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暮らしのタイムラプス

終電間際の空いた電車が好きだ。電車を降り、心なしか通勤風景よりもゆったりと歩いて家路に就く、その歩幅も。
 
さっきまで業務でパソコンとにらめっこを続けていたからか、スマホを含む電子機器に触れようとする気はさらさら起きない。
辺りを見渡すと、乗客一人ひとりが思い思いの時を過ごしている。疲れのせいか熟睡している仕事帰りの若者。肩を寄せ合って仲睦まじく小声で談笑する男女。単語帳を熱心に読み込む将来が楽しみな学生。
 
こうして見ず知らずの人たちと空間をともにする車内が、ふとした瞬間に愛おしく思う。
朝は眠気と仕事に向かう憂鬱な気持ちに押しつぶされて気づけなかった風景が、そこには存在している。別に今に始まったわけでもなんでもなく、単に気づいていなかっただけで、その景色は電車に乗った回数だけ僕の周りに在り続ける。電車に乗った回数だけ、酸いも甘いも染みこんだその背中を、本当は何度も見かけているはずなのだ。

しかし、そうした他人に対して、「これまでの人生、どんな風でしたか?」と深く聞き込みをしたことなどないし、今後もするわけにもいかないのだから、こうした妄想を密かに膨らませている。もし反対に誰かから同じ質問をされたら、自身の人生は後ろめたいことばかりだったから、申し訳なさを忍ばせながらもその貴重な取材を断ってしまうかもしれない。

 
僕にはかつて、数ヶ月の無職期間があった。
お世辞にも立派とは言えない経歴。そうした道を選んだのはまがいもなく僕だし、生涯背負い続けるのもほかでもない自分自身。
社会に出てからというもの、心の色々な場所に傷を作り、痛い目もそれなりに、いや、もしかしたら人並み以上に遭ってきたのかもしれない。でも、だからこそ、僕は今の居場所を見つけられたのだと思うし、もしタイムマシンで過去を自由自在に飛び回れたとしても、きっと僕は性懲りもなく同じ道を歩もうとするだろう。効率よりも回り道の景色を好む、実に僕らしい選択だ。
 
そうした過去があるからこそ、今こうして仕事にありつけるのはありがたい。
そんなようなことを、仕事に追われている時はつい忘れてしまいがちだから意識的に思い出すようにしている。忙しくなると僕のキャパシティはたちまち満杯になってしまい、みな溢れさせまいとしている中身を恥ずかしげもなくこぼしてしまうからだ。
業務スピードが早いとは言い難いし、だからといってほかの所でリカバーできるほどの長所もない。優秀な人材に指を差されて「君は凡人以下の能力だ」ときっぱり言われても、きっと仕方のないことだろう。
 
未だ正しく認識できていない可能性もあるのは承知で書くが、「労働とは基本的につらい行為なのではないか?」と、今さらになって思っている。
使い古された言葉を借りるなら、職場は学校ではないし、雇われの身であれば事業主に貢献して初めて存在価値を認められる立場。結果は常に求められるし、それが苦しくて大変だからこそ、生活をしていくための貴重な対価を得られるのだと思う。

自身が今の仕事に向いている、もしくは天職だなんて社会に出てから一度も思ったことはないが、それでも上司や同僚に感謝されたり、思わぬところで評価されたりすると嬉しくなる。働くことには苦痛が伴うからこそ、そうしたたまの喜びが日々のガソリンになっている。そんな習慣も幸いしてか、ガス欠の激しい車体でも、どうにかこうにか今日という日まで走り続けることができたのだろう。
 
また、どうやら僕の場合、そんな苦しい日常がなければ、今こうして文章として綴っている「言葉にしたい想い」は貯まらないようだ。 幸せばかりの毎日だと、そのぬるま湯に漬かりきってしまい、心が考えることを放棄してしまう癖が昔から一向に抜けないのである。そして、それがひどい駄文であったとしても、定期的に心の現在地を書き連ねることで、二度とない日々を実感できるのだ。

 
言葉になり損ねた、もしかしたら今後の大切な指針になり得たかもしれない想いのささくれ。または時が経つたびに忘却していく心の機微を、日記という媒体も含めたら17年ほど文章で描き続けてきた。
なんだか前を向く気分になれず、心の天候が雨の日にめくる昔の日記帳。ぱらぱらと読んでいると、それはまるで一種のタイムラプスのようにも思える。ゆっくりではあるけれど、一日一日少しずつ変化していて、当時感じたその一瞬一瞬の楽しさや苦しみは鮮明だけど、どんな感情も長い人生の一場面に過ぎない。それでも人はその瞬間の出来事でひどく落ち込んだり、かつてないほど心を奪われたりする。実に忙しい生き物だ。
 
そうして、これまで脈々と連ねてきたこの暮らしも、きっと息絶えるまで続いていくのだろう。
それに、自身にその力量さえあれば、単純な時間経過を書き記すのではなく、少しでも当時を思い出せるような暮らしのタイムラプスを今後は撮影していけたらいいなと思う。そして、その一部を読むに耐えるような装飾で少しばかり着飾って、このnoteにも記録していきたい。

 
実はこの文章、僕にしては珍しく平日の早朝に書いている。つまりは、これから電車に乗り、苦しい労働に勤しむ必要があるわけだ。
家を出るまであと10分を切ったというのに、未練たらしくこうして文章を綴っているこの様も、いつか思い出の粒となり、無数にあるタイムラプスの一枚に数えられるのだろう。

数分後にはどんな通勤風景が広がっているのか。今日は少しばかり余裕がありそうだからそんな様子も楽しんで、二度と訪れないこの景色を味わっておきたい。

皆さんから大事な大事なサポートをいただけた日にゃ、夜通し踊り狂ってしまいます🕺(冗談です。大切に文筆業に活かしたいと思います)