桜と雪の出会う場所
主人がぽつりとこぼした。
「すごいなあ、本当に別れと出会いの時期に桜が咲くんだね」
主人の住んでいた地域では、祝辞に入る言葉は桜ではなく雪溶けらしい。さすが北海道。
私が春にいたとき、主人は冬にいた。
それぞれ時差のある季節を何度も繰り返して今、一緒に桜を見上げている。
人生に幾つもの岐路があって、選択がひとつでも違えば出会っていなかった2人。もっと言えば、先祖代々の歩む道が少しでもずれていれば、私たちも我が子たちもこの世には存在しなかった。
今目に映る景色は、星の数ほどの偶然と選択の先にあるもので。
そう考えると、運命なんて胡散臭い言葉を使いたくなるのも少しわかる気がする。
明日は上の子の入学式。
抱っこ紐で見た春
ベビーカーで見た春
手を繋いで歩いた春
はじめて「おはな」と言った春
手を離して駆けていった春
そして、ランドセルを背負った春。
これからこの子は思い出せないくらいの春を、出会いと別れを経験するんだろう。
たくさん笑って、たくさん泣くんだろう。
そうして何十回の春の先に、私たちとはまた別の自分の居場所を見つける。
生きていくとはそういうことだ。
そういうことなのだ。
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