心の器jpg

【こころの器】英語が持つ魔力と日本人に大切なこと


言葉が持つ魔力、みなさんは経験したことがありますか?』


こんにちは、元ラジオDJ大学生のLeoです。

みなさんは英語を学ばれた時、英語と日本語の違いについて考えたことはありますか?

文の順番が違ったり、動詞の変化がややこしかったり、日本語にはあまり見かけないルールがあったりしますよね。

その中で『必ず主語を言う』というルールに何か違和感を感じませんでしたか?

日本人からしたら毎回毎回わたしは、あなたは、私たちはなどと主語を言うことに若干の違和感を感じることだと思います。そしてなぜ彼らは主語を必ず言い、なぜ私たち日本人は主語を言わないのかについて考えた結果、ある大切なことに気づきました。

それは現代の日本人にとって気づかなければならないことの一つでした。

今回は英語と日本語の違いから学んだとある大切なことについて書いていきます。


英語の基本的なルール

英語の基本的なルールとして中学英語の一番初め、そして同じく高校英語のはじめでも扱う「5文型」があります。

S=主語、V=動詞、C=補語、O=目的語
●第1文型:SV
●第2文型:SVC
●第3文型:SVO
●第4文型:SVOO
●第5文型:SVOC

5文型は上のように5つの文の骨組みが英語のベースとなっています。
これらに共通して言えることは『SとVから文が始まる』ということです。

日本語では主語を省略して先に文の内容となることを言ったのちに締めとして動詞を言う文構造が一般的です。

例えば「(僕は)中条あやみが好きだ」
というように主語を省略して最後に動詞を持ってきます。

これが英語では " I like Nakajyo Ayami. "
というように先に主語を置いて、そのあとに動詞を置き、その後に内容を言います。

単純な言葉の語順が違うだけだという認識で大学まで勉強をしていましたが、留学先でネイティブの先生や、クラスメートと英語で会話をするうちに違うのは語順だけではないと気づきました。


英語の語順が表す外国人のマインド

外国人の性格というとどのようなことをイメージしますか?
僕は自分の好きなことと嫌いなことがはっきりしていることをイメージします。

これは実際に英語圏の方々と関わってみて感じたことですが、自分のイメージ通り『自分』というものをお持ちでした。

『自分』なんてアバウトなことをいうとイメージしづらいですが、なんとなく「俺はお前らに自分の人生は邪魔されたくないぜ!」的なイメージが近いと思ってください。

外国からMeToo運動が始まったり、LGBTについて革命活動が始まったりなど、彼らは自分のアイデンティティのために戦います。それは個人個人の人生が、世間の圧力など実在しないものに邪魔をされてたまるかという不屈の精神に起因します。


心の器

僕は言葉は心の器であると思います。心にある液状のものを適切な器に移して外に出す。これが「言葉に出す」という行為だと考えます。時に自分の心の液体に合う器が見つからず、小分けにして表現してみたり、似たような器にのせることもあります。そして心は次第と器にしっかりと乗るように影響を受けると僕は思っています。

『国民性』と言われる所以は、この言葉の器が国によって異なるからというのも原因の一つと考えます。

そして仮にそれが正しいとしたとき、英語の特徴は彼ら外国人と日本人の心の違いにつながると思います。

一体何が違うのか、何が異なっていくのか。それは『自分はこうだ!』と、自分を一番に考えるマインドが英語の、先に主語と動詞をはっきりさせるという語順に現れているのではないでしょうか。


英語が表す心の器

言葉が人の考えや気持ちを形作ることがあります。これは日本の言葉で『言霊』というのがそれを表しています。実際に口に出したことが現実になると言った意味ですが、みなさんも日常生活の中で言霊の体験をしたことがあるのではないでしょうか。

受験生が合格と書かれたものを身につけることや、スポーツ選手が応援で実力が発揮できるように、言葉によって心や考え方が変わります。

そして話を英語の特徴に戻して考えると、彼らは常日頃から「自分はどう考えているか」を一番に置いて言葉にしています。
そして僕自身も英語を通して外国の方と会話をし、日本語で話す時とは違い、忖度のようなことは一切起きずに1対1の心と心の会話になることを経験しています。

日本は村社会で1人の考えより全体の考えで物事を考えます。それは日本のスピリットの一つですが、現代の日本ではグローバル化やネットの日常化により今まで以上に『個人』としての存在が求められています。

主語を省略する、それすなわち自分を隠すことと同義ではないでしょうか。
あなたの心にあるものはあなたが感じ取って生まれたものです。それを言葉という器にのせる時になぜ『自分』という器に乗せないのでしょうか。
『自分』を明らかにしない結果、自分を見出せず現代社会に自分の居場所を感じられない若者が多いとよく耳にします。
それは僕自身もそうでした。自分が見出せないためにアナウンサーを目指し、ラジオDJを経験した時に自分が何者かわからなくなってしまった結果、今こうして自分探しのために海外に留学をしています。
僕はこの留学を通して様々なことを経験し、様々なものを感じ取って自分探しのヒントを得られました。

英語が自分を表す言葉であるのであれば、英語を学んでみることで『自分』が見つかるかもしれません。
何も英語である必要はありません。日本語でも主語を必ず口にすることを意識するだけでも心が変わるかもしれません。


最後に

僕は幼い頃から自分という存在が肯定できず、劣等感の中で生きてきたと思っています。そして言葉に関わる人生を歩もうと思った中で、自分探しにヒントをくれたのが英語でした。

同じように悩んでいる方は多くいると思います。ほんの少し主語を口に出すことで、あなたの悩みが解消されるかもしれません。

僕は留学を通して自分の価値観を再発見し、自分探しのヒントを得られました。よければそれについての僕のエピソードを読んでみてください。悩んでいる方のちょっとしたヒントになれれば嬉しいです。


● 自分を探すために留学をした僕の半生について

● 留学を通して得られた日本人としての生き方

● 留学をする意味を見つけた記事


読んでくれてありがとうございました。それではLeoでした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?