”本当の戦争”が映った映画「戦場でワルツを」の話
※戦場でワルツをのラストシーンの描写を説明するので、情報を抜いて見たい方は視聴後の閲覧を推奨します。
僕は戦争を知らなかった。
1993年生まれの僕にとって、戦争とは空想だった。
毎年8月15日には反戦ドラマが放映された。社会科の授業では暗い部屋で戦争を題材にしたアニメを45分見させられた。
どれも全部空想だった。そこにリアルは無かったし、だから僕は「戦争は本当に戦争なのである」という単純なイコールの概念すら理解できていなかった。
ある日、戦場でワルツをという映画を見た。
レバノン侵攻を題材にしたアニメーションのドキュメンタリー映画。
その中で描かれる全てのできごとはジョークのようだった。
隣にいる人間が平然と死ぬ。生命の価値の圧倒的な軽さ。
僕はそこにある種のブラックユーモアを感じていたし、見ている間笑ってもいた。
見せ方がダークコメディなのだ。ポップミュージックが流れながら人が死んでいく姿に、ある種の苦笑をもって見ていた。
笑っていたのは中東の戦争の映画だったというのもあった。想像力が無かった僕は、アメリカやフランスを注意して見ることはできても、中東という国の存在にリアルを感じる事ができなかった。
しかし、この映画のクライマックスは全てを明らかにした。
主人公の正面の顔が切り替わると同時に、アニメーションだった世界は終わり、実写が映る。
そして映り込む死体の山。子供の死体。それらが紛れもなく映っていた。
目を疑った。
それまでの戦争映画は僕にとってキツイジョークのような。虚構でしか無かった。
虐殺が何であったか。それが実写の映像で映る。
”それ”を理解した時、今まで笑って見ていた90分の光景が現実のモノへと置き換わる。
隣にいる人間が突然死んでしまう事。ナイフで惨殺された馬。銃弾の跡のある商業地区だったビル。
全てのアニメーションだったものが、脳内で現実にハイスピードで置き換わる。
その時、僕は全てを理解して、感情という機能を喪失するレベルのショックを味わった。
僕は戦争が私達の生活をどうしてしまうのか、それを理解すらしていなかった。
それら全てを、ラストの1分間のシーンだけで知覚した。
それから勉強をして虐殺に至る歴史を見て更に頭を抱えた。一体どうすれば・・・と本当に途方に暮れてしまった。
それから、僕にとって戦争とは現実になった。
この国にいて戦争が何であるかを知っている人はどれだけいるだろうか。
戦争がいかに悲惨であるかを語る文字、映像はこの国にいくらでもある。
でも、実際に戦争という概念が何をもたらすか。それを実感のある手触りの存在として、本当に理解している人はあまりいないと思う。
アリ・フォルマンの「戦場でワルツを」は、そういう映画だった。
戦争を映すのではなく、戦争をアニメーションで描いて、最後に”結果”を映す事によって、僕に戦争を実体化させる。唯一無二の戦争のリアルが脳内で合成されていく映画だった。
全ての嘘だと思っていたものが、現実へと塗り替えられていく絶望は、今でも忘れられない。
僕が始めて戦争という物体を手で触った映画だった。
今まで戦争に関する映画はたくさん見たけれど、本当の戦争がカメラに映っている映画はアリ・フォルマンの「戦場でワルツを」だけだ。
戦争と、戦争によって産まれる罪。その本質にタッチして”しまった”戦争映画の世界に、君も触れて欲しい。
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