さとゆみさんのエッセイ講座で三島由紀夫を思い出す
『「自分ごと」が「あなた(社会)ごと」になるのがエッセイ』
佐藤友美さん(さとゆみさん)が講師を務めた、NHK文化センター守口教室主催「初心者のためのエッセイの書き方」を受講しました。
初めに、さとゆみさんから「日記とエッセイの違いはなんだと思いますか?」の問いあり、その答えの一つが、一番上の文です。
講座を受けての発見1
『読んでよかったと新しい気付き・新しい情報=「発見」があること」』
なるほど~
私自身、深く考えたことなかったなー。
たしかに日記が自分だけの殻の中だとすると、エッセイはその狭い殻を少し出て、社会とタッチした(←さとゆみさんが講座で使っていた素敵な表現)文章だからこそ人に読まれるんだと、新たな気づきを得ました。
ただ、これってエッセイに限らず、小説でも同じように言えるなと思い、ある小説を思い出しました。
講座を受けての発見2
その思い出した小説は三島由紀夫「豊饒の海」です。
4巻からなる大作で、三島由紀夫最後の作品です。
私ごときが語れる小説ではもちろんないのですが、この小説を読んでいる時に思ったのが、様々な登場人物の中に「私」がいるって感じたんです。
しかも「良い自分」ではなく「醜い自分」が。
特に最後の巻である4巻「天人五衰」にでてくる青年には、全てではないにせよ、「なんとなくわかるな」と自分のイヤな面を見ているようで、読みながら苦しかった。
(もちろん印象に残ったのは、自分と重なったからだけではない、素晴らしいと簡単に一言でいえない超大作です。)
エッセイも小説も、どこかで「自分(社会)ごと」となるのが、人に読んでもらう文章の基礎部分になるのかなぁと、講座を聴き、この文章を書きながら思いました。
お、発見2つ書けたかも?
さとゆみさんはものすんごく物事を深く考えて、考えて、それを書いている。ご著書からも講義の節々からも、ひしひしと伝わります。
そして私に足りないのは、物事を深く考えることだと痛感した講座でもありました。
しかし痛い思いをしただけでは、前に進めないので、このnoteを備忘録として書き始めたのですが、講座で話されていた「発見を2ついれるのがエッセイ」をこのnotで実践できたかも。
うん、できたとしよう。
そして、見逃し配信期間が、あと1週間。
もう一度見よう。
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