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目に見えないもののデザインー私たちは何をデザインしているのか?

Spectrum Tokyo Festival 2023 に登壇した際にお話した内容の文字起こしです。

わたしのデザイン変遷

学生時代

なんでこのテーマで話そうと思ったか。自分のデザインの変遷が関わっているので、主題に入る前にどういうデザインをしてきたかの変遷を紹介したいと思います。

修士研究での作品

学生時代は首都大学東京(現・東京都立大学)のインダストリアルアート学科に所属し、デザイン工学系の分野にてビジュアルコミュニケーションを選考していました。
大学院では「日本語学習者を対象としたオノマトペ学習支援ツールの研究 ―しかけのある「オノマトペ絵本」の提案―」というテーマで研究をしていました。いわゆるグラフィック領域に近いようなことをしていました。

社会人

そこからヤフー株式会社へデザイナーとして新卒入社し、新規事業開発やアプリ開発においてデザインやプロダクトマネジメントをしていました。
これはYahoo!プレミアム会員という有料会員の特典で雑誌・漫画読み放題というものがあり、その読書体験を向上させるためのアプリになります。

それ以外にもリユースの新規事業開発の部門にて、PayPayフリマというCtoCのフリマサービスのアプリやWebのUI/UXデザインをしておりました。

Designship2019のノベルティ・運営衣装のデザイン

また、社外では一般社団法人デザインシップに所属し、かれこれ6年ほど活動をしています。
最初のほうは主にカンファレンスをメインとし、このようなスタッフ衣装のブランディングツールやノベルティのデザイン・制作をしていました。

その後は、Designship Doというデザインスクールの立ち上げを行いました。
デザイン業界における人材育成の課題に取り組みたいと思い、今も講師陣とともにカリキュラム策定するところから、当日の講義運営まで関わっています。

Designship Doを立ち上げたこともひとつのきっかけでしたが、より教育分野にコミットしていきたいと思い、株式会社MIMIGURIへジョイン。
今はCULTIBASE Labという「組織開発、経営マネジメントに関する理論と実践の最新知見を学べる学習コンテンツサービス」の事業責任者兼プロダクトデザイナーをしています。

本日の主題

このように10年ほどのわたしのデザイン領域の変遷を書き出しても、年単位でどんどん領域が変わっています。

このように目まぐるしく領域が移ろいゆくと、ふと「わたしって何のデザイナーだろう?」と思うことがあります。
わたしだけでなく、誰しもが一度は悩んだことがありませんか?

そのような悩みにぶつかるのは、単純に領域が変化しているだけでなく、デザインする対象も事業や組織といったようにどんどん見えづらく、捉えにくいものに広がっているからではないでしょうか。

だからこそ、本日は、自分たちのアイデンティティはどこにあるのか?というテーマで向き合ってみたいと思います。

対象が無形物になったとしてもデザインケイパビリティを発揮している感覚がある。それはなにか?

先に謝っておきますが特に答えのあるものでもありません。私自身のリフレクションをもとに「こんな感じではないか?」といういくつかの問いを見出したのたので、今日聞いてくださってるみなさんと一緒に解いていきたいと思ってます。

事業のデザインについて考える

どのような思考プロセスを辿っているか

まずは、事業の側面から考えてみようと思います。

事業開発・デザインしていくうえで従来的なやり方を行おうとすると「〇〇だからxxをする」というようなロジカルシンキングを強く求められます。

しかし、わたし自身を振り返ってみると実際の脳内は論拠で結びつけるというよりは、いくつかの事象の揺れ動きを捉えながら結びつけていく感覚に近いものを感じています。

というのも、日々の事業開発の営みで刻々と状況は変化していく…例えば、今日の会議の流れだとOKRに見直しをかけたほうが良さそうだ、というのを常に敏感に察知してます。
そしてそれを伝えるために、要所をピン立てしながらストーリーして伝える、カタチにできる能力がある。これはロジカルシンキングとは違った効果を持っている、と思っています。

先程の従来的な方法との違いを表現するとしたら、従来は「山を登る」行為ですが、実際に行っているは「水面を眺める」行為が近いのではないでしょうか。

このようなデザイナーならではのアプローチの違いに対する言及はデザインマネジメント分野においても研究されています。

ひとつ引用してきましたが、これは、デザイナーのアプローチをデザイン態度、ビジネスパーソンのアプローチをディシジョン(意思決定)態度として概念化・対比したものです。

例えば、「公共の場でゴミが散乱している」という事象が起きた場合、ディシジョン態度では、発生源を突き止め、「どうすればゴミをなくせるか」という問題を設定して、解決策を考える。デザイン態度では、「どうすればゴミを楽しく捨てられるか」という問題に置き換えて捨てやすいゴミ箱を考えるかもしれません。
解決策がいくつかに絞られた場合、ディシジョン態度では、それらの長所と短所を分析したうえで、最適な解決策をする。デザイン態度では、複数の解決策の長所を併せ持った第三の解決策を考えようとします。

デザイナーがビジネス現場で話が合わないという課題もよく耳にしますが、そもそも態度そのものが違っていることも大きく起因しているのではないでしょうか。
もちろん、ディシジョン態度が有効な場面もあります。一方で、創造的な問題解決が必要とされる場面ではザイン態度が活躍することができます。

もう少し、アプローチを抽象化して考えてみる

デザイン態度で語られているアプローチを、別の角度で抽象化してみます。

同時進行的にカタチが変わり、複雑に絡み合う事象をなんとなくそのまま扱うことができ、そして、その絡み合ったものに意味づけ・抽象化・紐づけをして、「ストーリー」あるいは他のなにか、伝わるような新たなカタチを与えることができます。

ここではわかりやすくストーリーとしていますが、デザイナー個々の得意なソリューションによります。
例えば人によっては絵だったり図だったり映像だったり、UI画面のプロトタイプだったり…個人の得意領域に合わせてカタチにしていきます。

また、一度カタチにしたものを完成とせず常に取り組みながら即興的に組み換え問い直し、新しい可能性をアップデートし続けています。
まさに、事業のデザインってずっとこんな感じです。

このようなプロセスは、まさに「見えないものを見ようとしている」行為そのもなのではないでしょうか。

フィンランドの建築家ユハ二・パルラスマがいった言葉でこういうものがあります。

デザインとはつねに前もってわからない何かを探ることである

Pallasmaa 2009:110-111

最終的な状態や結論を求めるのではなく、不確かさによるためらいが創造的なプロセスを刺激していくのではないでしょうか。
見えないよものを見ようとしたときに発揮する想像力がエネルギーになっている、とも言えます。

組織のデザインについて考える

次に、組織についても目を向けようと思います。

なぜ、ここで組織のはなしもしようと思ったのか。
UIデザインといったアウトプットを行うにしろ、結局は組織と事業の交わりによって生み出されています。
いいプロダクトを届けよう、ユーザーが喜ぶ事業やサービスを世の中に出そう、と思ったら組織にも目を向けないといけません。

組織もデザインの対象だと思っています。

しかし、重要だとはいいつつ、手放しでマネージャーをやりたいかといえば現実はそんなうまくはありません。デザインマネージャーとしての葛藤はよくあると思います。わたしもマネジメントをする前はそのような葛藤を感じる部分はありました。

しかし、実際にやっていくうちに今までのデザイン行為としての類似性を感じる点が多くありました。
組織をマネジメントする、のではなく、UXデザインとして捉えてみると葛藤していたものとは違った面白さを感じることができました。

例えば、1on1のような場で、メンバーからキャリアや価値観を聞くシーンは多くありますよね。
そういうときに、今までインタビューなどで培ってきたやり方を応用することで深掘りをしていきました。一緒に働く人を知るために、大いにUXリサーチのスキルが活躍しました。

また、UXデザインの観点を用いると深掘りをしながら、わたしとあなただけの関係、だけではなく、相手の先にある置かれる関係性見えている景色が見えてくる…それをもっともっと広げていくとチームの先も見えてきます。

そしてその関係性が見えてきたら、「こことここで共創したらもっとおもしろいものができるんじゃないか?」という想像性を働かせてみると、違う関係性が見えたりします。
マリアージュするように、ここだというところにセンターピンを立てて活躍する事業機会ををつくっていきます。
そうすると個々のスキルの以上のものが出てくる、個人の可能性というのはスキルだけではないと思っています。

このように組織と事業を接続していくことで発揮されるものがある、これが事業だけでなく組織も考えなきゃと思う理由です。

ここまで事業と組織の話をしてきましたが、どちらも変わりやすく不明瞭で揺れ動いていきます。
デザインの観点でみていくと、一定そういうものを扱うのがうまいと言えます。

最後に重要なのは [美意識]

ここまで揺れ動くものを扱いについて話してきましたが、なぜその扱いがうまいのでしょうか?

扱うためにはどこかに軸が必要となってきます。それはどこかにあるものではなく、自分のなかにあるものです。

最後の指針となるのが自分の中での「美意識」だと思っています。
自分が美しいと感じる心を育んでいくことが指針になっていくのです。

京都で見た東福寺の龍吟庵

最近、自分が美しいと思ったのはこの日本庭園です。
なぜ、日本庭園を見て何を美しいと思うか。

乱暴に言ってしまうと、そこに石という素材を置いているだけではあります。しかし、見る人によって様々な意味づけができる、感じることができる…龍吟庵もまさに龍を現しており、そう言われると龍の顔が見えてくるような気がします。そのように、作り手が与えるだけではなく、観賞者によって意味づけされていく、その営みが好きです。

自分も行為を与える事業やサービスをつくるのではなく、ユーザーによって新たな意味付けや営みが行われるような、そんなサービスをつくっていきたいと。日本庭園を見ながらぼんやりそんなことを考えています。

美意識を育むことと、水面のような不確かなものを観察しカタチにしていくことは相互作用があると感じています。
自分にとってのデザインというのはこういう営みの繰り返しです。


最後に

今日の話を聞いて、組織と事業のつながりに興味を持ちましたら、ぜひCULTIBASE Labを、覗いてみてくださいね。

Thank you!🤍


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