景色

僕の留学は死んだ

贖い

なぜこんなにネガティブな文言で始まったか。それは後々読んでいただければ分かっていただけると思います。今日は演劇ではなく、留学のことについて記します。今後留学という枠組みでオランダのことについて記すかは、まだ僕も決めかねています。オランダは、写真でも分かるように非常に美しい国ですし、僕の第六感を刺激してくれました。貴重な経験もできましたし、そのスポンサーになっていただいた親には多大な感謝をしています。残りの2ヶ月も、僕の感性を震わせてくれることを期待して止まないのですが、留学という観点で見ると、正直僕の留学生活は他の留学生と比べると、大鋸屑(おがくず)程度にも感じられます。勿論、留学は人それぞれ違う。ですから、他人と比べることは愚かなことだと教わりました。実際、それは正しいと思います。しかしながら、僕の留学は自分で見た時に、あまりにも留学前の理想とかけ離れていました。そして自分の甘さを突き付けられた僕のすることは、ここに贖罪を果たすことだったのです。

僕は、特別になりたかったんだ

そもそも僕が何故留学をしようと思ったのか。正直、海外に対する興味、関心、そして外国語を習得することへの意欲は皆無でした。では何故か。もともとは、僕の母が高校時代に、僕と同じ団体で高校留学を経験していました。母は、僕が小学生の頃から留学当時のことを話しており、中学3年生になる頃には、高校留学という単語が、現実味を若干ながらも帯びてきていました。母は「したくなかったらしなくてもいいんだよ。それはかいせいの自由。」と言っていましたが、「行かない。」と言うと今後ずっと見下され続けるような雰囲気と圧を、15歳の僕は感じていました。母は俗世間から見ると優秀な部類に入ります。そんな母を将来的に超えていくためには、まず同じ土俵に立つしかないと思い、半分強がって留学を決めました。さらに僕は子供の頃から注目を浴びたい存在であり、高校留学というかなり珍しい経験をすれば、学校で注目を浴びることができる。という安易すぎる考えが、暴風ほどの猛烈な風となり、僕の背中を押しました。かくして僕は、留学試験を受けることを決定しました。2017年2月末のことだと記憶しています。

才能は僕を締め付けた

留学の試験は6月の半ばにあるので、僕は時期的にも部活が落ち着いてくる頃で、4月から怒涛の勢いで勉強を開始しました。僕の利用した留学斡旋団体、AFSの留学の試験は、ELTiSと呼ばれている英語の試験、それと一般教養試験、さらに面接で終了します。英語の試験はかなり難関で、少なくともGMARCHレベルの英語の試験(あるいはもう少し上のレベルかもしれません。)を受ける必要がありました。合格基準は国によって異なるのですが、例えばアメリカの場合は8割が最低ラインになっています。僕は母がアメリカ派遣だったこともあり、なんだかんだ世界はアメリカかなあ。と思いアメリカを第1希望にしましたが、正答率2%ほど足りず、結局第2希望のオランダに引っ掛かりました。今思えば、オランダでよかったなあ。と思います。

早速僕は、留学の準備を始めました。親には有難いことにお金を出していただき、オランダ語の個人レッスンを受けさせて頂きました。僕は父親の遺伝で、生まれつき耳がいいという才能がありました、耳がいいといいのは、音を正確に聴き取る力があるということてす。父は、あまり外国語を勉強したことがないと言っていましたが、僕がふざけて喋ったオランダ語を、ほぼ完璧な発音で返してきます。僕はその才能のおかげで、オランダ語の先生から発音を褒めて頂き、素質があり頼もしいという言葉を頂きました。しかし、前記した通り、僕は外国語を勉強することへの意欲がほぼ皆無に等しかったのです。それにも関わらず、僕の語学力はほんの少しの努力で、飛躍的に上達していきました。しかし、いくら言葉ができても、外国に適応するのは難しく、文化とのギャップに苦しんでいきました。(正確には違うのですが、長くなるので割愛します。)言語ができることは、プレッシャーになっていたのかもしれません。オランダでも、上手い上手いと褒められ、更にプレッシャーがのしかかった僕の心の線は、ピアノ線が切れるかのように、プツンと切れました。

歯車は狂っていた

僕の留学のプランには、明らかな欠陥、問題点がありました。結論から申し上げます。僕の留学の問題点は、行くことが目的になっていたことです。行って何をするか、本当にノープランでした。「~をしたいから留学をしたい。」そう思っている人に比べて、僕の留学は中身も薄いものになりますし、合格した時点で目標に到達してしまった僕は、気づかないうちに虚無感を感じ始め、迷いが生まれていたのでしょう。現に留学がしたくても、奨学金がないから行けない。そう言って泣く泣く諦めた子も見てきました。そういう子たちにも、親にも申し訳ないと思っています。

しかし母は、そして留学経験者は口を揃えて、「留学に行く理由はどうでもいい。行くことで学びがある。」間違いではないと思いますが、所詮人の経験なので一定な法則性は無く、100%当てはまることはありません。確かに僕もオランダに来て適応をする努力をしてきましたので、成長は勿論しています。ですが、僕のような人間は、留学で人生を180度変えるような経験をすることは100%不可能です。なぜかと申しますと、留学先でやることや、目的をしっかりと持っている人は、その目標に到達するための努力を一生懸命します。そのような空気は周りにも伝染するので、人も寄ってきます。内面は外見に反映されてきます。僕はオランダでも勿論友達はいますが、親友というのですかね。ずっとこいつといる。みたいな友達はいません。しかしこれは当然かもしれません。そもそも僕は日本でも、一人でいることの方が楽しいと思う、ボッチ気質が強い人間でした。僕からは自然と、人を寄せ付けないオーラが出ているのでしょう。母の言葉で覚えているものがあります。「日本でできないことは、海外でもできない。」当時は強がって、できると言い聞かせていましたが、できませんでした。母は正しかったのです。

このような経緯で、僕はオランダにいる意義を失いました。いることが大事、いることが大事、相談する相手は口を揃えて僕に頑張れと言います。でも、いてどうするんだ?その思いが毎日のように僕を襲いました。留学に来た当初は、目的は薄っぺらい中身のないものであったものの、強がって心の弱さに蓋をして、掴めそうで掴めない何かを追い求めて必死でした。しかし、語学力の向上、時の流れと共にその必死さは消え、残ったのは虚無感でした。いつの頃からか、思考はとぐろを巻き、マイナスに傾いていったのでしょうか。意味のないことをしているような気がする。そう思っていたのが、2019年3月のことです。

これからの留学生に、僕が残すもの

僕はまだ、2ヶ月ほどの留学期間が残っていますが、乗り切る気力があるかは、正直ギリギリです。今は惰性でも、普通に毎日を過ごすことが目標です。それだけで十分だと思うし、それだけでも十分大変だと感じます。部活を同期と全うしたかった。そう思います。自分が甘い考えで留学すると言い出したせいで、同期には迷惑をかけました。そこは謝罪をいつかしたいです。また、期待をもってスポンサーになってくれた親には、あまり望ましくない終結になりそうなことを、謝罪します。

僕自身に関しては、海外生活は僕には合わないという確信に至りました。自分の事を知れただけで、僕は嬉しいです。自分を一番大切にしたいから、留学の軌跡に後悔はないです。そこからでた結論は、僕に自分を見つめる機会を与えてくれました。

これをもって、僕の贖いを終えたいと思います。

最後に、未来の留学生に向けて、僕からメッセージです。

必ず、しっかりとした目的をもって留学に行ってください。なんとなくで行っても確かに友達はできるし、多少の成長もある。でも客観的に周りを見ると、日本にいるときと、人間関係などの自分を取り巻く環境はほとんど変わらず、意義を見出せなくなってしまう。目的のない留学は死を意味している。僕の留学は随分前に死んでしまったが、これから留学する君たちは、まだスタートラインにも立っていない。しっかりとした目的を持っていれば、言語力が全く無くても、それ以上に価値のある準備運動になる。マラソンは始まったらゴールするまでは止まれない。目的をしっかり持ち、それを大切にしてください。ゴールテープを切り日本に帰って来た時、目の前に希望の大海が広がっているように。


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