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対話って何だろう?

1 そもそも対話とは何だろう?


 ところで皆さん、最近、対話とチャレンジ、とか、対話が大切、とかよく聞きますが、
「対話」とは、どのようなものか説明できますか?
 ぼや~っと、なんとなく、「お互い腹を割って否定せずじっくり話を聞きあうのかな」と思いますよね。
少なくとも、私はそう思っていました。
 

2 青森大学佐藤淳先生の「対話」


  対話を、「お互い腹を割って否定せずじっくり話を聞き合う」だと思っていたところ、ちょうど2年ほど前に、現在は青森大学で教鞭をとられている佐藤淳先生のオンライン講演を聞くことがありました、その時、佐藤淳先生が、
「対話とはお互いの意味づけを確認するプロセスで、それを通して、新しい関係を構築する」
とおっしゃっておられたのです。
 この時、ちょっと聞きなれない単語が出てきて、軽い衝撃を受けました。
対話とは、じっくり話をするというだけではなく、意味づけの確認?新しい関係を作るとは?どういうことなのだろう?それまでも安易に「対話」という単語を使っていたけど、それだけではないかもしれない、という気付きを得たのが、この時でした。
 少し長くなりますが、佐藤淳先生のお話をもう少し引用します。
 人間同士の意見の相違は、どうしても起こってしまうものです。それは、①認知の限界(人はすべてを見れているわけではない)、②バイアス(人は偏った見方をしてしまう)、③メンタルモデル(人にはそれぞれ思考の癖がある)等が原因として挙げられます。
 一方、人間は客観的な事実ではなく、各々の意味づけを通して世界を理解しています。これを社会構成主義といいます。しかし、その意味付けは、前の3つの理由により、人によって多かれ少なかれ異なっています。例えば、ワインが半分入っているボトルを見て、「まだ半分もある」と考えるか、「もう半分しかない」と考えるかは、各々によって異なります。これは意味付けの違いの典型例です。
 この異なる意味付けを、お互いに確認し合い、さらに新しい意味づけを作っていくために必要なのが、「対話」なのです。
 「討論」と「対話」を比較するともう少しわかりやすくなります。「討論」では、自分の意見を変えず、相手を論破することを目的としているのに対し、「対話」では、意見の違いをなぜ同じかを一緒に考えて、自分の意見が変わっていくことを受け入れていくことになります。
 

3 福岡市職員の今村さんの「対話」


その後、福岡市職員の今村寛さんが、対話についての本(下記参照)を書かれまして、その本を読んでようやく少しずつ対話とはどういうものかが理解できるようになってきました。
 今村さんは、対話を「自分と相手、あるいは意見の違うもの同士が相互に理解し合うために言葉を交わすこと」としています。
 そして、そのためには、「開く…自分の持っている情報や内心を開示すること」「許す…相手の立場、見解をありのまま受け入れること」が大切であるといっておられます。
 そう、じっくり話し合うだけではなく、じっくり話し合うことで、「開く」と「許す」を行い、お互いの価値観を確認しあうところまでが必要になるのです。
さて、なぜ今対話が必要だとこんなに言われるようになっているのでしょうか。今村さんは、現役の公務員であることもあり、特に、公務員にとっての対話を以下のように書いておられます。
公務員は、多様な立場環境に置かれている市民の福祉の向上のための仕事をすることが第一の目的です。そのためには、価値観の多様な市民、企業等多くの他者とかかわりあって仕事をすることが求められます。違う立場の他者と連携し、違う価値観を持った者同士の合意形成を図り、違う文化に生きる人と協力し合うためには、価値観や物事の意味づけを確認し、調整をしていく「対話」が必要になってくるというわけです。
 

4 対話で物事は決まらない。ならなぜ必要?


 ところで、よく言われるのが、「対話で楽しく自分の考えを披露しても、何も決まらないじゃない」という意見です。
確かに、対話では、物事は決まりません。
 では、物事を決める「議論」を考えてみましょう。その議論により、ある一つの結論に達したとします。その決まった結論について、各々が、その後納得感をもって、決まったことに従わなければ、結論が出ても意味はなくなります。議論では、お互いの立場を主張することが主目的となり、相手の立場や価値観の理解は二の次三の次になってしまいます。
 そこで、議論の前に「対話」をおいてはどうでしょうか。先入観を持たず、否定も断定もしないで相手の思いを「聴く」、自分自身の立場の鎧を脱いで、心を開いて自分の思いを「語る」、この二つをあらかじめ行っておくことにより、お互いの立場を理解したうえで、それを尊重しながら、「議論」を進めることができるのではないでしょうか。
そして、そうやって決まった結論は、どういうものになったとしても、お互い腹落ちして、実行につなげられやすくなります。
 さて、いざ職場で対話をしましょう、と言っても、「ハイやろうぜ!」とははっきり言ってならないです。下手すると「対話」という単語を出すだけでアレルギー反応が出てきます。
そういう時は、「焦らず雑談から」ではないかと思います。まだ、対話をする段階に関係性がなっていないのかもしれません。雑談自体は取り留めのない内容が何かの役に立つわけでもないのですが、それを繰り返して、ある程度の関係性を作って、心理的安全性を確保したら、少しずつ、対話ができるようになるのではないかと思います。
 

5 対話は楽しい!と言われるのは


 ここまで来て、対話の重要性はわかったけれど、よく言われる、「対話は楽しい」といわれるのはなぜか、という疑問がわいてきます。
 さて、自分が、しゃべりたいことをしゃべられること、また、それをしても相手からどうも思われないという状況を考えてみてもらえませんか。
こういう状況って、すごく安心できませんか?でも、この社会の中でそれはとても特殊な場合ではないでしょうか?
 この心地よい場を意図的に作り出すのが、「対話」なのです。
「対話」の場では、すべての存在が許容されます。誰がそこにいても構わず、どのような立場であっても、そのような意見を持っていても特別扱いされません。また、話したくなければ話さなくてもいいのです。
 自分がその場にいることがその場にいる誰からも許されている心理的安全性が対話の心地よさ、楽しさにつながっているのだと思います。
 

6 では実際の対話って?


 ところで、実際の対話って、けっこうめんどくさいですし、しんどいこともあります。何しろ、自分の価値観をさらけ出して受け止めてもらうだけではなく、逆に、相手の価値観(しかも自分とは異なる、対立する)も受け止めなければならないですから。また、表に出てくる発言がすべてではなく、その下にはいろんな意図や経験、考え方のくせが隠れており、それを洞察しなければならないこと、また、人間の生存本能から、身の危険を感じると、闘争か逃走をするといわれており、話し合いの場面でも、そうなりがちです。
 例えば、個人的な経験ですが、オンラインで、こんな対話の場を経験しました。
 テーマは「公務員のキャリアについて」ということで、テーマにひかれて出席すると、いきなり、「男女に分かれてもらいます。まずは、女性から、女性のキャリア特有の話を15分間してください」とのこと。
女性の出席者自体が少なく(この時点でアレですが)、全体で15人くらいいるのに、3人くらいで、女性のキャリアの課題について、・庶務を中心に異動して、なかなか議会や庁議などの経験ができないこと、・子育てとの両立のための「マミートラック」があること、・逆に、女性活躍を逆手に「無理やり」昇進させる、等々、あげればきりはないですが、その辺を赤裸々に語りました。まあ少なくともその場は、その辺を赤裸々に語れるくらいの心理的安全性は確保されていたのですが。
 だからこそ、次のターンでは、主に男性からの、異なる価値観を赤裸々に受けることになりました。
 そもそも、昇進することを是としている概念に異を唱えること、自分の自治体ではそういうことはないということ、休暇を取る際、「子育て」が理由であることだけが有利に働き、例えば「配偶者」が理由であることはほとんど考慮されないこと。
さらには、「子育て」だけがなぜそんなに優遇されるのか、というご意見もありました。
 相手からの価値観の開示は、結構ぐっさり来ました。でも、お互いの価値観をさらけ出し、受け止め、その後、自分はどうしていこうか、と前向きに考えられるようになりました。
 少々苦い気持ちになったところもありましたが、結果的に、これまでとは違うものの見方ができるようになり、よかったなと思うことができました。
 

7 対話とは…まとめ


 ここまでの話を踏まえて、私たちが庁内でも、庁外でも、仕事をする上で様々な利害関係の方と物事を決める際のプロセスと、その中での対話の位置づけは、まとめると以下の通りになります。
対話の前に、雑談を行うことによって、関係性の構築、心理的安全性の確保をし、次に、対話を行って、情報共有、立場を超えて物事を見ること、価値観の共有と共通のビジョンの共創を作って下地を作った上で、議論を行って具体的事例の決定をすると、大変実効性のある結論を導き出すことができる、ということになります。
もちろん、仕事だけでなく、いろんな場づくりのために、対話のみを行うということもあるかと思います。
 

8 対話がうまくいかないときは


 対話は、お互いの価値観を出し、その違いを確認しながら、お互い折り合いをつけていき、違う価値観を創出する、ということだと大まかに認識できれば良いかなと思います。
そのためには、価値観をさらけ出せる「心理的安全性」と、価値観が変化しても大丈夫であることの担保が必要です。しかし、どうも、前者はともかく、価値観が変化することを「ブレる」と言って否定的にとらえる人もいます。
 この「対話をしたがらない相手との対話」というのは、なかなか厄介な課題です。対話もまた、万能ではないのです。このような認識に立てない相手と「対話」をしなければならないときはどうすればよいか、ずっと私も悩んでいます。
 これまでの結論としては、暫定的ではありますが、いわゆる「対話的ではない」相手のあり方はいったんそのまま受け止めるところから、まずはそこからかなと思っています。対話的にならない相手の価値観はまた尊重をしなければならないですから。そして、なぜ相手は対話をしたがらないのかを考えながら、探り探り少しずつ相手との間に橋を架けるべく、意志の疎通を図っていくしかないのかなと思います。
 また、対話にもマナーがあります。誰もが自由な立場で話すことが許されるのですから、時には意見の衝突が起こる可能性があります。そういう時は、大事なのは、そこでどちらが正しいかを突き詰めないこと、そして、感情的にならないことです。人と自分は違うので、意見が違うからと相手の人格を否定するようなことはしてはならないのです。
 最後に、「対話」ができているかどうか、というのは、相手を自分と対等な人格としてとらえて、平等に接することができているか、人間尊重の視点から確認することが重要です。相手に固定観念や先入観を押し付けていないか、人と人として互いに尊重し、認め合えているか、考えてみましょう。
 

9 おまけ やってみよう「対話の筋トレ」


 ここまで対話についていろいろ書いてきましたが、実際のところ、「じゃあお前できてんのかよ」と言われると、私自身もまだまだ対話ができているとは自信を持って言えず、本稿も、「こういうのができたらいいな」というのを探して書いてみたのが、正直なところです。
これをお読みの方には、是非、対話の実践をしてほしいなと思います。実践というと、職場で仕事に活かすことが最終目標ではありますが、なかなか大人の事情もありますので、例えば、同期や、同じ志を持つ仲間たちと、最近考えていることについてとか、もっと気軽なテーマでもいいので小さい単位でちょっとやってみるのはいかがでしょうか?
そういうのを繰り返していると(前述の佐藤淳先生は「対話の筋トレ」とおっしゃっていますが)いざ、仕事で使う時(例えば、地区集会とか、学校再編の説明会、新しいごみ処理施設とかの説明会等)に役に立つと思います。
また、こういう対話の場は、行政のみならず、民間の団体やNPO主催でも色々開催されてますから、広報やSNSをチェックして、まず参加してみるのもよいかもしれません。良き主催者になるためには、良き参加者になることをまずは目標にしてはどうでしょうか。
 
 なお、今は「対話」がホットワードですが、また、次のホットワードが出てくるかもしれません。その時はまた、安易に言葉だけを使うのではなく、きちんと意味や定義を考えて、使って、実践につなげたいなと思います。
 
参考文献:
『「対話」で変える公務員の仕事』 今村寛 公職研 2021年
【人マネ2020】スキルアップ「対話とは?」佐藤淳・幹事(YouYube動画)

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