キミに届け

キミがいる世界への入口①

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ぼくの記憶が薄れないうちに、ポッリポッリとキミのことを書いて、残しておこうと思う。
小説の形式を借りて、事実をそのまま書くつもりだけど、当然、差し障りのある人も出そうなので、わからないように名称や仕事内容などは変えて書くつもりだ。飽きっぽい性格のぼくだから、途中で投げだすかもしれない。それはそれでいいかな、と思っている。
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キミの手を初めて握った日

小田急線の祖師ヶ谷駅に着いたとき、時計は午後6時を少し過ぎていた。空はどんよりと曇っていたけど、まだ日が暮れるのには時間がかかりそう。
キミは、改札口の前でクルリと振り向くと、「送ってくれなくていいから」と、さっさと一人で改札を抜けた。キミの家は、駅から歩いて15分ほどのところにある。いつもだったらおとなしくキミの言葉に従って、そのまま見送っていたけど、その日は別れるのがイヤで、追いかけて改札を出た。

商店街の人混みのなかを、キミはスキップするように歩いていた。髪をポニーテールに束ね、背中には小さなリュックを背負っている。身長が高くないキミが、まっすぐ伸ばした腕を大きく振って歩く姿は、遠足に出かける小学生のよう。
「あらら、来ちゃったの」
横に並んだぼくをみて、母親が子どもを叱るように、睨むような目をした。年齢はそんなに違わないのに、まるっきり年下のように扱っておもしろがっている。25歳と27歳。ほとんど差がないじゃないか。
「帰っても暇だから」
「暇で送ってもらっても、ちっともうれしくない。私が困るの知ってるでしょ」
「そうだけと…」
ぼくは、悲しそうな顔をして、うつむいて歩く。
「しようがないなー。もう少し私から離れて歩いてよ。ほら、離れて、離れて」
ぼくは歩調をゆるめ、キミから2、3メートル後ろに下がった。キミは、祖師ヶ谷で家電店を営んでいる両親と一緒に暮らしている。デザイン事務所に勤めているけど、休みの日には店の仕事も手伝っていて、地元には顔見知りのお客さんがいっぱいいる。だから、地元では、ぼくと一緒に安心して歩けない。で、いつもは、駅で別れた。一度だけ、夜遅い時間帯にキミを家までボディガードとして送ったことがり、道順は知っている。

キミはときどき振り返り、「帰れ、帰れ」というふうな手振りをした。子どもを追いやるような仕草で、それがまたいい。無視して、通りの左右に連なる商店を見ながら、キミについてゆく。楽しい。
駅前からのびる商店街は、祖師ヶ谷ショッピングロードの名称がある。とんかつ屋、蕎麦屋、書店、居酒屋、パチンコ屋、スーパー、ドラッグストアなどが連なり、まだまだ活気があった。通りを歩く人々の顔は、日曜日のせいか、のんびりしていた。
店の連なりは、駅から1キロほどで途切れ、その先は通りの右側に5階建ての棟が建ち並ぶ公営団地、左側に一戸建ての住宅が密集している、住宅街になっていた。

「火事かしら」
キミがたずねるようにぼくをみた。耳をすませると、サイレンの音がかすかに聞こえる。駅の方向からしている。
ぼくは、チャンスだと思い、キミとの距離を縮めて横に並び、「どこだろう」といった。
サイレンの音がハッキリ聞こえてくる。近づいている。ぼくたちがいま歩いてきた通りの先から、赤いポンプ消防車がみえてきた。
ぼくたちは、ドラッグストアの店先に避けた。
「相当、大きな火事のようだね、さっきから何台も消防車が通ってるよ」
白衣を着た、白髪の店主らしき男が、店から出てきて、こちらに向かってくる消防車を見ながら呟いた。
男のほうをみて、ぼくは軽く頭を下げた。そして、店先で、赤色灯を回転させて通り過ぎてゆく消防車をやり過ごした。
消防車は500メートルほど先で、左に曲がり、見えなくなった。4、5人の野次馬がそのあとを追いかけゆく。

「火事、うちかも」
通りの中央に出て、消防車が消えた方向をみながら、キミがいった。
キミの自宅兼家電店は、消防車が曲がった同じ路地を入った先にある。ちょうどキミの家がある方向の空は、黄色く霞んでいる。日が沈みそうだった。
「まさか、そんなことないだろ」
ぼくは笑顔をみせていたけど、内心は少し不安だった。実際、消防車のサイレンは、路地を入ってそんなに経たないうちに聞こえなくなっていた。
「うちよ、きっと」
キミは断定口調でいい、すぐに歩き出した。不安が増してくるのか、歩調が早くなり、なにかに急かされるように走り出した。団地側の歩道は桜が続いていて、葉が風に揺れ、ざわざわとざわめいた。
「心配ない、大丈夫だよ」
キミの横を走りながらいった。そんなことあるわけがない。

消防車が入っていった路地に飛び込むとすぐ、右斜め前の家の上空が、やけに黒いことに気がついた。スモッグに似た、黒い靄がドーム状に覆っている。ちょうどその真下あたりにキミの家がある。
キミも気づいたらしく、立ち止まった。
「やっぱり、そうだ」
いまにも泣きそうな声になっている。
「まだ、わからない」
ぼくはキミの手をとり、促すように走った。とても柔らかい、マシュマロのような手だった。ドキドキしていた。こんなときにぼくは、なんてやつなんだ。でも、キミの手を握るのは初めてなんだから、しょうがないよね。

次の角を曲がったとき、慌ててつないでいた手を離した。路地の左側に、5、6人の主婦が集まって熱心に話しこんでいたのだ。こつちをみて、急に話をやめた。ぼくたちの噂話をしていたように感じられ、不吉な予感がした。
主婦たちの前を走り抜け、道なりに曲がると、 和風の住宅に挟まれた道は赤い消防車でふさがれていた。何台もの消防車が列をつくって止まっている。消防車と建物の隙間には、家から飛び出してきた人々が呆然と同じ方向を見ていた。
その先には、真っ黒い煙りを立ちのぼらせているキミの家があった。

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もうずいぶん昔のことなのに、人間の記憶って不思議だ、細部まで覚えている。キミの手を握ったときの感触も、息づかいも。書いた文章を推敲すれば推敲するほど、ハッキリしてくる。
4月11日、その祖師ヶ谷を訪れた。もう20年以上はきていない。駅前はすっかり当時とは様変わりしているけど、キミの家があった場所に近づけば近づくほど、面影が残っていた。
商店街を歩いていると、鳥の声が盛んに聞こえるので見まわしたら、ツバメだった。商店の日よけテントの下で巣作りしている。もう寒い季節は過ぎたんだ、と思った。
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マンガだけに集中した生活ができたら!! 夢はいつか現実しますか? 私はあなたに何をバトンタッチできるでしょうか。