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上司を殴る準備ができたなら。


世間の働く方々は、何回ほど上司や後輩同僚を本気で殴りたいと思ったことがあるんでしょうか?

笑えるくらいに鮮明に、スローモーションなんかも付けたりして、
憎たらしい上司の顔へ、大きく手を振りかぶるそのシーンを
頭の中でイメージしたことがありますか?


もちろん、行動を移すほどの勇気は無い方がいいし、
そもそも実際されたこと・言われた嫌な言葉を振り返ると、

「そんなに心を裂く必要がなかったな」と、
大きな問題ではない事が多い気がします。


自分のプライドを少しなだめてあげて、”時間” と ”今と異なる環境” を作ると、大概ヘッチャラなことがほとんどかと思います。


ただ、それが私にはとっても難しい・・・・

その在職中に、その時その瞬間に、”心の折り合い”を付けるのが、
ほんっっっっとに、難しい。

ひとりの人間として、嫌いになっちゃう。

結局のところ、

なんの仕事をやろうとも、 “人間関係” と “自分がどう納得するか”。これがクリアになるだけで、人生における仕事の密度がグッと上がる気がします。

・・・どうすればいいんでしょうか?

働く人生の先輩方、どうか教えて下さい。


私は、新卒で広告代理店に入り、営業を数年やっておりまして、
その後事業会社の宣伝部に転職、という感じで歩んできました。

元より考え込み、自意識過剰になりすぎる性格で
人からの評価は気にしまくり、

「あんまり怒られたくないなあ。」と
うまくやろう上手くやろう!というタイプと嫌になるくらい自覚しています。

就職をしてから、
更に気がキツくなったし、イライラすることも多くなったし、       不安になることも増えました。
今もそうだし、直したい真っ最中です。
ただ、「まぁ、こんなもんかな~」と、
修正を繰り返しながら、生きていこう。と今は思います。

(肩の力を抜こう!抜こう!と、これまた必死になっているのは否めませんが。)


代理店時代、
上司とクライアント先へ向かうため、地上からメトロの改札へと続く階段を 降りながら、一歩後ろに控えた私はよく心の中で思っていました。


「ああ、このまま上司の後頭部を蹴って、走り去りたい。」と。

そんな危ないことを考えたのは、もちろん一度だけではありません。

私は自分がもしかすると園子温監督のような
バイオレンスな表現ができるんじゃないか、と疑うくらい
ハッキリと蹴って殴り倒すイメージをしてました。

疲れた足にヒールを履いた自分よりも、ずっと背が高く
普段上から目線で態度のでかい上司。

だからこそ、物理的に見下ろすことができて背後をとれる”営業同行”という名の絶好の機会は、ゾクゾクする事の繰り返しでした。

JR四ツ谷駅構内の乗り換えのエスカレーター。新橋から汐留方面に向かう下りの狭い階段。恵比寿の西口に向かう長めのエスカレーター・・・

色々な場所に行けて、土地勘も自然と身に付く営業という仕事は、
目を瞑らなくとも色濃く思い出される、
各駅のエスカレーターから見下ろした上司のかなり薄くなった、憎たらしい後頭部の記憶を与えてくれました。


やはり慣れっていうのは怖いものです。

自分を楽にするとともに、退化への入り口に手を掛けることになります。

あんなに明るく返事していた配属初期がウソだったみたいに
どんどん生意気に、人の事を嫌う余裕がでてきます。


今となっては、「なんであんな嫌いだったんだろうなあ」と思います。

勿論ハッキリとイヤだったなということはいくつかあるし、
今でも絶対に許せないこともありますが、

それよりも、嗚呼もっと人を嫌い憎むよりも、自分のために脳みそを使えば良かった。というのが本音です。


代理店時代、よく面倒を見てくれていた他部署の先輩お姉さまが、

「コップが目の前にあります。
 今、そのコップの中の水は表面溢れるギリギリに、
 上司を嫌いな事でいっぱいになっているけど、
 その水を勝手にいっぱいにしたのは自分自身だよ。」
「本当に自分が向き合わないといけないことは別なんじゃない?
 自分のために頭を使いなさい。」と。

当時自分が担当していたクライアントに何回企画提案をしても通りませんでした。
私は、そのお姉さまにたくさん愚痴を言ってました。

「その企業のマーケ部の決裁者が頑固でやりにくいから通りにくい~」
「予算が薄いブランドだから、この企画を当てても意味ない」

そのたびに教えてくれました。

「ほらまた、自分のコップ一杯に
 勝手にその企業の余分な情報、先入観、出来ないことでいっぱいにして、
本当の目的を取りこぼしてるよ。
目線を変えて、まずはコップの中の余計な情報をすべて捨てて目線を変えなさい。」

飲み癖は悪く、あまり人に聞かれたくない相談をしているのに、大きな声で返事してしまうお姉さまでしたが、

今になって、その言葉の意味を痛感します。


休職するつもりはなく、ただ上司への憎みが破裂しそうで堪らない時には、

いかに、自分の思考をコントロールしてあげるのか。

誰かを憎むために職場に行っている訳ではなくて、今自分にとって本当すべきことに少し向き合ってみる。

ということを、

簡単に出来なくとも、今すぐには出来なくとも、

上手く切り替えられなくとも、毎日少しでも意識をしていくことが大事だったんだと思います。



noteを最近登録をして、いろんな方の記事を読んでみました。

この記事にも書いてしまいましたが、
「もっとこうしたらよくなるよ~」とか「こうすべきだよ~」というのも
読みすぎると、疲れちゃいます。

だって、書いてあることを出来れば苦労しないし、どんな記事を読んでもみんなが一生懸命、充実感を持って働いているように感じてしまうからです。


まあ本当になんとかしないといけない時に考えても良いですし、
そういう時にしか、本当の意味で切り替えや決断ってできないもんだと思います。

結局どんなに何かを読んだとしても、言われたとしても、

自覚してからではないと、動き出せないものです。

そして、

結局こんな事をつらつら書きながらも
絶賛、今でもどつきたい上司や後輩もいるもんです。


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