見出し画像

桐島聡と麻原彰晃 テロルの系譜

桐島聡が逮捕とは驚いた。


1970年代に起きた連続企業爆破事件に関与したとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)とみられる男性が、神奈川県内の病院に入院していることが捜査関係者への取材でわかった。警視庁公安部は本人の可能性が高いとみて確認を進めている。
(読売オンライン 1月26日)


神奈川県にいたというから、わたしもどこかですれ違っていたかもしれない。

桐島は「東アジア反日武装戦線」のメンバーだ。

彼らは、1974年8月30日の三菱重工爆破事件(死者8人、負傷者376人)などを起こした。


この事件は、オウム真理教事件が起こるまで、日本最大のテロ事件だった。

そのオウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)は、桐島と同世代(1歳ちがい)である。


桐島聡(1954年1月9日生まれ)

麻原彰晃(1955年3月2日生まれ)


麻原は「自分はもと左翼だ」「左翼に共感していた」と言っていたことがある。

麻原は、三菱重工ビル爆破事件の翌年(1975年)、東京大学を受験するため、熊本から上京してきた。爆破の跡がなまなましい丸の内の現場にも行ったかもしれない。

当時、桐島も麻原も20歳そこそこ。

この1970年代には、世間の一部に、まだ「テロの大義」に共感するような空気があった。二人は同時代の空気を吸っている。


それから15年後の1989年。

麻原彰晃は、オウム真理教批判キャンペーンを始めた毎日新聞社(サンデー毎日)の本社ビル爆破を計画した。

結局、ビルを視察しただけで、計画は実現しなかったが、実現していたら、たぶん三菱重工ビル以上の被害を生んだだろう。


それにしても、なぜいきなり「ビル爆破」という発想になるのか。

麻原は、三菱重工ビル爆破事件から発想したのではないか。丸の内の三菱重工ビルと、一ツ橋の毎日新聞社ビルは、皇居沿いで、目と鼻の先である。


桐島と麻原はもちろん面識はないだろうが、そのような「テロルの系譜」でつながっていたのではないか。

以上はわたしの想像だが、その仮説を小説「平成の亡霊」に書いた。



ヨーガ神気教は、ヤナの会社近くの皇居周辺で、炭疽菌を噴霧する実験をしていた。

ヤナがよく使う新宿駅で、青酸カリを噴霧する計画もあった。

また、日々新聞ビルの爆破を計画していたのもわかっている。

日々新聞ビルの近くにある、財閥系重工業企業のビルが、1970年代に、左翼に爆破された事件があった。死傷者400人近い大事件だった。麻倉の頭の中には、その事件の記憶があったのではないかとヤナは思う。

新聞社のビルは、24時間、人の出入りがあり、飲食店街もある。もしその爆破計画が実現していたら、重工業企業の事件以上の被害を生んだ可能性は高い。ヤナも犠牲になったかもしれない。

(小説「平成の亡霊」より)



麻原とオウム真理教は、毎日新聞社を爆破する代わりに弁護士一家を惨殺し、6年後に、三菱重工ビル事件を超える、地下鉄サリン事件の惨事を起こすのは、ご承知のとおりだ。



<参考>





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?