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デブオタと追慕という名の歌姫 #19



第7話 衝撃と栄光と別離 ③


 かくして、様々な悲喜劇を絡めながらイギリス最大のアマチュア歌手オーディションの幕は、遂に切って落とされた。
 厳正な選考で選ばれた六十四人の少女たちの顔ぶれは様々だった。エメルのように独学で研鑽を重ねたフリーランスもいればプロダクションで鍛え抜かれて送り込まれた秘蔵っ子もいる。中には声楽を学ぶために海外からやって来た留学生や医者から特別に許可をもらって応募した入院患者もいた。
 一見、無作為に選ばれた集団のようにも見えたが、実際は全く逆だった。オーディションの事前選考で送られたデモ曲やプロフィールから審査され、プロ歌手への可能性があると認められて選ばれた少女達。彼女達に共通しているのはただ一点。プロ歌手、それもアルティメットの名を冠する歌姫になることを心から熱望していることだった。
 このオーディションはイギリス中にテレビ中継されるだけではなくネットからも海外へ同時にライブ配信される。普通の少女ならステージの上に立つだけでも卒倒するしそうなプレッシャーになるだろう。
 だが、そこは厳しい選考で選ばれただけあって、歌姫達は誰一人尻込みすることなく最初の選考ステージへ一人、また一人と臨んでいった。
 中には独自の個性でライバルに差をつけようと、ヴァイオリンを弾きながら歌う少女や民族衣装を身に着けて異国の歌を歌う少女もいる。
 歌姫達がステージ上がり、司会者に紹介されるたびに拍手が沸く。懸命に歌う姿、自ら伴奏する姿やダンスなどのパフォーマンスにも称賛の拍手が起こった。
 あの三人の少女もやがてその名を呼ばれ、それぞれがステージの上に立った。リアンゼルを目標に歌唱力を磨いただけあって彼女達の歌も素晴らしく、観客から惜しみない拍手が贈られた。
 そして、登場する少女達も六〇人を越え、第一次選考もいよいよ終盤となった頃……焔のような激唱で感嘆させたリアンゼルとは全く異なるインパクトで、人々を驚かせる歌姫が現れた。

「続いて六二番です。エメル・カバシ」

 司会者のアナウンスと共にステージに走り込んできたのは、巨大な段ボールを載せたカートをガラガラと押した、小柄な少女だった。
 歴史あるこのオーディションの中で、今までこんな奇妙な登場の仕方で現れたのは誰もいない。

「なんだ? この娘」

 観客も審査員も意表を突かれ、司会者もさすがにポカンとなった。
 もしかしてオーディションの資材係が間違って飛び出したのか? と、誰もが思った。
 だが、漆黒のドレスで美しく装った少女の胸元には紛うことなきオーディションの参加資格を証明するプレートが光っている。
 元気いっぱいの笑顔を浮かべて現われた少女はステージ中央でカートを止めると、そこでようやく会場の観客に気がついたように、大袈裟に驚いて見せた。
 続いて始まった演奏に、まるで焦ってジタバタしたように踊りだす。
 地団太を踏むような愉快なステップに、あっけにとられていた観客の口元が次第に緩み始めた。
 気になってステージの袖幕からエメルの出番を伺っていたリアンゼルも、目を丸くした。かつてのいじめられっ子がステージで歌うのを見るのは、これが初めてだったのだ。
 人目に怯えて泣きべそばかりかいていたあのエメルが、臆するどころか大観衆をおちょくるように大胆なパフォーマンスを演じている!
 審査席では、一人が何かを思い出したらしく括目して「あっ」と立ち上がった。

「思い出したぞ、アイツらあの時の……!」

 その時だった。右手を突き出してエメルが「HEY!」と掛け声を上げる。
 すると、同時に傍らの段ボール箱を右拳でブチ破ったデブオタが「HEY!」と飛び出した。観客は突然現れた不審な男に思わずワッと叫び声を上げ、驚愕した彼等へ向かってしてやったりとばかりにエメルが歌いだす。

「A cool feeling! foot seem to leave the floor. The gone audience knocks on the door hard when sing more, and play it more」
(いかした気分、足が床から離れちゃいそう。イカれた観客がドアをガンガン叩いてる、もっと歌え、もっと弾けって)

 思わず立ち上がった審査員の男に傍らの審査員が尋ねかけた。

「ジョージ、彼等を知ってるのか?」
「知ってるも何も、九ヶ月前にオーディションで同じことをやりやがった二人組だ! あいつらのせいで俺はもう少しで笑い殺されるところだったんだぞ」

 本来なら怒るべきところなのだが「あいつら……」と、睨んだ男は、思い出して吹き出してしまった。
 しかし、華麗に踊りながらよく響く声で歌うエメルの姿をしばらく眺めていた彼は「あの娘、成長したな。歌もダンスも恐ろしく上手くなってやがる」と、感心してつぶやいた。
 ステージの上では、向かい合ったり背中合わせになったり、位置を変えながらデブオタとエメルが見事に動きを合わせて踊っている。
 あのお相撲さんモドキの扮装こそしていなかったが、肥え太ったお腹をたっぷんたっぷん揺らしながら軽妙に踊っているデブオタに、観客は笑いださずにはいられなかった。
 しかも、彼はエメルのようにワイヤレスマイクを付けていないので、やけくそみたいにドラ声を張り上げて「Love me every day!」(愛してよ、毎日ッ!)と生声でコーラスしている。
 オーディション会場はたちまち爆笑の渦に包まれ、謹厳であるべき審査員達も笑いださずにはいられなかった。
 だが、エメルはデブオタをそのまま笑い者にしておくつもりはなかった。
 一番が終わり、二番に差し掛かるとエメルはデブオタとは別の踊り方で歌い始めた。
 ムサ苦しいバックダンサーを演じる彼の周囲をクルクルと踊りまわり、しきりと彼に纏わりつくような仕草を見せる。
 そして「ねぇ、私のこと愛してよ」と、歌詞そのままのポーズでモーションをかけるのだ。
 だが、デブオタはエメルのようなアドリブなど出来ないので、困った顔で彼女の求愛をつれなく無視して踊り続けるしかない。
 可憐な歌姫が健気にデブオタの周りで自分のことを愛してよと歌うものだから、観客達は、さっきまで笑っていたデブオタが今度は羨ましく見えてくるのだった。

「Hey!, love me much, all the time, at any time」
(ねえ、私のこといっぱい愛してよ。いつまでもいつまでも)
「Love me every day!」
(愛してよ、毎日毎日)

 透き通るようなエメルの歌声は、激しいリアンゼルの歌声とは対照的だった。
 だが、よく響く力強さはどこか似通っていた。その歌唱力は、培った努力が明らかに尋常ではないことを感じさせる。
 最初はインパクトあるパフォーマンスに惹き込まれ、笑わされた観客達だったが、エメルの美しい歌声に気が付くと、今度はそれに魅了されていった。彼女が歌に込めた情熱は耳に心地良く伝わってくる。
 それは他の少女達とは異なる不思議な、エメルにしか出来ない歌い方だった。
 やがて曲が終わると……リアンゼルの時にも劣らぬ拍手と大歓声が沸いた。
 これほどの称賛を受けると思っていなかったエメルはキョトンとして立ち竦んだが、デブオタに促され、慌てて「ありがとうございます!」と、頭を下げた。
「うん、それでいい」と、彼もエメルに向かって拍手したが……

「すいません、あなたは一体……」

 司会者がマイクを持って近づいてきたので、デブオタは慌てて破けたダンボールを被り、ステージの影へ逃げ出した。
 その滑稽な仕草に観客はまた爆笑したが、その後を空のカートを押したエメルが「デイブ、待って!」と追いかけてゆく。
 笑いは更に膨れ上がった。

「ひー、危ねえ危ねえ! ステージで文句言われたら大恥かくとこだったぜ」
「デイブったら逃げることなかったのに……でも面白かったわね! ふふっ」
「フヒヒッ、審査員も採点にゃ困るだろうぜ」
「みんな笑って聴いてくれるから凄く歌いやすかったわ!」

 舞台袖から奥に引っ込んだデブオタは笑い転げ、エメルも楽しそうにステージを振り返る。
 ステージ奥には、既に歌い終えて審査を待っている少女達がいたが、彼女達はまるで恐ろしいものでも見るような眼で二人を迎えた。
 審査のふるいにかけられる六四人のうち、次の選考へ進めるのは半数の三二人なのだ。彼女達は、自分は選ばれるだろうかとそれぞれ気をもんでいた。
 そんなところへこの二人ときたら、リアンゼルの時のような大歓声と拍手、おまけに爆笑まで引っ提げて戻ってきたのだ。
 彼女達はようやく知ったのである。エメルが普通のライバルではないことを。
 だが、当のエメルとデブオタは彼女達の視線など気にも留めていなかった。
 自分たちの奇行が白眼視されたぐらいにしか思っておらず、デブオタに至ってはテーブルに用意されていたスティル・ウォーター(ミネラルウォーター)を見つけるや「お、気が利いてんな」と遠慮なしに一気飲み。ついでに豪快なゲップまでしてしまった。
 たまたまデブオタの近くにいた少女は、ガマガエルの鳴き声もかくやという不気味な咆哮に思わず悲鳴を上げて飛び退った。
「悪ぃ悪ぃ」と、言いながらデブオタは悪びれた様子もなくガーハハハ! と、笑い飛ばしたが、傍若無人なその様子はイギリス最大のオーディションの権威などどこ吹く風と言わんばかり。
 少女たちはデブオタの豪胆ぶりにますます戦慄し、二人の周囲から更に距離を取った。

「もしかしたら……」

 離れた場所から見ていた三人組の一人、アンジェラがつぶやいた。

「ジニー、私たちがリアンゼルに会った日にトゥラー先生が話してたのって……あの娘じゃない?」
「ええっ?」
「ほら、リアンゼルと同じくらい凄い娘が自分のオーディションを受けに来てたって」
「あ、そういえば……」

 ジニーは思い出し「まさか……」と顔色を変えた。

『激しいステップで踊りながらアンプ付きみたいな声量で最後まで息を切らさず歌ってのけた。それも透き通るような声で情熱的に歌うんだよ。あんな娘は今まで見たことないね』

 その実力はリアンゼルにも引けを取らないという恐るべき少女。
 三人は、デブオタと笑いあうエメルを見つめてゾッとなった。

「黒い髪をした日本人のハーフ……たぶん間違いない。トゥラー先生が言ってたのは、きっとあの娘だわ」
「……」

 ステージではようやく笑いの余韻が収まり、残り二人の少女がオーディションの舞台にそれぞれ上がった。
 どちらの少女もエメルに負けまいと懸命に歌ったが、彼女の並外れた歌唱力と度肝を抜くパフォーマンスの後ではいささか色褪せた印象しか残せなかった。

「思ってた通りだわ」

 歌い終えた彼女達が肩を落としてステージ裏へと戻り、他の少女達から半ば同情の眼で迎えられるのを見ながらヴィヴィアンはリアンゼルにささやいた。

「あの娘達もなかなかの歌い手だったけど、実力が違い過ぎる。しかもあのプロデューサー、バスター・キートン(チャップリンと並ぶ有名な喜劇俳優)みたいに身体を張った演出で仕掛けてくるなんて。これでエメル・カバシの存在を会場の誰もが覚えてしまった……」
「ふん、負けるもんですか」

 二人を遠目に見ながら答えると、リアンゼルは冷ややかに背を向けた。
 ……こうして六四人全てが最初のステージを歌い終えた。

「今年は、歌もパフォーマンスもバリエーション豊かですね。素晴らしいオーディションになりそうです」

 司会者はそう評して嬉しそうに締めくくり、観客席から少女たちの健闘を称える拍手が沸く中、審査員が各々メモを手に集まって話し合いを始めた。
 いよいよ選考が始まったのである。

「審査、受かってるかな」
「ふざけんなって減点でもされてなきゃ余裕さ、心配すんな」

 不安そうなエメルにデブオタは笑って請け合ったが、憂いている彼女の顔の美しさにふと気がついて、そのままぼんやりと眺めた。
 その笑顔が、次第に寂しげに陰る。
 感嘆するほど逞しくなり、見惚れるほど美しくなった。
 もうすぐ、この少女は自分の手を離れて飛び立ってゆくのだろう……きっと、光差す場所へ。そんな気がしたのである。
 そこは、日陰にしか立てない自分が決して立ち入ることの出来ない場所なのだ。
 言いようのない寂寥感が沸いたデブオタの中に、エメルとの別離の予感がきざした。

「デイブ……どうしたの?」
「あ、いや。何でもねえよ」

 エメルから声を掛けられたデブオタは慌てて、ちょっとボンヤリしていた、というように取り繕ってバンダナで汗を拭きだした。
 だが、いつもデブオタを気にかけているエメルは見逃さなかった。彼が遠い目をして自分を見ていたことを。

「……」

 彼女は、そっとデブオタの服の袖を摘まんだ。
 いま、目の前にいるこの男がもうすぐいなくなってしまうような、そんな気がして。

「第一次オーディションの選考結果を発表します」
「お、いよいよ発表始まったぞ」

 司会者のアナウンスに、デブオタは期待七割不安三割といった顔で向こうを見たが、エメルは振り向きもしない。
 彼女はステージに向けたデブオタの横顔をひたすら見つめている。

「第一次選考を通過する栄誉に輝いた方を発表いたします。二番、レイシス・ワークレイル。三番、リアンゼル・コールフィールド。六番、エミリー・ブラウニング……」
「お、アイツ受かりやがったか」

 デブオタはニヤリとしたが「お前も受かってるって、心配すんな」と言われてもエメルが黙って首を振ったので、怪訝そうな顔になった。

「どうした? エメル」
「デイブ。私、必ず歌手になってみせるから……」
「そんな気負うなよ。まだ戦いは始まったばかりだぜ」
「そうじゃない。そうじゃないの……」

 唇を震わせてエメルは言った。

「オーディションの結果なんか怖くない。だけどデイブがなんだか遠くに行っちゃいそうな気がしたの。それが怖いの」
「……」
「ね、私きっと歌手になってみせるから。だからオーディションが終わった後もどこにも行かないでね。デイブ、衣装とかで今までの生活とか、お金いっぱいかかったでしょう? これからは私が……」

 本当ならオーディションが終わった後で言おうと決めていた言葉。
 だが胸の中に湧き上がる不安に、彼女はもう言わないでいられなかった。
 ところが……

「あ、それはダメだ! 死亡フラグだから」

 突然デブオタはエメルには意味不明なことを叫んだので、彼女はキョトンとなった。

「死亡フラグ?」
「アニメやドラマでよくあるんだ。『オレ、この戦いが終わったら結婚するんだ』……結婚出来ない。絶対死ぬ。『これがトドメだ、死ねええええ!』……叫んだ奴が逆にやられる。『まさかこれは! ……は、早く皆に知らせなきゃ!』……知らせる前に殺される。こういうのが“死亡フラグ”って奴だ」

 エメルは呆気にとられてデブオタの言葉を聞いた。

「そ、それはアニメとかのお話で……」
「じゃあ身近な例を挙げよう。『ウジ虫エメル、潰してやる!』……言われた奴はどうなったかな? 潰されるどころかイギリス最大のオーディションにご登場してなかったかなぁ。あんな奴に負けるもんですか! って闘志満々、宣戦布告してなかったかなぁ」
「あっ……」

 それは、まさしく自分のことではないか。
 眼を白黒させたエメルに、デブオタは「だから、そういうのはナシな」と、笑った。

「こういうのは逆に言うといい。オーディションは落選。エメルは歌手になれなくて泣き虫に逆戻り。オレ様は負け犬になって日本に帰る。そんな風に言えば……」
「五九番、ルルージュ・リグビー……六二番、エメル・カバシ……合格者は以上です。おめでとうございます! 名前を呼ばれた方は二次選考の打ち合わせを行いますので受付までお越し下さい」

 司会者が告げる第一次選考通過者の最後に、エメルの名前は確かに呼ばれた。

「な? 言った通りだろ」
「……うん、デイブの言うとおりね」

 エメルは、まだどこか不安気だったがようやく笑顔を取り戻して立ち上がった。

「ごめんなさい。何だか悪い予感がしたの」
「合格だし、その予感は大ハズレだったな。ま、イギリス最大のオーディションで気が張り詰めてるんだ。もしかしたらって悪い妄想をしない方がどうかしてらぁ。気にすんな」
「ありがとう」

 笑顔で応えたが、彼女は固く心に誓っていた。
 このオーディションに優勝してもしなくても自分をこんなにも変えてくれた男に、自分の気持ちを伝えることを。
 だから、今は……
 エメルはデブオタの言うとおりそれとは逆のことを言った。

「私オーディション落ちてみせるわ! 歌手は諦めて、リアンの前でメソメソしてくる。デイブはさっさと日本に帰ってちょうだい」
「うへぇ、そりゃあないぜ!」

 デブオタが勘弁してくれ、と苦笑いして手を合わせるとエメルはふふっと笑った。

「冗談よ、合格の受付に行ってくるわね」
「おう、行って来い」

 元気よく駆け出したエメルに手を振ると、デブオタは小さな声でつぶやいた。

「そうだ、それでいい。お前はもう立派な歌姫だぜ、エメル……」

 ネットで漁った技能も、ゲームで覚えたテクニックも、アイドルを応援して知った知識も、何もかも授けた。教えられることはもう何もない。
 メイクキットと衣装に、帰国の為に残していた最後のお金も全て費やした。与えられるものはもう何もない。オーディションが終わったら領事館にでも駆け込んでお金を借りるしかなかった。
 だが、デブオタは満足だった。
 彼女が歌姫になれば自分の役割は終わる。
 自分は所詮、光差す場所には立てない人間なのだ。
 だから、その時がきたら静かに去ってゆこう、と彼は心の中で決めていたのである。

 寂しい想いは今まで何度も味わった。数え切れないほど。
 だから、きっとまた耐えることは出来るだろう……


次回 第7話「衝撃と栄光と別離 ④」


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