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白トラ参8 天井すれすれの家に誰が住んでるのか

 今思うと、白へびに遭遇したくらいの頃と時を同じくして、天井すれすれの家に目が着くようになった。

 天井すれすれの家というのは、神棚のことだ。

 当時の白へびにはどう見ても誰か居そうだった。ご飯や昆布、お野菜が置いてあったからだ。御菓子が置いてあることもあった。

 大人に「あそこに誰がすんでるの?」と聞いたこともあった。

 天井すれすれに家が在る家と無い家があった。

 真の人生観に目覚めていくとき、やはり神棚を作った。それも『真の人生観に目覚める』と思って神棚を作ったわけじゃなかった。

 でも、幼少期に気になっていたことというのは案外『自らを真の人生観に導くカギそのモノ』だったといえるのではないか?

 生まれて十数年も人間やってれば、遅かれ早かれ他者と自分を比べたり、色々と重たい感情をしょい込んで行き、自分で自分を把握出来なくなっていったりしていく人が大多数だ。無論自分もそうだった。
 日本の社会システムもそうなっているが、今はそれは置いといて。

 目を覚ますというのは何もスピ系に限った話じゃ無い。十分現実なのだ。

 特撮や戦う系のアニメでよく目にする描写に、師匠や神が主人公に『使命感なんて捨てろ』『戦い続けろ、そうすればいずれ答えが出るだろう』というのがある。
 一般の人に『戦う』ことを伝えているわけではない。あくまで、自分が置かれた場所でその都度やるべきことをただ淡々とやり続けることを言っているのだ。

 サラリーマンをただひたすら続けていくことで目覚めていく人もいる
 フリーターだったり、農家さんだったり、浮世離れした生活をしているひとだったり‥
 みなそれぞれに置かれた場所で、良質なストレスの中で目を覚ましていく。

 因みに『目を覚ます』とは、なにも『エスパー』や『全知全能』になることを言うのではない。『真の人生観に気付く』ことを言っている。真の人生観に目を覚ますと、『出来ない・動けない』という思考ではなくなっていく。

 そうしているときに、『しんどい』『つらい』『おもしろくない』とか思っていると目覚めを遠のかせてしまう。

 この地球上においては、基本何もかもが面白いこと‥らしいからだ。しかし、重力圏内にいるとどうしても重たい感情を発動するように人間の仕組みがなっている。どんなにスピ系で感情を手放しても、感情は感じる。

 ちなみにスピ系で感情を手放せと言っているのは、それくらいの言い方をしないと万人に伝わらないからに他ならない。

 何を隠そうこの白へびもそういう教室に通ったことがあるのだ。白へびが通ったところはその中でも現実を十分直視した教室だったと思うが‥、それはさておき

 つづく