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何者かになりたい僕たちは

この道が正しいのか、合っているのかわからないまま歩いてきたけれど、振り返ればちゃんと僕の歩いてきた軌跡は道になっていた 。

結局、私たちは何者かになりたいと願っている間は何者にもなれないんだと思う。誰かの真似をしたり、他の誰かにも被らない何かになりたいと もがいている間は、その「何者かに憧れている人」にしかなれなくて、結局その「何か」に名前は付けられない。

でもそうやって、もがきながら走っている間に自分のペースとかフォームとか呼吸とか、できること・できないことがわかってくる。そうして「できない自分も自分」と認めることができて初めて私は「私」になれる。

それは残念ながら私が憧れた特別な「何者」でもない。
私はやっぱり「私」にしかなれない。ちっぽけで、頼りなくて、結局世界に何かをとどろかすようなパワーや才能があるわけじゃない。ただの凡人。
かっこいい漫画の主人公や同年代のスターに憧れ、もしかしたらなれるんじゃないかと思った自分の配役は一般人Aだったと気づいたとき、少し残念な気もする。

でも、もう私は、今まで追いかけていたような「不確定な存在」ではない。
きちんと地に足のついた「今を生きる私」だと、認めることができたから。

私は誰にもなれないけれど、逆に言えば、誰も私にはなれない。

そういう風に、ある意味あきらめて、ある意味覚悟を決めて過ごしているうちに、はた目から見た人が「あなたらしいね」と形容してくれる部分ができるんじゃないか、と思う。
そういう覚悟や信念がだんだんと自分の芯といわれるものになるんじゃないか。

そうやってコツコツ自分を生きるうちに「私」という存在が周りの人に影響を与えられるようになって、そうしていつか私も他の人にとって「あの人みたいに自分もなりたい」という憧れの対象<何者か>になれるのかもしれない。

まだまだ、こんなことを語れるような存在ではないし、上手に言えないのだけれど。ふと朝思いついて、妙に納得感があったのは、自分の中でなにか一区切りついたからかもしれない。

そういえば自信って「自分を信じる」と書くんだな。


今日のBGM /コブクロ「蒼く優しく」


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