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ワルサー集落クネアツ(キュネア)のパオラの山の家と村祭りのナンダの簡単タルト

友人知人と交換するレシピの話なら、そろそろクネアツの話もしなければ。

クネアツのパオラの山の家に、頻繁に呼んでもらう。

毎月というほどではないけれど、少なくとも2、3ヶ月に1回は週末泊まりに行くし、多い時は月2回行くこともある。
夏休みを半分過ごしたことも何度かある。

近所の人がいれば、昼夜一緒にご飯を食べる。

当然の事ながら、レシピ交換、新レシピ仕入れの絶好の機会となっている。

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このレシピは毎年8月15日、クネアツ(キュネア)の村祭りで上の階に住んでいる超料理上手のナンダが作ったもの。

チーズの種類にこだわらなければ、常備している食材で簡単で作れ、さらに超ローコストで見栄えが良い。

ワインのおつまみなどにも最適な前菜です。

クネアツは標高2000mで夏も涼しいので夏に教わったレシピだけれど、どちらかというと冬向きなのでこの季節に掲載することにします。

ワルサー集落クネアツ(キュネア)のパオラの山の家の話はレシピの後に。


材料写真

<材料> 数人分

・エメンタールチーズ

*見つからなかったり、高額すぎる場合は普通の雪印などのプロセスチーズでも代用可能だと思います。

イタリアではプロセスチーズ入手不可能なので試したことはありませんが。。。

今回、写真用に作ってみて、ゴルゴンゾーラでも美味しいかも、と。

・フランスパン(バゲット) 1本弱

・玉ねぎ  中1個ー1個半

・チーズ 150g

・マヨネーズ 適量

<作り方 >


1・玉ねぎは大きめのみじん切りにします。
2・チーズを適当な角切りにします。
3・パンも1cmくらいにスライスしておきます。


4・1と2にマヨネーズと混ぜます。


5・1センチ程度に切ったフランスパンに3を盛り、180度のオーブンで15-18分程度、若干焦げ目がつきチーズが溶ける程度に焼き、熱々をいただきます。


完成写真
見た目素っ気ないので古伊万里の大皿に持ってみました。

追記:久々に作ったら結構胃にもたれ、(年齢のせい?)お酢のものか何かと一緒に食べた方がいいかも。。。。


ワルサー集落クネアツ(キュネア)のパオラの山の家の話

去年もクリスマスを過ごして来たクネアツの冬景色

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パオラとの出会い

私の元アシスタントのジャコモがまだプノンペンにいて遊びに来い来いと言っていた頃の事。

夏休みにタイのバンコクからカンボジアに入る計画を立てた。出発2週間前に左肩を亜脱臼してしまったが夏のミラノの病院はどこも診察のスロットは一杯で、初診は最短でも秋になるとのことだった。

バンコクになら整骨師のような人がいるのではと調べ、評判の良いカイロプラクティックを予約して出発した。

ところがそのカイロプラクティック治療が裏目に出て激しい肩の炎症が旅行中悪化し、数枚持っていた被り式のワンピースやタンクトップは肩が上がらず全て着れなくなる程だった。

イタリア帰国前ホーチミンシティーからアレッサンドラの勧める肩専門の名医を予約。診察後保険の効かない理学療養士を紹介されたが、その治療が元でまた亜脱臼して元の木阿弥。

やはり保険の効く公共医療機関の方が治療の仕方も良心的なのでは、と何軒かの公立病院に連絡し最もアポの早く取れるところを選んだ。

そこで知り合ったのがパオラだった。

彼女が余暇に習っているアンティーク・フルートの先生が日本人で親日家だったので私の治療は彼女が担当することになった。

ただの理学療養士と患者の関係だった頃からとても親切で、これ良い本だからぜひ読んで!と、ジュリー・オオツカの「屋根裏の仏さま」のイタリア語版を貸してくれた。「屋根裏の仏さま」は百年前、「写真花嫁」として渡米した日本女性達を描いた、アメリカのペン/フォークナー賞やフランスのフェミナ賞を受賞している小説だ。

なんだか療養士と患者以上のものを求めているように感じたのは、単にもともと尋常ではないくらい他人に親切だからかもしれない。

全てにおいて、パオラほど自分の時間を惜しげなく他人のために費やす人をそれまで見たことがなかった。

それでも知り合った当時の彼女にはパートナーのギュンターもいたし、まだ学生で同居している娘もいて、知り合ってからクネアツの山の家に初めて招待してくれるには2年を要した。

初めてクネアツに行ったのは2014年の夏だった。

夏のクネアツ風景
朽ちかけそうな木造は17世紀の木造の家
この村は景観保護に指定されているため、適当な建て替え新築などは不可能で、 保存修復工事が必要。(その方が解体新築するよりコストは高い。) 子孫のまた子孫とオーナーが多すぎて長年改装のできなかったらしい。最近ようやく新しいオーナーが決まり現在改装中。
絶景の立地。

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初めてのクネアツ

クネアツは西欧で標高2000m以上で通年人が住んでいる唯一の村で、建物の件数は20数件程度。

イタリア北西端のヴァッレ・ダオスタという小さな州にある。

モンブランやマッターホルンという4000m級の山々が並ぶ山岳地方だ。

私たちミラノから行く者はイタリア語読みにしてCuneazをクネアツと呼んでいるが、フランス語風にキュネアと呼ぶのが正式。何しろミラネーゼはトリノのNoirという一家のことをイタリア語読みにして「ノイレ」と呼ぶ。フランス国境に近いトリノの固有名詞なのだからフランス語読みで「ノアール」と発音すべきなのに。。。。

なので本当は「キュネア」なのだけど、このブログではいつもの呼び名「クネアツ」と呼ぶことにします。

最寄りの街からロープウェイで標高差500m程登りそこからまた山道を15分くらい歩いたところにクネアツはある。雪のない季節なら四輪駆動の車で登れるが、道が悪くかなり冒険的な運転となる。

初めてクネアツに行った時は私にとって高校時代以来の山歩き。山に全くの不案内で歩くのに精一杯で、正直良さはわからなかった。

クネアツがかなり希少な立地でとても気持ちの良い場所であると感じるようになったのは何度目からか。

クネアツが山好きの人達の間で憧れの場所だと知ったのは、そのまたずっと後のこと。

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ヴァルザー集落

クネアツは17世紀に作られたヴァルザー集落。

ヴァルザー集落とは何かを説明してると長くなりすぎるので、別のクネアツで教わったレシピを書く時に、機会を見て書くことにします。

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ギュンター

パオラが稀に見る健脚なのに比べ、パートナーで高校時代の同級生のギュンターは体は大柄だが彼女ほど活動的ではなかった。だから、私たちが山歩きに出掛けている間、夕食やケーキを作って待っていてくれた。

ギュンターは国籍上ドイツ人。

子供の頃からイタリアで育ったというがメンタリティーも相当なドイツ人だ。

でも本当はちょっと複雑なドイツ人。

第二次世界大戦中ナチスドイツはチェコスロバキアの一部のドイツ語を母国語とする人々にドイツ国籍を与えたが、戦後、チェコスロバキアはそのドイツの国籍を得た約300万人を国から追放した。

母国チェコスロバキアから追放されてドイツに行っても、そこでもまた「外国人」と感じ、ギュンターの一家はヨーロッパを南下し、ここなら居心地が良いと住み着いたのがイタリアだったという。

そんな複雑なドイツ人だけれど私から見たら彼のメンタリティーはかなり本格的なドイツ人だった彼は、山の家の滞在中に私のやること言うことを見ていて日本人はドイツ人に似ているね、と。

そして

「ここが僕たちの山の家だから、いつでも好きな時にきていいからね。」

と言ってくれた。

ミラノに戻ってから山の家の招待のお礼に夏のバカンスが終わったらパオラとギュンターをうちの食事に招待しようと考えた。

でも結局ギュンターを食事に招待することはできなかった。

夏のバカンス後、9月上旬に外科手術を受けたギュンターは退院直後に心臓発作であっけなく逝ってしまったから。

その後、本当に好きな時に行かせてもらっているが

「いつでも好きな時に」

と言ってくれたギュンターの言葉を今でも時々思い出す。

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毎年8月15日のクネアツの村祭り
村中の人が皆一緒に食事を用意し昼夜食事する。
前菜用意風景
みんなよく働く



村の広場の薪式オーブン
村祭りでは昼にラザーニャ、夜はピザを焼く。
高山植物エーデルワイス
クネアツからは見えないが少し歩くと見えるマッターホルン



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