読書感想文のすすめ『クララとおひさま』1

読書感想文

 考えてみれば読書感想文を最後に書いたのはいつだろうか。小学校の宿題では毎年出されていたが、中学校に上がってからは募集はあった気がするが必ずやらなければならないものではなかった。高校になってからは名前すら聞かなくなったと思う。

 元々私は本を読むのが好きだった。小学校の頃、読んだ本とその簡単な感想を書いて一年で何冊読んだかを記録するということをやらされたが、六年生にもなると一年で600冊以上読んでいた。確か50冊で表彰されて、300冊でまた表彰されて、みたいなことがあった。私の学校では私ともう一人高校まで学校が同じだった同級生が飛びぬけて読書量が多かった。私と(確か)彼女は作家になると息巻いていたが彼女はどうだろうか。私はまだ諦めてはいない。小説を書いている人間はみな作家だけどデビューするとなれば別の話になってしまう。もう話もしなくなったけれど、いつか彼女の本が店頭に並ぶことがあったなら真っ先に買って読み、おめでとうと言いたい。

 本題に戻ろう。そんな読書好きの私も、読書感想文は大の嫌いだった。私も大人の気持ちが段々分かってくるようになって、子供に何としても本を読ませたいという意図が見えてきたわけだけど、私のような人間でさえ嫌な宿題だったのだから元々本を読まない人間の大半はそこで読書が楽しいなんてならないのではないだろうか。勿論、これがきっかけで本を読むようになった人もいるにはいると思うけど、あれは多分もう一回考えて形を変えるべきだと思う。

 さて、そんな読書感想文だけど今嫌かと言われればそんなことは全くない。仮に大学の課題で出されたのなら喜んで取り掛かるだろう。語彙もあるようでない6歳と20になってしまった大学生ではそもそもの意味合いが変わってくる。6歳の頭で原稿用紙を2,3枚だなんて、文字通りあの空白を埋めることしか頭になかったはずだ。今ではどうだろうか。本を読んで、それを批評しながら自分の考えを展開してもいい。その物語がどんなに素晴らしいかを文字にして作者へのラブレターにしてもいい。自分の人生を投影して、その物語を自由に解釈しても良い。こう考えると、なんだか読書感想文を久々に書きたくなってこないだろうか。誰に提出するわけでもない。勿論こうやってネットの海に垂れ流してもいいし、スマホのメモとか引き出しの中に仕舞ったままでもいい。なんなら本でなくてもいい。活字でなくても私たちは読むことができるのだから。私はいてもたってもいられなくなったのでnoteに書くことにした。

つづく

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