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昔取った杵柄


失いかけたとき、大切になる


兄が20代でがんを患ってから

食事療法、東洋医学などに傾倒して

結婚までに首を突っ込んだ時期がありました。

それは自分のためというより、自分も含めた家族のため

「隗より始めよ」、という気持ちからでした。

失いかけたとき、より大切に思うのが健康で

貪欲に健康の秘訣を追い求めては

自分の体に改善を試みたり、鍼灸を学んだり

ついでに資格まで取ってしまうというところまで行きました。

しかし、それも兄が治癒していくとともに薄まっていき

結婚や出産の中で徐々に消えていきました。


さて、ツボや解剖の本もどこへしまい込んだか分からないほどの年月がたち

次男が腰が痛いというので、鍼を使ったのが3年前です。

とはいえ、そのときはあまり鍼を使わず

もっぱらせんねん灸や生活改善程度で、いつの間にか快癒していました。


鍼の一撃


ところが、今回は首が回らないというのが事の始まりで

自分の部屋からSOSの声を挙げる息子なんて前代未聞です。

胸鎖乳突筋の付け根に凝りがあるのを自分で見つけて

そこに鍼を打ってほしいというのです。

危ない場所なので鍼の向きに注意しつつも、ちゅうちょなく打ちました。

そこへの一撃は思いのほか効いて

首は緩まり、本人いわく、「血が通い出した」そうです。


この体験がよほど鮮烈だった彼は

以来、すっかり鍼の力を信じるようになるのですが

私には、この一本の一撃だけだったので

気持ちのいい成功体験として喜んだものの、すぐに忘れていきました。


めまい・耳鳴り



しかし、それから2カ月して、今度は彼にめまいや耳鳴りが始まりました。

肩や背中なども含めて広く鍼を打とうとすると

そこはいいから首にだけ打ってくれと言うのです。

経絡を考え、遠隔にも打とうとする私に対し

いつの間にか自分が指導的な立場に立ち、スマホのアプリの解剖図を出して

「この筋肉に打って」などと注文をつけてくるようになりました。


私が嫌な顔をすると、「じゃあ、自分で打つよ」と言い出す始末。

「何というわがままな」

こうして、しばしばけんかになっては

向こうの前のめりにこちらが妥協したり

こちらが積極的になると、向こうが遠慮してみたり

それはそれは、いろいろありました。


時間を掛けなきゃ無理でしょう、長い年月でこんな体になったのだから

私はそう思い、古い教本にあったツボでも打ってみようと

たんたんとやろうというという感じです。


でも、彼は初めてのめまいで、精神的に不安になっており

最初こそ三、四日置きでしたが、頻回に鍼をしてほしがるのです。

押し入れから出てきた『入門解剖図譜』


ペーパー針灸師


私も臨床をほとんど経験していないので怖さも緊張もあります。

30年以上前に勉強したことなのでツボも忘れ、

本を見たり、ネットで調べたりというていたらくなのです。

コロナ禍でもあり、病院や治療院は最終手段と思っているのか

「あなただけが頼りなんだから」と、ずいぶん調子のいい言葉で

私の空き時間を狙っては、施術の機会を仕留めに来るのです。


何やかやで1カ月近くが過ぎました。

首周りを鍼で緩めて、だいぶ症状が改善すると

肩や背中にもしぶしぶ打たせるようになりました。


自分で探した凝り


肩が緩んでくると、今まで気付かなかった肩の凝り

押すと痛い箇所があることを自分で発見できるようになりました。

「ここに打ってくれない?」と言われて触ってみると

確かに深いところに凝りらしきものがあります。

左右の肩の該当部位に鍼をすると、「うん、来たぞ」と言います。

じんわりと来ていることが、ある種の快感のようで

首こりの、あの一撃ぐらいの手応えがあると満足気です。


そうは言っても、もう少しかかると思っていたのですが

翌日には「肩が軽くなった」と、すこぶる上機嫌です。

耳鳴りがすっかり消失し、めまいもほとんどなくなり

「俺の人生が開けたよ」、こんな言葉も出てくるようになりました。

自分でも肩を温めたり、運動や薬なども試した後だったので、

「やっぱり、鍼の一撃に勝るものはないね」と、今や完全に信者です。

「あの鍼は俺の人生を変えた」「肩ってこんなに軽かったのか」

そう聞かされると、何度か「むっ」としたことも忘れてしまいます。

こちらの肩の荷も下り、気が楽になりました。



「昔取った杵柄」とはよく言ったもので

身に付けたことはいつか生きるときが来るものなのですね。

私も勉強になり、もっと究めたくなりました。


時代が変わり、今や使い捨て鍼が主流


鍼は奥が深い



朝起きると、以前は真っ先にTwitterを見ていたのが

最近はネットでツボを検索したり、針灸師の発信を見たりしています。

ネットで探すと、かつて一緒に学んだ友人が鍼灸院を開いていて

店の案内やブログなどを出していました。

ご家族の病気に、鍼を生かした体験なども発信されていて

「連絡、取ってみようかな」と、考えたりする私がいます。


かつての、探究心に、また少し火がついたみたいです。

                            2022.5.22


創作の芽に水をやり、光を注ぐ、花を咲かせ、実を育てるまでの日々は楽しいことばかりではありません。読者がたった1人であっても書き続ける強さを学びながら、たった一つの言葉に勇気づけられ、また前を向いて歩き出すのが私たち物書きびとです。