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安心とお金と #7

6週間の留学を終えて帰国へのフライトを待っている。

家に帰ったら、落ち着いてまた全体を振り返ろうと思うのだけれど、
今、そしてこのラスト1週間はとんだハプニング続きだった。

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(待ちぼうけで軽く絶望中に撮った写真)

残り3日にして、ホームステイ先のチェンジを突然宣告されたり
そのお引越しのときに迎えに来ると言われたタクシーが来なくて2時間一人で家の前で待ったり(結局タクシーが来たのはさらに一時間後だった)
大事な指輪をなくしたり(次の日見つかった)
空港までのタクシーを自分で手配することになったり
待ちぼうけがトラウマすぎて全然寝れなかったり
空港に着いたと思ったら荷物が超過していたり(これは私のミス)

今も、トランジットが一時間しかないから、大丈夫かなとドキドキしている。ダブリンに来た時はロストバゲージしたことも思い出した。大丈夫かな。

保険としてのお金

こういうハプニングにさいなまれたとき、お金と信頼というのはすごく密接に関係していると痛感した。

タクシーの手配も、荷物の超過も、あるいはフライトやホテルの予約のときに掛けるお金がどうしてあんなにもグレードが様々なのか?
そして、ほぼすべてのことはなぜお金で解決できるのか?

それはサービスよりも保険的意味合いが高いからだ。

人は(私は特に)皆、不測の事態というのに弱い。
誰だって、パニックになるし、不安になる。
そういうことが起きないでほしいと皆思っている。(でも得てしてトラブルは起こる)
そして不測の事態のときには、各方面に余計な手間や迷惑をかける。
ゆえに、その人手や手間代のためのお金が求められる。

保険代は、何も起こらなければ全く不要で、高すぎるとさえ思うけれど、痛みはやはり転んだ時にしか感じられないのだ。

その時に差し伸べてくれる手が保険であり、痛いときにさらにお金を要求されるのが、保険代を抜いたチープなサービスたちである。泣きっ面に蜂。

お金とは本当に不安定で得体のつかめないものだなあと思わされる。
安心をお金で買うとはよくいうものだけれど、私たちはこの紙切れやカードに何を求めているのだろう。助けてくれるのはいつも生きた人間で、そこにお金の価値はないのにな。

大人の世界

ビジネスとは、お金をいかに生み出し、回していくかに尽きるのだ。
何にお金を使い、何からお金を得るのか。
大人たちの世界はいつも、お金と隣り合わせだ。

目先のこと、遠くのこと、ミクロにマクロに、整理して聡明に。
ぱっぱらぱ~に見せられる余裕を持つためには、もっと賢くならなきゃいけない。うわあ、私、気づいたらめちゃくちゃ大人の世界の入り口に立っている。

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(老舗カフェのお高いケーキちゃんたち。センターは名物のブルーベリーチーズケーキ)

きっと、私の家族は、世界の持つお金のリアリティを私が感じなくていいように、根回しをしてくれていた。特別に豊かだったりラグジュアリーな+αな贅沢ではない、いつも何も「不便がないように」。そういう豊かさの中で私は生きてきた。

だから私には今回の色んなトラブルはすべて必要なトラブルだったんだと思うことにした。「今の自分を知るために来た」私に、それがどういうことかをリアルに知らしめてくれた。実際、やっぱり私は家族のお金に終始助けられていた。

学校という場所

コントロール下に置かれているというのは、窮屈なように聞こえるが、絶対的安心感もある。
今回の私でいうと、突然のステイ先変更は語学学校が対応してくれたので(会社が語学学校を経営しているので宿泊など諸々トータルでカバーされていた留学だった)、不測の事態とはいえ、スタッフさんはいつも「私たちが把握して対応するから大丈夫だよ」といってくれた。お金とかそんな心配をしなくてもよく、素直に頼れるというのは、すごく心強かった。

そういう意味で、学校というのはいつも子どもたちの安全と安心をどんな形でもカバーし、守る義務がある。

子どものころは思わなかったけれど、学生ではなくなる立場になったとき(ボランティアで学習支援現場に入ったときなど)に彼らを見ると強くそう思う。

精神的な居場所も間違いなく必要だけど、ハード面の基本的な安心や信頼は、揺るがないくらい強固にあるべきだ。私は今までそこが揺らいだ学校に出会ったことがないけれど、それってどうやって確立されるんだろう?

学校じゃなくなったら、わたしたちは何が守ってくれるんだろう?そういう意味で、国の制度は本当に足りてるんだろうか?

にほんのお金

公的なお金と安心や信頼についても、すごく関心が高まった。

ヨーロッパの税金は確かに高い。
ダブリンも物価は高かった。でも、基本的に税込価格の販売で、日本みたいに外付けじゃない。税金抜きの値段で考えたら多分ダブリンはそんなにハイコストな国じゃない。

10月から税金が上がるけれど、私たちは国として、何にお金を使うべきなんだろう。
保険として、自分じゃない人のために使われるかもしれないお金を払うのは、無駄なことなのだろうか。格差の是正と、豊かさからの搾取は、どこがちょうどいいんだろう。

お金を使うって、難しいな。
でも、皆が絶対に考えないと行けないことだから、私はもっと、ちゃんとお金のことを知りたい。国のことなら、何についてどういう話がされてるのか、報道もして欲しい。

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(アイルランドの新聞。図書館で読めた)

友達の就職先を少しずつ聞くようなってきた。皆それぞれが、色んな立場にたつとおもうと、すごく不思議だけれど、世界がまたひとつ近づいた気がして。

上手に生きれるようになりたいね。

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