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フィルムカメラリバイバルと「写真を撮る」という行為について

最近フィルムカメラリバイバルを感じている。  プロダクトスタジオで、ちょっとした作業をしているとジャキ!ベーっというフィルム自動巻き上げ特有の音が聞こえてきた。

知っているだけでも10人くらいはコンパクトフィルムカメラを持っている。嬉しいような、なんというか、、な気分である。

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学祭が開祭され、道行く人の腕やポケットをみてみると、Konica BIG miniだ!OLYMPUS penだ!!フジのナチュラクラシカルだ!!とカメラオタクがワクワクするような物を持っていた。

さて、どうしてコンパクトフィルムカメラがブームになっているのか。その理由は3つではないかとさめは考える。まず一つ目

1  インスタグラムのフィルター効果からホンモノへの誘引

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まずフィルム流行のきっかけとしてインスタグラムのフィルム風フィルターから誘引されたと考える。

当初インスタグラムの加工は低画質な画像を「まぁみれる」ようにするためのツールであった。それが、iphoneカメラの高性能化とともに撮影者の感情を共有するための推進剤へと変容した。しかし、どこまで行っても「ホンモノ」ではないとユーザーは全員知っている。そのため、ホンモノを撮るためコンパクトフィルムカメラを手にしたのではないかと考える。

2  心象風景を撮れる

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sns社会の普及ともに写真を撮る行為の目的が変容した。写真の目的が日常を美しく切り取ることから、日常のその場で感じた感覚のまま共有することになったのではないかと考える。そのために、フィルムの持つ独特の雰囲気が一役買っている。これは富士フィルムのチェキにも同じことが言える。

3  解像主義の揺り戻し 

(これは大きな要因ではないと思う) 

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解像度主義は、自分がより高い機材を持っていることを主張するステータス的意味合いを持ちつつある。snsを利用し写真を撮る行為の本質が、「自慢」ではなく「共有」になってきている今、解像主義はオトナのちょっといい趣味で、心象主義は若者の共通のコンセプトになるのではないかと予想している。

長々と書いたが、つまり

「撮る人の感情をリアルに表現できる媒体がフィルムカメラだ」

ということをsnsのフィルター効果の延長線上で若い人が気づいたということである。 ここでいう「リアル」は、解像度バチバチのスーパーリアリズム的「リアル」ではなく、人間の感覚に訴えかける「なにか」を正確に表現できるという意味での「リアル」である。

西洋美術的にいうと写実主義のあと、凄まじい解像度を持ったカロタイプ(鶏卵紙を使った写真)が発明され、モネなどの感覚に訴える抽象主義が流行した文脈になにか近いものを感じる。