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『運』ってやつを世界一わかりやすく解説してみた

カイジマです。
以前【引き寄せの法則を世界一わかりやすく解説してみた】という記事を書いたのですが、なかなか高評価をいただいたので『世界一わかりやすく解説するシリーズ』の続編として今回は『運』をテーマにわかりやすく言語化して解説していきたいと思います。


ビジネスの世界で成功者と言われている人の多くが

「自分は運が良かっただけ」


とかいうことを言っています。


ジェフ・ベゾスもザッカーバーグもビル・ゲイツもみんなそんなこと言ってるし、日本だと孫正義や他にもたくさんの人が言ってる。


今の時代にデビューしても、もうあれほど売れない。運がよかった」ってスピッツもミスチルも言ってる。古いか。


20代で会社売却して資産200億持ってるのに家賃8万5000円だったことで有名な、今はメタバース界隈で活躍してる佐藤航陽(かつあき)さんも「なぜ成功したと思います?」の問いに対して

運っすね


とか言ってた。


ぼく「なるほどなあ〜。運かあ〜。」(納得)

へえ〜


イタリアのカターニア大学ってとこが、『人生の成功』というものに対して、才能と運が人生にどのように関与するかを数学的にシミュレートした論文を発表しました。


この論文は、

最も才能のある人ではなく、最も運の良い人の方が成功する

成功と才能の間には相関がないが、成功と運の間には非常に強い相関がある

最も成功するのは、そこそこ才能があり、運がいい人


ってことを数学的に結論付けています。
2022年イグノーベル賞とった研究内容です。


世界中の権威のある人物、研究機関が運というものを信じて、徹底的に研究し、その結果、『運が全て』みたいなことを言っている。


ぼく「そっか、やっぱ運かあ〜。」(納得)

ふーむ


これって、一般人である僕らはどう解釈すればいいんだろうか。


運』と言われる、ラッキーみたいなものって、毎日毎時間毎分、どこかの誰かにランダムで降り注いて降りてきて、それを受け取った人しか成功とかお金とか、そう言ったものを享受できないのか?


それって納得できるのか?


運って、それこそイメージ通り完全に運なの?
ランダムなの?
それって、人生頑張る意味なくない?
待ってればいいの?
努力ってなんなの?


って思いますよね?


今回の記事は、それを言語化し、結論として成功者が言ってる運はみんなが思ってるラッキーのことではない、という話をします。


そして運が良い状態とは精神の状態に関わることであり、コントロールできる
という話をします。スピではない。

面白そうでしょ?

それでは、スタートです。


運の言い換えって可能だろうか?


運ってのは、よくわからない。
だからある程度定義づけしておかないとそれこそ理解できないと思う。

だから僕たちの間で運というものをわかりやすく定義付けしておきたい。

これは別に僕が勝手に言っているものではなくて、世界中の成功者や学者、占い師が言っている解釈を平均化してわかりやすくしたもの。


だから僕が勝手に言ってるものじゃないってのはまず理解しておいてください。裏付けがありますよってこと。


運ってのはめちゃくちゃ簡単にいうと

良い結果を受け取る機会の多さ」であり、

言い換えると

自分の生き方の通知表」みたいなもの

これ布石。

ってこと。


どういうことかっていうと、頑張ってる人には頑張った内容に対する結果が起こるということです。


めちゃくちゃアホみたいなこと言ってると思うけど、マジでそうなのである。


じゃあその『頑張る』ってことについて、それは何を指してるかっていうことをまず共有しましょう。


「頑張る」とは同じことを続けること

頑張るという日本語の本当の意味は同じことをずっと続けるということです。


語源は色んな解釈がありますが、意味としては全部同じです。
だからずっと続けてたら、何かしらの結果は必ず出ます。


ただ、続けていれば無条件で『良い結果』が出るとは限りません

「え?だって歯を磨くことをずっと続けてたら、歯は綺麗になるよね?」

みたいなこと、シンプルに思うじゃないですか。
でも間違った磨き方をし続けていたら、歯が汚くなっていきますよね?


『頑張り方』や『頑張っている内容』が間違っていれば、良くない結果が出ます。



つまり同じことを続けていても、必ず良い結果が出るのではなくて、文字通り「頑張っている(続けている)」内容に対応した結果が出ます。


つまり

良くなるための行動を頑張っていればそれに対応した結果が出る
良くならないための行動を頑張っていればそれに対応した結果が出る

ということです。

問題なのは、歯の磨き方が悪かったパターンみたいに、本人は無意識に悪い結果が出ることを頑張ってた時


わざとじゃないのに、歯が綺麗にならない磨き方を良い磨き方(行為)だと思って続けてしまって、悪い結果が出ることを自覚してない時です。


つまり、良い結果を受け取れない。
運が悪い。

ということになるのです。


運が良い悪いってのは、普段どんな行動をしてるかにかかってる。
良い結果を生むための行動をしてたら、運が良くなる=良い結果を得られる機会が増えるっちゅーことですね。


だから「無駄なことは頑張るな」と言われるわけですね。
これは案外深い言葉だなと思います。

結果を出すには、行動の善悪は関係ない(短期的には)


例えば、

俺はめちゃくちゃ稼ぎたい。
稼ぐためにはなんでもいい。
だからオレオレ詐欺を頑張ってるぜ!
今日も老人を騙すぜ!

って人間がいたとして、言葉通り本当に頑張っていれば、つまり、ずっと続けていれば必ず稼げるようになります。


具体的に言うと、毎日100回も高齢者に電話をかけ続けてれば、詐欺に引っかかる老人はいます。

それをさらに100回続ければ1万人と電話できるわけです。


じゃあ必ず詐欺に引っかかるジジイババアに当たる。

そうなると、絶対稼げますよね?


そんな毎日を過ごしてたら、1日で4人もの高齢者を騙すことができて、1日で1億円くらい詐欺って稼げる日もきっとくるわけです。

で、本人は

いやあ、俺やっぱ運いいわ。
もってるわ。
今日10件しか電話してないのに
4人も引っかかって1億円も儲かったわ

ゆ、許せねえ


って言うわけです。
そして金をじゃぶじゃぶ使って贅沢するわけです。


これは原因に対してちゃんと結果が出たということ。


つまり、お金を稼ぐってことがゴールの場合、良い結果を得ること(稼ぐ)に関しては、行動自体の良し悪しとか善悪は関係がないということです。


そう、お金のことだけ考えれば短期的に見ると、悪いこと継続してやりまくってもちゃんと結果は出る、お金は稼げるのです。


でも人間の良心の観点から見ても、これはなんだか納得いきませんよね?


悪いことしてる奴が大金を手にして贅沢して良い思いをする。
ってのは人間心理的に納得ができません。


しかし、これは多少今回の本題とはズレるかもしれませんが、相応の結末が待っていることになります。


先ほど、


運が良いとか良い結果を得るとかに関しては、行動自体の良し悪しとか善悪は関係がない


と述べましたが、結果は一つ出たら終わりではなく、さらにその結果が原因となってまた違う結果が生まれます。


たとえば

詐欺チームは信頼や人間関係で繋がっているわけではなく、打算的で刹那的な思考で繋がっていて理念が無いので、全員が自分だけが良ければ良いと考えているから必ず組織は崩壊する

とか

いきなり大金を手にして羽ぶりが良くなったことで近しい人間から怪しまれて、税務署や警察に通報が入る

とか

悪い金で得た金をさらに増やそうとして変な投資案件に突っ込んで全て失う

とか

一回うまくいったから、また同じ方法(オレオレ詐欺)で稼ごうとして組織化して規模が大きくなりすぎてどこからか情報が漏れて捕まる

とか

まあ結末のパターンは色々あります。


つまり、お金を手にするというだけの刹那的な結果だけ見れば行動の良し悪しも善悪も関係ありませんが、悪いことによって手にしたお金や行為が悪い原因となって、それに対応した悪い結果が起こります。

それがいつ起こるか、何が引き金になって起こるかは知りません。


大体、金が欲しいだけの人間の思考だと、胸を張って生きられないのは本人が一番わかってるんで、見栄を張るか同じことを繰り返して承認欲求を満たすしかすることがなくなります。


間違っても、その金で恵まれない子供に寄付するとか、自伝を書いて世間に認めてもらおうとかしないし、できないですよね。

人間的な成長ができないのを自分がわかってるから、別のカタチでそれを満そうとしてどこかでバランスを崩します。

そのバランスの崩壊が原因となって、またそれに対応した結果が出るでしょう。

要は悪いことしたら安寧の生活は来ないと言えます。

泡銭(あぶくぜに)って言われるやつですね。

良い生き方するのが正解


僕は元来、お金そのものには良いも悪いも白も黒も何もないと思っています。ただの紙だしツールだしね。


でも、それを得る方法には色はあると思ってます。
良い稼ぎ方をするべきだ、と思ってます。



いや、良い稼ぎ方をするべきっていうより、悪い稼ぎ方はしないべきっていうニュアンスの方が正しいかも。


良い稼ぎ方で手にしたお金を良く使えばそれが原因となって、また良い結果が生まれると思ってます。

冒頭、「運とは生き方の通知表みたいなもの」というワードも出ました。


それはつまり、結果出すだけなら人生の短い期間を切り抜いて見た時は道徳とか善悪は関係ないが、人生の長い期間切り取った場合はそれに対応した結果が出るってこと。


そうでないと僕は納得できないし、それだったら納得できるからです。


本題とは少しズレたテーマになってしまいましたね。
まあ、要は良い生き方をしましょうということ。

たまたま当たる宝くじはどう解釈すればいいねん



オレオレ詐欺の話でもわかったかと思いますが、結局のところ、運が良い(良い結果を受け取る機会が多い)ってことは試行回数が多い、手数が多い、母数が多いってことになります。


単純にチャンスが増えるってことです。


でも、世の中にはなんの努力もせずに宝くじで3億円が当たる人がいます。他にも、ある日突然相続で大金を手にする人がいます。


それはどう解釈して納得すればいいのでしょうか。


結論から言うと無視です。

これは今まで僕が述べてきた「運が良い」というよりも、「偶発的な出来事」というほうが適切だと思います。


偶発的な出来事とは、「予測できないか、予測されていない出来事」という意味です。これがいわゆる「ラッキー」ってやつですよね。


偶発的な出来事は、必ずしも今回この記事で提唱している表現での『』によって起こるものではありません。


世の成功者が言う『』とは違うものです。


例えば、宝くじで3億円が当たる人は、確かに宝くじを買ったこと自体が行動であり原因です。宝くじを買わなければ、当たる可能性はゼロです。



でも、それは「日頃の行いが良い」とかそんなん関係ありません。

そんなもんが原因で宝くじが当たるなら、みんなそうなるんです。


もちろん、

よく当たる梅田第4ビルの宝くじ売り場で買った

とか

原宿の有名な占い師が売ってる数珠を巻いた」とかも関係ありません。



もう、そんな不確実なもんを人生に持ち込んだら大変です。
別にそういうのを全否定することなく、信じてもいいけど、盲信したら危険です。
どこぞの新興宗教にお布施するマインドと同じになっちゃいます。


一方の、突然相続で大金を手にするパターンの人は、相続したこと自体が一種の宿命です。宿命ってのは、変えられない運命ってやつです。


こんなもんも、
「もっとイケメンに生まれたらよかったのに」
「運動神経抜群で生まれたらよかったのに」
「もっと豊かな国に生まれたかったのに」

というのと同じで、羨んでも悔やんでも意味のない事象です。


そんなのカンケーねえ



でもね。
あなたがもしこの記事を、ここまで読んで面白いと思ってくれてる人だったら、そんな偶発的な出来事で人生が変わるイベントなんて、どうでもいいと思うはずじゃないかなと。


だってそんな、『自分の力でどうにもできないもの』に期待して生きたくないでしょう?


なんかもっと、自分の人生は『自分の力で変えたい』と思いませんか?


もしあなたがお金がもっと欲しいんだとしたら、
『ただお金が欲しい』んじゃなくて、
『お金を稼げる人間になりたい』
って欲望の方が適切じゃないですか?


その方が自分に自信がついて、後の人生もっと楽になりますよね。


人気者になりたいんだったら、
迷惑動画でバズって知らない人から声かけられる有名人になりたいんじゃなくて、
普段から自分のことを理解してくれて信用できる仲間とか友人がたくさん欲しいって方が適切じゃないですか?


その方が自分の人間関係がもっと豊かになりますよね。

長生きしたいなら、
延命装置に繋がれて不自由に長生きするんじゃなくて
自分を律して生活の仕方が誇れる状態で健康寿命を伸ばしたいってのが適切だと思います。


たまたまとか、外部の力とかで人生を良くするんじゃなくて、自力で人生を良くしたいと本当はみんな思ってるはずです。


自分の内面を鍛えたいというのが人間の本質的な欲求なのです。


だってそうじゃないと人生救いがないでしょう。
自分の力で変えられる方が面白いでしょう。


だから僕たちは偶発的な出来事によって動揺したり悩んだりする必要はないと思うんですよ。


全部の責任は自分にあると考えた方が、人生って楽になる気がするんですよね。

結局、成功者が言ってる運が良いってなんのこと?


ここまでで

  • 手数の多さ

  • 生き方を良くする

という概念が出てきました。


改めておさらいですが、運というのは

良い結果を受け取る機会の多さ」であり、

言い換えると

自分の生き方の通知表」みたいなもの


実は、運を良くするためにはどうするべきなのか、もう結論が出ています



2000年以上の歴史がある易学や、古代の哲学者、古今東西あらゆる時代の学者や成功者が定義付けている答えがあります。

それは、

運を良くするためには、自分の精神状態を良くする

昔のえらい人が言ってるなら間違いねえ


ということ。


精神状態の良さは、良い思考と感情の上に成り立ちます。

つまり、『思考』と『感情』が正常であることをキープできるテクニックを持ってる人が運が良い人ということです。


当たり前ですが、四六時中ネガティブで過去のこと引きずって自己否定しまくってる人が成功できるわけがありません



それ以前に、ネガティブな精神状態だと成功しようとか思うことすらできませんよね。


そういう状態の人は、自分がネガティブな状態にいることを許容しているから、ずっとネガティブなんですね。自ら望んでなっているということです。



精神状態が良ければ、目標に向かって努力できますし、無駄なことに時間やエネルギーを使わなくなります。


自分の生き方に自信が持てますし、周りの人からも信頼や支援を得られます。そうすると、自分の流れに乗れますし、色々なチャンスが訪れます。そして、チャンスを活かせば、良い結果を得られます。


つまり、思考が現実化していくことになります。
僕はこれが運が良いということだと思います。


成功者が言ってるのは、結局これ。


ラッキーだった」とかいうのは全部うそ。建前。
結局、結果出すまでめっちゃ頑張っただけの話。


その過程で、普通の人がチャンスと思わないことをチャンスにできるほど視野が広がってアンテナが敏感になっていたということ。


孫正義がアリババ株買って10兆円儲かったの、ラッキーなわけないやん。
めちゃくちゃ頑張って市場リサーチして自分を信じて金突っ込んだわけです。そこに至るまでの資金と知見を得られてたのは努力でしかないわけですよね。


その上で良い結果が出たことを「運が良かった」と言ってるわけですが、僕らには結果しか見えてないから成功者を羨ましがるわけです。


見えないとこでの積み重ねを見ていない人は「不確実なラッキー」を求めるけど、ガチの人はそんなもん当てにしていません。

そもそも論だけど運が良いというのは結果論でしかない。
運が良かったと言えるのは、何らかの良い結果が出てからしか言えない。



成功者は精神状態を大切にしています。


彼らはアクセサリーや方角、日付などに頼っていません。
そんなもんでは運は変わらないと知ってるんですね。
運を変えるのは自分自身です。
自分の原因から自分の結果が生まれます。


だから、良い運を待っていても意味がありません。
良い運を作っていくことが大切
です。


そのためには、まず自分の精神状態を整えて、なおかつ良い生き方をすればいいです。



誰かのコントロール下にあったり、誰かに決められたことしかしなかったり、人を騙したり嘘をついたり、他人を蹴落としたり権力や金だけに固執したり、承認欲求を満たすために迷惑行為をしたりしなければいいです。
シンプルです。


ちゃんとしたことでの充実感で、自分を満たせばいいです。


だから、1日中家に転がってYouTube観てるだけの毎日なんかを繰り返してたら良くないんですよ。


ネットで人の悪口書いてる奴が良い人生送れるわけないんですよ。
誰もそんな奴の味方はしない。


「努力したからといって報われるわけではない」について


でもマンガとかでもよく

「頑張ったからって必ず報われるとは限らない」

的なセリフがありますが、そこについても触れてみます。
いわゆる『無駄な頑張り』ってやつ。



側から見てもめっちゃ意識高い系で頑張ってる風に見えるし、本人もめっちゃ努力してるのに、成果が出てない人っていますよね。


この人は、かわいそうだけどそもそも無駄な努力をしてる可能性があります。


苦労と徒労


苦労とは、困難なことに対して努力したり、耐えたりすることです。
苦労は、必ずしも報われるとは限りませんが、その過程で成長したり、学んだりすることができます。

苦労は、自分の目標や夢に向かって頑張ることや、自分や他人のために尽くすことなどに使われます。

夢を叶えるために苦労した
家族のために苦労して働いた」とか。

徒労とは、苦労をしたのに、特に成果をあげられなかった状況のことです。徒労は、無駄な骨折りや無益な苦労という意味があります。

徒労は、期待していたような結果にならず、無駄であったと感じることや、何も価値が生まれないことに使われます。

試験勉強をしたのに落ちてしまって徒労に終わった
彼女にプレゼントを贈ったのに振られて徒労だった」とか。

つまり、報われない人は徒労にしかならないことを頑張ってる可能性があります。


記事冒頭でも言いましたが、頑張った内容に対して結果が出ます
頑張ってる内容が間違ってたら、もしくは頑張り方が間違ってたらそれに対応した結果しか出ません。


良い結果が出るまでやれてないって話。

DJ社長「頑張ったからって結果が出ると思うな。
どうやったら結果が出るか考えるんや。
考え方もわからんかったら考え方を勉強するんや」


どう頑張るべきかも分かってないのに、ただただ頑張ってても無駄でしょう。苦労は何かしらの意味や価値を持つけど、徒労は全く意味や価値を持たないと言えます。


運とは行動哲学だった

ここまで運とやらを述べてきて、全くスピ系な話は出なかったと思います。

そしてこのテーマ、まだまだ書ききれてなくて、本気で書いたら書籍1冊書けるレベルのボリュームになってしまいますので本記事ではここまでとします。


伝えたかったことは

「運が良い」と「ラッキー」は違うこと。
結果を出すためにどう行動するかの哲学が大事。
良い精神と生き方を心がければ自然と良い結果が出る。

このテーマで記事を書くのは本当に難しかったので、『思考』とか『感情』とかテーマを細分化して深掘り記事を書いていきたいと思います。


最後に、ここまで読んでくれたあなたなら、この言葉の意味がこれまでと違って見えるでしょう。


「運も実力のうち」



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