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インド太平洋地域に対する米軍の戦略を読み解くために

佐藤丙午(拓殖大学海外事情研究所所長・国際学部教授)

 実は日米安保条約を素直に読むと、米軍が日本の防衛に協力するかどうかは、その時の政治判断が大きく影響することがわかる。第5条で「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」とあり、第6条で「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」とある。ただ、日米両国は、この規定のもとで日米安全保障協力を深化させてきた。
 しかし今日の安全保障関係を考えると、米軍の関与の信頼性を担保するためには、それぞれが安全保障協力に積極的であったとしても、難しい事態が生じていることがわかる。
 この問題には複数の特徴があるが、ここでは「距離の専制」の問題を取り上げる。前方展開する米軍の主力は、主に海空軍と海兵隊によって構成されるが、広大なインド太平洋地域と、そこで想定される事態の特徴を考えると、米国の関与のタイミングが難しいことがわかる。このタイミングは、米本土そのものと、米軍の作戦が想定されるインド太平洋の対象地域との距離の問題に起因する。
 たとえば、米軍の即応体制が不十分である場合、米国が政治的手続きを経て関与の決断を行ったとしても、軍事的な展開のタイミングがズレ、相手国に既成事実を作られてしまう可能性がある。さらに、相手国にしても、米軍の関与は避けたいと考えるので、米軍がフルコミットしない程度に事態をコントロールしようとする。そうなると、米軍が「正規」に関与するための政治決断が難しくなるように、米国の直接的な利益と、域内各国の利害関心を切り離すように動くだろう。
 この問題を解決する方策の一つが、日米間で進められている「グレーゾーン」事態での安全保障協力の推進である。これは、有事と平時の境界を明確にするのではなく、可能な限り境界を曖昧なものと規定し、平時に発生する軍事的緊張の段階から米国の軍事的な関与を担保する措置を増やす、ということになる。もちろん、日本防衛は自衛隊の役割なのだが、有事に至る前の段階の想定を増加させ、そこでの日米防衛協力や、場合によっては域内諸国との協力関係を構築することは、米国の関与に対する信頼性を高める効果を生む。
 そして、もう一つの方策が、海兵隊が進める機動展開前進基地作戦(EABO)や、陸軍のマルチドメイン作戦構想(MDO)、海軍の分散海洋作戦(DMO)などになる。これら作戦構想は、インド太平洋軍が進める太平洋抑止イニシアチブ(PDI)の重要な構成要素である。これら各軍の戦略を理解するためには、いくつかのキーワードが存在する。それらは、「小規模」、「機動力」、「展開力」、「戦術的兵站」などであろうか。つまり、米軍や米国の同盟国が、相手国のミサイル等の射程内に存在する状態では、相手の攻撃(反撃)に耐え、或いは回避して島嶼などから対地攻撃を連続的に行うという方法を採用することを企図するものとなる。これは、展開可能な拠点を複数確保し、そこを戦域防衛や米軍自身や同盟国との協力で守りながら、長射程ミサイル攻撃を実施する、というのが具体的な形になるだろうか。
 日本では、海兵隊の再編との関連で、特にEABOが注目されている。EABOは海軍戦略を相互に補完する一部として構想され、2019年と2023年にマニュアルが公表されている。そのして日米関係の文脈では、EABOが具体的に推進されるプロセスの一部として、2023年1月の日米2+2後の共同発表文書において示された「同盟の態勢の最適化」の中に、第3海兵師団司令部および第12海兵連隊の沖縄残留と、2025年までに同連隊を第12海兵沿岸連隊(MLR)に改編することが示されている。MLRは約3000人規模の部隊とされ、最初にハワイの連隊、そして次に沖縄の連隊が改編されることになった。
 MLRは、相手国の海域拒否(Sea Denial)作戦に対抗する海軍の作戦を補完する機能が期待されており、島嶼部における沿岸からの地対艦攻撃の役割の一部を担う。EABO自体は、有事における作戦を効果的にすることを目的とした、平時における米軍および同盟諸国の関与の拠点を確保することを目的にしているため、そこに常時駐留が前提となるわけではない。従って、MLRは敵の射程圏内で作戦を行う「インサイド部隊」ではあるが、事態の列度に応じた部隊の展開の程度を柔軟に調整できるようにしておくことが必要となり、小規模で兵站が確保された上での機動展開力の保持が鍵になる。
EABOは米軍のインド太平洋戦略の重要な柱であり、PDIの一部として機能することは前述した。PDIはインド太平洋における米軍の態勢を規定するものであり、域内各国との協力体制の重要性を強調する内容であった。域内各国との協力の具体的な内容として、共同訓練や演習などを重視する姿勢が示されている。その姿勢はEABOにも貫徹されており、その作戦を可能にするために、拠点の確保、演習、配備、作戦運用などのメニューの実践において、米軍単独で行うことに加え、同盟協力や、同盟国や友好国の支援などが必要とされている。
 つまり、EABOは広義な意味での地域における抑止体制の構築を目指すものであり、第一義的に外交手段としての機能が期待されていることがわかる。もちろん、米軍の前方展開戦略には、米国の決意と能力を示すことで紛争の未然防止を図る側面があり、米国のインド太平洋戦略の本質は変化していないということも可能であろう。ただ、このような米国の戦略の変化は、実際に米軍や自衛隊を物理的に受け入れる地域にすると、不安を覚えたとしても不思議ではない。
 日本で言えば、沖縄県や鹿児島県では、日米両国に加え、インド太平洋の同盟国や友好国の軍事的な存在感を感じることが増加するであろう。鹿児島県の鹿屋基地にRQ9を試験配備し、その後沖縄に移動させたことは米軍の戦略変化の一端を見ることができたケースであるし、二国間及び多国間の共同演習の増加も、上記の視点で見ると理解しやすい。ただ、分散配備と機動展開による抑止の強化は、各地域にすると、短期的には軍事的プレゼンスの拡大と感じることになるだろう。米国や同盟国と友好国の活動の活発化に対応し、相手国側も牽制や圧力を高めていくだろう。そうなると、軍事衝突の危険性が高まっていると感じるようになるのも当然である。
 このような状態が、対立と強調が連続する、「紛争の連続(conflict continuum)」の本質的なのであれば、それは国際政治の現実として受け入れる必要があるのだろう。ただ、それを受け入れるプロセスには、その成否の見通しを含め、戦略の変化に対する認識共有など、さまざまな手続きが必要になる。それを含め、米国の戦略の変化の方向性と内容を注視してゆく必要がある。