいんだっけね、って、もう一度考えよう。
わたしが愛しているものはなんだっけね、
わたしが愛したいものはなんだっけね、
わたしがいたい場所って、どこだっけね、
そうやって小さな小さな自己対話を毎日100個くらい積み重ねて、納得できる状態になるまで体も心もリハビリが必要ね。

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