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ポンコツは最強の世渡り術なのではないかと思った話

 仕事をしていると自分のポンコツ過ぎる場面によく出くわす。できたと思ったら全く的外れな資料を作成していたり、メールの宛先に不備があったり、何回も確認したと思っても入力に間違いがあったりなどなど。最初は熱心に教えようとしていた上司が段々こいつはあんまりできなそうな子だ…という顔に変化していくのをよく見かける。ポンコツで本当に申し訳ない。
 ポンコツっぷりを最大限に発揮した日は帰りの電車の中でかなり落ち込む。何であんなミスをしたんだろうから始まり、仕事に向いていないんじゃないか、この程度のことができないのでは人生が危ういのではないか、と段々ネガティブな思考の時間軸が拡張され、人生の存在まで問うてしまうから大変だ。人生とは悲劇で、この世の全てには価値あるものなどない故に平等だなどと考えだす。まあそういう時は稀で基本的には楽な仕事ないかな…と転職サイトを検索してみたり、仕事でミスしてしまった話などを調べて、案外世の中にはミスってる人多いじゃんと自分を安心させることの方が多いのだが。
 言っておきたいのが好きでポンコツをやっているのではないということだ。仕事中はミスしないように最大限気を付けているつもりだし、毎回ミスをしないようにチェックも怠らない。常に厳戒態勢で臨んでいるつもりなのに、それなのにポンコツムーブをしてしまうから悲しい。
 いっそのこと自分はポンコツであることを認めて無能であることに開き直れれば楽になれるのだろう。この世で最強の世渡り術は無能に徹することなのではないかと思う。昨今の政治家などが分かりやすいが、何を聞かれても記憶にない、回答に値しないなどという答弁すれば、質問者は呆れ果てて何も言わなくなる。無能に何を話しても無駄だとみんなが諦めて、この人に改善を求めるのは止めようとなる。あるいは可哀そうな人間を見るように妙に優しくなったりするかもしれない。その境地に辿り着けば、もう安心だ。その人には責任ある業務などは割り振られず、誰がやっても結果は同じ単純作業のみ任されることになるだろう。徹底的な無能は自然現象の如く、触らぬ神に祟りなしという具合に誰からも人間扱いされなくなるかわりに、誰からも束縛されない真の自由を手に入れるのだ!
 だが、そんなことを望む人間はあまりいないだろう。僕もそうなってまで自由を手に入れたいと思わない。やっぱり多少は周りの人間からお前やるじゃんって言われたい。多くの人も周りからの承認や何となく能動的に仕事を回している感を欲しているのではないだろうか。
 同じポンコツな人間を見たとき、僕はこの人は最強の世渡り術を前に懸命に抗っているんだと思うようになった。ポンコツはその境地に至ったら最後周りの人間から見放されつつも孤高のフリーライダーになることができるという素質を持っていながらも、最後の切り札を保持したまま凡人である優秀な人間に合わせてやっている心優しき人間なのだ。
 ポンコツ論はさておき、今日ポンコツだった人間が明日から有能人間に変貌することはない。ポンコツは一日にしてならず。僕は今日も明日も最強の世渡り術を行使できる素質を発揮しながらも、漸進的に何とか仕事を改善できないか考え続ける。
 

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