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『蜘蛛の糸』芥川龍之介 「仏教の視点で読み直す」

このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『蜘蛛の糸』芥川龍之介

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【芥川龍之介を語る上でのポイント】

①『芥川』と呼ぶ

②芥川賞と直木賞の違いを語る

③完璧な文章だと賞賛する

の3点です。

①に関して、どの分野でも通の人は名称を省略して呼びます。文学でもしかり。「芥川」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。

②に関しては、芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学に贈られる賞です。それ以上はよくわかりません。

③に関しては、芥川はその性格上完璧を求めるが故に短編が多いです。僕個人短くて凝ってる文章が好きなので、まさに芥川の文章は僕の理想です。


○以下会話例

■小学生の頃の感想

 「もう一度読み直したくなる小説か。そうだな、そしたら芥川龍之介の『蜘蛛の糸』がオススメかな。『蜘蛛の糸』は小学校の国語の教科書にも載ってる有名なお話だよね。極楽にいるお釈迦様が地獄にいるカンダタに蜘蛛の糸を垂らすお話。

シンプルな構成で理解しやすい話だから、おそらく多くの人がだいたいは内容覚えていると思う。

でも何となく疑問に思ったところもあったと思うんだ。ひねくれてた当時の小学生の僕も、例えば「カンダタがやった良い行い、しょぼすぎない?」とか「蜘蛛の糸が切れない方法なんてあったの?」とか疑問を持っていたんだ。

今回は大人になった現在の僕が小学生の頃の僕に対して説明するという気持ちで『蜘蛛の糸』を見ていくね。

■あらすじ

ある日、極楽にいるお釈迦様が、地獄にカンダタという罪人を見つけるところから話は始まるんだ。カンダタは殺人や放火をした悪い泥棒だったけど、小さな蜘蛛を踏み殺すのを思いとどまったという善行を一度だけしていたんだ。お釈迦様はその善行を評価して地獄から救ってやろうと思って、蜘蛛の糸を垂らすんだよ。

カンダタは暗い地獄できらりと光る一筋の糸を見つけて、それに掴まって登り始めるんだよ。途中で疲れて下を見ると、あとからたくさんの罪人たちがついてきていたんだ。そこでカンダタは、糸が切れてしまうのを恐れて「この蜘蛛の糸は俺のものだぞ。おりろ、おりろ。」と叫ぶんだよ。その途端、蜘蛛の糸がカンダタの真上の部分で切れて、地獄に真っ逆さまに落ちてしまう、というお話。

■『カラマーゾフの兄弟』にも似た話が

この『蜘蛛の糸』は、実は元になったお話があるんだ。それはポール・ケーラスというアメリカの作家が書いた『因果の小車』という小説で、仏が地獄に蜘蛛の糸を垂らして、カンダタが登って、「この糸は俺のだ」と言って糸が切れてしまうまで、そっくりそのままなんだよ。

でも『因果の小車』は言葉が古くて読みにくくて説教くさい、ただの説法みたいな話なんだよ。これを読みやすくして、芸術性もプラスして世に出した芥川の手腕はすごいんだ。だから盗作でも何でもないよ。

他にも、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にも「一本のネギ」という『蜘蛛の糸』によく似た話が出てくるんだよ。蜘蛛の糸がネギになってる話なんだ。

あらすじとしては、火の海の地獄に落ちた悪い女が、生前に乞食にネギをあげたことが評価されて、天からネギが降りてきて、それを登るんだよ。だけど後ろからついて来る罪人に対して「このネギは私のよ」と言ってしまって、その瞬間ネギが切れて火の海に落ちてしまう、という話。

地獄にいたら、天からネギが降りてくるって描写がなんか笑っちゃうよね。ネギですか。鍋にでもするんですか?って感じ。乞食にゴボウあげておけば、もうちょっと頑丈だったかもね。

■カンダタがやったこと

ここから小学生の頃思った『蜘蛛の糸』に対する疑念を解決していきたい。まずカンダタがやった良い行いについて。

小学生の時「カンダタのやった良い行いがしょぼすぎる」という感想を持ったんだ。確かに今読み直しても思ってしまうよね。人を殺したり家に火をつけたりしたカンダタが「蜘蛛を踏み潰そうとしたけれど、やめた」というだけで蜘蛛の糸が垂れてくるなら、僕なら日立のエレベーターが降りてくるよ、とさえ思ってしまうよ。

だけど、『蜘蛛の糸』の題材である仏教の教えを借りてくれば、この疑念は晴らされるんだ。結論から言うと、悪人こそ救いたいと思ってくれてる、ということなんだ。僕の仏教の知識はみうらじゅんが書いた『マイ仏教』が大部分だけど、多分あたってると思う。間違ってたら教えてください。

まずそもそも『蜘蛛の糸』の舞台である極楽浄土にはお釈迦様はいないんだ。極楽にいるのは阿弥陀様で、お釈迦様は娑婆(シャバ)にいるんだよ。娑婆とは今僕らがいるこの世界のこと。つまり芥川は混同していて、『蜘蛛の糸』に登場するお釈迦様はおそらく阿弥陀様のことなんだ。だからここからは阿弥陀様として進めていくね。

阿弥陀様は大乗仏教の如来だから、『蜘蛛の糸』は大乗仏教の教えに基づいたお話になるんだよ。そして大乗仏教の中の浄土真宗には「悪人こそが救われる」という「悪人正機」の思想があるんだ。阿弥陀様には、悪人だからこそ救いの手を差し伸ばさなければいけない、という気持ちがあるんだよ。

「悪人正機」は悪人の捉え方からくる思想なんだ。浄土真宗では、悪人は小さな間違いとかちょっとした運命によって道を外してしまい、結果として悪人になってしまっただけだ、と考えてるんだよ。善人はその落とし穴にたまたまハマらなかっただけで、悪人になる可能性は充分あったんだ。

阿弥陀様からみたら人間の世界の悪人も善人も、良い行いも悪い行いもほとんど一緒で些細な違いでしかないんだ。極論、悟りを開いた阿弥陀様から見たら、煩悩だらけの人間なんてみんな悪人なんだよ。

だから悪人である僕が「人を殺して家に火をつけるのと、蜘蛛を踏まなかったのでは釣り合いが取れてない」なんて勝手に判断しても、阿弥陀様にとってはどちらも取るに足らないことなんだ。その中でも良い行いである方に目をつけて「悪人こそが救われる」という思想のもと、阿弥陀様は救いの糸を垂らしたんだよ。

つまり、カンダタのやった良い行いがしょぼいと思うのは人間の尺度であって、むしろ阿弥陀様は悪人に対して救いの手を差し伸ばしてくれる、ということなんだ。

■糸を切らさないためには

次に、糸を切らさないためにはどうすればよかったのか、について。

小学生の授業では、確か「カンダタが自分一人のことしか考えなかったから糸が切れてしまったんですね」」みたいな説明を受けたと思うんだ。

でもそしたら、自分一人ではなくみんなのことを考えて「一緒に天国目指そうぜ」って後ろからついて来る悪人を先導したら良かったのかな。それはそれでおかしいよね。

これも仏教の知識で解決できるんだ。

まず浄土真宗において、極楽は仏がいるところだから、極楽にいくことは仏になることなんだよ。そして仏とは悟りを開いた存在なんだ。悟りとは、あらゆる煩悩から解き放たれて真理を得ること。

つまり、カンダタがあのまま極楽にいくには、108種類あるとされるあらゆる煩悩を無くす必要があったんだ。後ろについて来る悪人を気にしちゃダメだし、「俺の糸だ」なんて思っちゃダメだし、「一緒に行こう」もダメだし、疲れたとか、遠いなとかもダメだし、そもそも極楽にいきたいとも思っちゃダメだったんだ。そんな煩悩を一切なくして、無の境地で登らなければいけなかったんだよね。

そんなのあの状況のカンダタには難しすぎるよね。『蜘蛛の糸』は最初から望みが薄い話だったんだ。

あくまで僕の解釈だけどね。

■静寂が美しい

『蜘蛛の糸』の評価すべきポイントは、案外お釈迦様とカンダタのやり取りではなく、その前後にある情景描写にあると思うんだ。極楽浄土の情景がとても美しいんだよ。

『蜘蛛の糸』の冒頭はこんな美しい描写から始まるんだ。

 ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色のずいからは、何ともいえない好い匂いが、絶間なくあたりへあふれて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。

ゆったりと幸せが満ちている極楽の雰囲気が伝わるよね。そして蜘蛛の糸が切れてしまって、カンダタが地獄に再び落ちてしまった後の描写がこれ。

 御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてカンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。<中略>
 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆらうてなを動かして、そのまん中にある金色のずいからは、何とも云えない好い匂いが、絶間なくあたりへあふれて居ります。極楽ももうひるに近くなったのでございましょう。

一人の罪人とそれに続く烏合の衆が汗を垂らして必死に登って、結局真っ逆さまに落ちてしまった一連の出来事も、極楽には一切関係なく、穏やかな時間が流れているんだ。この対比が綺麗だよね。

「極楽は丁度朝なのでございましょう。」から始まって、「極楽ももうひるに近くなったのでございましょう。」で終わるのが、今の出来事がなんてことのない日常だって強調しているよね。これからも平穏な時間が流れていくようで、美しくも残酷。でもここに芥川特有の芸術性が出てると思う。

『蜘蛛の糸』は道徳的な教訓を読み解くものではなくて、その情景の美しさにもっと注目するべきだと思うんだ。改めて読み直したら新たな発見があるからぜひ読んでみて。」



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