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たった6日間炎上しただけで

かなり前の話になりますが、炎上というものを経験しました。

Twitterが炎上と言ってもいい状態になったのです。普段ライターとしての活動をしている私は当然、毎日のように他人の「炎上」を目にしますし、ネット界隈の仕事に関わる人でなくともインターネットを見る習慣があるのであれば目にすることは多いでしょう。

しかし見ているのと渦中にいるのでは、違う。
その記録を書き記しておきたいと思いました。

1、ある日、いつものように仕事をしたら炎上した

いつもお仕事をさせて頂いている媒体の編集部様から、「この内容で記事を書いてくれないか」と依頼を頂きました。これまでもそういった依頼は何度もありましたし、いつも通り私は着手し提出しました。

その少し前、別の話題の中で編集部様より「自分の意にそぐわない記事や、炎上しそうなものは『●●編集部』という表記で掲載してもいいですよ」と言われていました。

さまざまな内容の記事のご依頼を頂きますが、全ての内容について私個人が同意しているとは限りません。だからといって、「同意している記事しかやりません」というのもなかなか難しいもの。でも、記事を読んだ方は当然「このライターはこの記事に書いてあるような意見を持っているのだな」と思われてしまうのも仕方のないことです。

そういった背景があって編集部様は配慮をしてくださっていたのですが、私は基本的に自分が書いたものに対してはきちんと名前を出して責任を持ちたいと思っていました。これは全ての記事に対してそうです。

自分が納得できない内容や流れの場合には、記事の内容をある程度腹落ちをする着地のさせ方をしますし、事前に内容を変更するのであればそのことを依頼者の方にも伝えます。今回もその流れを踏んだ上で、言われた流れで言われた通りの箇所をつまんだ上で、自分なりの意見や解釈も加えつつ、誤解を与えてしまいそうな箇所は編集さんが変えてくださりつつ、記事が公開されました。

2、炎上の始まり、その理由

しかし、その記事の内容がさまざまな解釈や意見を持った方の多いトピックスでした。人によって「その事象について私はそうは読み取らなかった」という人も多いし、「そもそもその事象について私はこういう意見を持っている!」という強い思いを持った人も多い「議論を呼びやすい」トピックス。

加え、私がその記事を宣伝するツイートの書き方の表現が「完璧に正しい日本語でなかった」ことも油を注いだのか、そのツイートは数千リツイート&数千いいね、そしてこれまで経験したことのないような数のコメントが書き込まれました。

加え、(今回は要素が多いのです)その記事がYahoo!の目立つ位置に転載されたこともあり私のツイートをリツイートされたもの経由の方、記事から私を知った方、Yahoo!から私を知った方などが一気に集まった?形となりました。まさかとは思いましたが、記事はYahoo!トップの目立つ位置に4日間も滞在し続けたのです……(あんなに願ったYahoo!転載なのに早く消えろと祈ることになるとは)

記事の公開直後、宣伝ツイートはぽろぽろと1時間に数件程度の頻度でリツイートされ、「記事がすごくよかった!」とコメント欄にてお褒めの言葉を頂きました。その頃は私もノンキにそれぞれのコメントに対し「ありがとうございます」なんて返事をしていました。私を新たにフォローしてくださる方も多くいました。

3、批判がどんどん増える、これはたぶん割れ窓理論

しかし……時間がたつにつれ、最初はその記事の内容についての批判、そしてのツイートが「完璧に正しい日本語でなかった」ことの揚げ足取りの批判が増えていきました。最初は肯定コメントと批判コメントが半々くらい、そして「なにもそこまでこの人に言わなくてもいいんじゃないですか」という擁護コメントが少々。そこで批判vs擁護でバトルが始まったりしています。(その間も私の「@~」がつけられているのでいわゆる「巻き込みリプ」が発生していました……)

ここまで来るとすでにプッシュ通知は切っていますが、ふとTwitterを開くと通知欄に「20」とかバッジがついていて、つい目にしてしまいます。その中には「あなたへの返信をいいねしました」と、私への直接的なメンションではなく、「あなたを批判しているコメントをいいね!と思っている人がこんなにいますよ」(曲解w)という通知があったりして、「そんなお知らせいらんやん!私関係ないやん!」と私の中の関西人が暴れまわるまでになっていました。これまで知らなかったTwitterの機能や通知の仕方を知ることができたよね……と前向きには思えないほどに、精神状態はすり減らされていきます。この時には一時間にたぶん数百人ずつリツイートされ、その数は追えなくなり、たまに投稿されたもののリツイート数を見ては「ああ…なんか千の桁がまた増えてる…」という感じでした。

そして、徐々に批判コメント、そして私個人を中傷・批判するコメントの数が増えていきます。

不思議なことに、同じ記事をシェアしている媒体の公式ツイートには全くコメントがつかないのです。リツイートもほとんどされません。


「割れ窓理論」という言葉が頭をよぎりました。


ああ、「この人は石を投げてもいい相手なんだ!キャッキャw」と思う人が増えてきたんだな、と。
現に、「このコメント欄、めっちゃ楽しい~!」というコメントが見られました。コメントは書きこまないけれど、誹謗中傷がまき散らされているこの「コーナー」を楽しんでいる人たち。みんな、人が不幸になってゆく様子を娯楽として楽しんでいるものなのです。

この状態に、「ああ、思考停止しているな」と感じました。

「みんなが叩いているから、私も叩く」
「みんながこいつは間違っているというから、そうなんだろう」

そんな流れが一気に完成したような、もちろん目には見えませんがそんな情景が目の前に見えました。

さらに、これだけの人が集まると(最終的にインプレッションでいうと68万人が集まってきていました)おかしな勧誘に遭うのは何かの因果なのでしょうか……好意的なメッセージを装い「あなたの記事は素晴らしかった!」というDMを送ってきた方がいたので、ありがとうございます、と返信すると、「わたしたちの会社では、たくさんの人を幸せにする『ハッピーアプリ』を開発していますので、ダウンロードをして……」と、どさくさにまぎれて変な勧誘をされました……呆

4、私の仕事はBtoBだから気にしない、とは割り切れない

私の仕事は、いわゆる「BtoB」です。
記事を読んでいる方がお金を私に払うわけではない。取引先と言えるのは、私に記事を依頼してきている媒体の方々。


そういう意味では、批判されようが同調されようが、「PV数が上がる」という意味では依頼してくださった側にとって今回のことは大成功だったのかもしれません。PV数が上がれば広告収入が期待できますからね。なので、これは、よかったのだ、いわゆる「炎上商法」だ……意図してやったことじゃないけどさ……とムリヤリ考えてみたりもしましたが、やっぱり気分は下がっていく一方でした。


根本的に人は人に好かれたいものなんですよね。

5、芸能人は大変だな……と思いをはせる

これが、記事公開から6日間続きました。
気にしないようにしていても、常に何かが心に貼り付いているような不快感。睡眠も浅くなります。


しかし、私は「バズった」とはいえ、せいぜい数千。これがもっと、意図せずに何十万リツイートもされてしまうような方は恐怖半端ないだろうな、とも思いました。そして、私は今回の一連の流れでフォロワーが100人増えましたが、「1つのツイートがバズって朝起きたら2万人フォロワーが増えていて……」なんて方もたまに目にしますので、そんなことになれば嬉しいよりも何か監視されているような怖さがあるだろうなとも思いました。

そこから派生して考えると、芸能人なんかは「自分から発信した何かが」とかではなく何も発信していなくても勝手に週刊誌などに私生活を撮られ、そして叩かれるのだからそれは精神的に相当キツかろう、とも思いました。

ただ私が恵まれていたのはその記事を依頼してきた編集さんが、その炎上状態を把握し毎日のように、「こう言われてもちゃんと確認とったから」「コメントに反応しなくていいから」「大丈夫だから」とちゃんとフォローしてくださったこと。本来編集の仕事としてはそこまでしなくてもいいのですが、めちゃめちゃ支えになったし、ありがたかったし、一人じゃないと思えるようにお気遣いくださったのだなと改めて信頼できるようになりました。

6、消さない、逃げない、反応しない

さすがに2日目くらいから「リツイートを止める」機能がほしいなと思いました。色々本末転倒ですけど(笑)本当にそう思ったのです。

もちろん、

・ツイートを削除する
・鍵アカにする


という選択肢はありました。しかし、これはこれで「逃げた」と言われることが想定できました。以前見聞きした情報では、炎上対策の基本は、【反応しないこと】。批判コメントに言い返したり、逆ギレしたりといったことはもちろん、ツイート削除や鍵アカにすることも【反応】に該当すると思いました。まぁ、大枠で「嫌がらせ」だと捉えれば、泣き顔を見せたり、傷ついている様子を感じさせたりした時点で相手の思うつぼですよね。

私は負けず嫌いです。たぶんプライドも高いです。

途中で何度も何度も言い返したい!反論したい!このツイートを削除したい!と思いました。
著名人の方や芸能人の方がよく個別のコメントに言い返したりして、さらに炎上している様子を見ますが、そういったことをしてしまう気持ちはすごくわかりました。

・個別に返信をしてさらに炎上に油を注ぐ「コウカズヤ」パターン
・自分宛てではないツイートを引用リツイートする形で返信し怒りをあらわにする「前澤社長の送料炎上」パターン
・何に対してとは明記しないけれどもひとつのつぶやきという形を取りながらも明らかに「あの件で怒っているな」と分かってしまう「川栄李奈二股疑惑報道」パターン

など、過去炎上という歴史にはさまざまなパターンがありますが、そしてこれらを見た私達は、「ったく、受け流せよ、余計炎上するのわからんかね……」なんて他人事だと思えるものですが、やっぱり過去そう思っていた私でさえ、ついつい個別に返信したり言い訳めいた声明を公表?したくなったので、人は追い詰められるとそういった心理になるのだなあと知ることができました。ただし、やっぱりそうしたことをしたところで、悪意のあるコメントを書きこんだ方が「そうなんだ!ごめんね誤解してた、私が悪かったよね」となることはほぼありえないので、しても逆効果でしかないでしょう。黙る、のが最も賢明です。

落ち度があってもなくても、大勢の人が集まれば自分と意見の合わない人がいることも、わけわからんことをいう奴がいることもわかります。全員から好かれることも、全員とわかり合うことも不可能でしょう。


そして、全員に真意を伝えることはできないのです。
彼らは、叩きたいだけなのです。

何かに対し、石を投げてストレス発散したい。だからそれらしい理由をつけて石を投げます。全力で。安全なところから。

7、あなたに不倫を批判する権利はない

以前この件とは別のツイートでとある記事を引用し「(その記事に出てくる人が非常識な発言をしていたので)こんなことを言う方がいるなんてびっくり」とつぶやきました。すると、ある方から「こんな人は『人間やめろ』って感じ」と返信がありました。この「人間やめろ」は私に宛てられたものではなくその記事の「非常識な発言をした人」宛てのものでしたが、これは大変不愉快でした。意見の合わない人はいますが、だからといって誰かが誰かに対し「人間をやめろ」と言う資格はないからです。

これは最近の「芸能人の不倫スキャンダル」についても思います。
かなり大きな話題となったベッキーさんの不倫疑惑ですが、この「不倫」に対して石を投げ、文句を言えるのは川谷さんの奥さんだけだと思います。もう少し言えば、その出来事により直接的被害を受けた事務所関係者やゲスの極みのメンバーなどごく一部の方だけでしょう。

それでも何の関係もない「一般人」が「不倫なんてありえない」「不倫は最低」と石を投げます。今でもベッキーさんはテレビに出る度にこのことを蒸し返され批判を浴びています。(と、言いながらこの文章も結果的に蒸し返していますね……ごめんなさい)

どうしてそれがアタリマエでフツウになっているのか?理解できません。
私は違うと思うな~、この人とは意見が合わないな~、なんか見ててむかつくな~、と思うことは自由でしょう。だけど、それが相手に直接批判の石をぶつけて良いことにはならないと思います。

8、そりゃ新興宗教にも入りたくなるわ

3日が経ち、自分宛ての永久に続く(かのように思える)批判の連続を目にする度にどんどん精神がえぐられていきました。それでも、Twitterを開くことはクセになっていて、ついスマートフォンを手にするとTwitterのアイコンをタップしているのです、無意識に(笑)。そこで、強制的にログアウトしてタップしても自分のアカウントが表示されないようにしました。こうなるともう、仕組みで自分の心を守るしかありません。

次第に、普段は気にも留めない、ネットでちらっと目に入る前向きな宗教じみた言葉が心に染みたり(笑)。そうだ、そうなんだよ、みんな私の言いたいこと理解できないとかおかしいよ!そうなんだよ!(そろそろおかしくなってる)

……心が弱っているときについ、新興宗教に入ってしまったりとか、こんなの誰がひっかかるんだ?といった詐欺に引っかかってしまう心理も想像できた気がします。何かにすがりたくなる気持ちなんですよね。

9、炎上の波は経済に似ている

そうこうしているうちに、6日かけてリツイートの数、いいねの数、コメントの数は落ち着いていきました。それはまるで、「イノベーター理論」に似た曲線を描いているようなイメージ。経済ですね~

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(正確にデータを取ったわけではありませんが、まさにこんな感じでした)

10、文句があるなら直接来い!と言っても無駄

誰でも失敗するし、間違う。大切なのは反省し、間違いを正し、そこから立ち上がることです。

今回の私の炎上が失敗なのか、私が間違ったのか「世間」が間違ったのか、白黒つけることはできませんし、分析することも無意味だとは思います。

もちろん、もし本当に何か間違っていることに文句を言いたいとか、謝罪を要求したいということであれば、正式にそれを申し込んでほしいと思います。

だけど今回私がもし、「じゃあ何か言いたいことや批判、違う意見がある人はみんな来週月曜日の19時に東京駅のこの会議室に集合してよ、ひとりひとり意見を面と向かって聞くからさ」と言ってもだれも来ないでしょう。

不幸・トラブル・失敗などの渦中にいる人に無関係な人が石を投げることはすべきではない。そして、それが本人が悪いのであれそうでないのであれ、再び立ち上がる姿を見届けてほしいのです。

どんな人も、常に順風満帆な人生ではないので、いつか挫折するときが来ます。そんな時のために、過去に挫折から立ち上がったことのある人の話は必ず参考になるし、勇気づけられるはず。

そんな気持ちを持って、『批判』ではなく『見届けたい』と考える人が増えることを願います。

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