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ケアマネとして成長させていただいた17年

障害者支援に向かないと思った私は、すでに取得していたケアマネ資格を活用したいと考え、地元に戻って開業医が併設している事業所へ就職しました。
「医学モデル」を敬遠していた時期もあった私でしたが、「社会モデル」のあいまいさにも疑問を感じていました。医療知識の絶対的な不足を思い知らされた私は医療法人に飛び込むことで自分の弱みをカバーしたいと思ったのです。

そこのDr.との最初の出会いは、私がケアマネ資格を取得するための研修で、皆の前で「自主的に勉強会をしましょう」と訴えかけていた姿です。とても熱心な先生でした。
今でこそ「在宅医療」を知らない人はいませんが、この診療所は1980年代から(40年前!)それを実践していました。また、訪問看護も医療報酬がつかない頃から、さらに浴槽を自宅に持って行き、入浴させる「訪問入浴」までも!

この記事を書いてても、改めて先生の先見の明とボランティア精神に頭が下がります。

転職した2002年、介護保険制度が始まって3年め、ケアマネジメントでも先導者的な役割を担っていた、この事業所でケアマネジメントに必要な知識や技術を学びました。
看護職の直属の上司も全国的に著名な人で、盤石な医療知識をベースに、柔らかな物腰や周囲を巻き込むリーダーシップを持ち、その人に一から教えていただいた財産は、今の私のすべてと言っていいぐらいの人でした。

その医療法人に私が籍をおいたのは17年。その間に、日々の実践はもちろん、県内の公益団体の事務局を務めさせていただいたり、東京の大学院でゲストスピーカーをさせていただいたり、県内の学会で賞をいただいたり、ケアマネ雑誌に原稿を書かせていただいたり、とプチ自慢したいようなこともたくさん経験しました。

ほんとうに成長させていただきました。

しかし、どうしてそんな職場を退職したのかというと、自分自身のケアマネジメント業務にマンネリを感じていたのだろうと思います。

レベルの高い医療、看護、介護の仲間に囲まれて、なるほどケアマネジメントはやりやすい環境でしたが、自分が活躍できているのは自分自身の力なのか?周囲に助けられているだけじゃないだろうか?そんな環境に甘えてあぐらをかいているだけじゃないのか?

そこで目指したのは現場の介護職でした。

高齢者支援と言っても私の高齢者介護の経験は学校を卒業してからの、わずか4年ほど。約30年前の介護技術しか知らない私は、だんだんと介護現場に負い目を感じていったように思います。介護の実態を肌身に感じていない私がケアマネジャーとして介護職とともに良い仕事はできないと思いました。

このときは、もちろん「いばらの道を進んでる」なんて思ってもいません笑

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