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第196段「夢を語り続ける」

昨夜は大阪のロフトプラスワンウエストにて吉本新喜劇の俳優佐藤太一郎くんとトークイベント『陽太』。
毎回たくさんのお客さんに来ていただき、ただただ熱いトークをぶっ続けるだけなのですが、皆さんすごく楽しく聞いてくださってとても嬉しいです。
4回目の今回のテーマは『いろいろあるけど、だからこそものすごく熱い夜のトーク』
令和になって以来まさにいろいろなことがマスコミや芸能界を賑わしてるので、そんな話をさせていただいた。

終わって、何人かのお客さんと太一郎くんとさらに飲んだ。
そしたら太一郎くんに指摘された。
「今日の話、おもしろかったですけど、なんか角田さんらしく無いですよ。だって角田さんは夢を語らなくちゃいけないんですよ」
さらに、
「芸能界にこんな嫌な話があった、マスコミにこんな悲惨な話があったなんて、誰でもできるじゃないですか!そんなのおもしろくないですよ。」
的なことを言われたのでした。

・・・全くもってその通りだ。
今回はテーマがテーマだけに、たしかにそういう毒舌的な話が(いつもに増して)多かったのは事実だし、でもそれって確かに全然夢の無い話だ。

その言葉を反芻してホテルに戻り、翌朝起き、今新幹線で東京に戻っている。
そんな最中にもまだ、昨日のことを考えている。

つまり、この世界で、僕ができることは何か?

そして、考え続けて、結局僕がやれることは「夢を語り続ける」ことしかないんじゃ無いかって、そう気づいた(気がする)。

いい歳して夢とか語るのって、なかなか小っ恥ずかしいし、バカみたいだし、そもそも長く生きてるとだんだんそんな語ってる夢も、ただの現実にならない絵空事なんだって、周りだって自分だって流石に夢想に過ぎないって気付いてくる。
だから人は歳を取るとだんだん自分の夢を語らなくなるし、いつの間にか夢自体が小型化したり消失してしまったりもする。(もしかしたら、『昨日の『1000日どう生きる?』ってnoteに書いた文章は僕のそんな気持ちの現れだったのかもしれない)

で、だからこそ昨日の太一郎くんの指摘で、あらためて新たに気付かされたわけです。
「だからこそ、そんな絵空事かもしれない夢みたいな話をいい歳してもいつも語り続けてるアラフィフの男である方が、逆に逆におもしろいんじゃないか?」って、そんな風に気づいたわけです。

じゃないとおもしろくない。全然おもしろくない。周りもおもしろくないだろうし、そもそも自分自身が全くもっておもしろくない。
それじゃ生きてても楽しくない。

僕に著書の出版の声を次々かけてくれたり、トークイベントやインタビューや番組への出演の依頼をしてくださったり、さらに言えばそんな著書を買ってくださったり、足を運んでくださる方々は、そんないい歳したおっさんが、それでも夢を嬉々として語り続けてる奇妙な光景が見たいからなのかもしれない、と思ったりするわけです。

佐藤太一郎くんと皆さんのおかげで、昨日は僕にとって大事なことを気付かされた大阪の一夜になりました。本当にありがとうございました。

なので、角田陽一郎は、これからもじゃんじゃん早口に、いろんな夢を夢想を絵空事を、溢れるばかりに語り続けようと想います。

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