初期宮崎あおいが魅せる狂気
彼女に全盛期という言葉はない。
いつ見てもどんな役でも完璧だし、多少クセのある映画でも(あえてつまらないとは言わない)彼女が出ているだけで明らかに映画の質が向上する。
優しさに溢れる妻や20代の普通の女性の役はその美しさが遺憾無く発揮されて素晴らしいのだけど、真髄はやはり闇を抱えた役だ。
口をツンと突き出し、目の光を消す、あの表情である。
「怒り」が久しぶりに影のある役でかなり良かったのだが
特に2000年前後の作品で後に繋がる重要な二作がある。
ユリイカ(’01)がそのうちの一つだ。
バスジャックに巻き込まれて心に傷を負った少女の、不機嫌でも怒りでもない、本当に感情をなくしたかのような表情。
セピア色に近い無色彩の世界のなかほとんど台詞もないが、この映画の彼女の持つ「虚無」はいまのところ越えるものを見たことがない。
ラストが素晴らしすぎて3時間以上の閉塞感をやわらかく融解させていく。
宮崎あおいの声と表情でないとできない。
誰にも真似できない、本当の奇跡。
そのすぐ後に公開された「害虫('02)」は対照的だ。
CMや雑誌で見せるあの可愛らしさと観客の意識を釘付けにする隠された狂気の同居。
その使い分けが巧みで子供にも大人にも狂人にもなれる。
もはや魔法である。
ビー玉の入ったコップを倒すときの目はユリイカの発展のような最高の虚無を湛えているし、それ以上に最高なのが
「おばさん、さっちゃんかわいそうです」
その時、目がぎょろりと動く。
蒼井優やりょうに対してというよりも、この世そのものへの嫌悪。
観客は恐怖する。
この後の彼女にはもう人の声は届かない。
余計なお節介を焼こうとした同級生の言葉を、教室の机を引き倒し無言で遮るその暴力性。
ナンバーガールの奏でる轟音と共に、ラストに向けて加速していく狂気はあまりにも過激だが、同時に最高の笑顔がまぶしい。
そこから絶望へ変移したあと、彼女は子供のまま大人になった。
「何でもない」と言って前を見続ける目は、強い。
この二作は何度も何度も見返してしまう。
この時代の邦画特有の、虚無と狂気の濃度が特に高く
意図的に下げられたエンタメ性と相まって余計な感情を捨てて
あの時代に戻れる気がするからだ。
その中のヒロインは、やはり宮崎あおいをおいて他に居ないのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?