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第126段「はい、終わり。」

引退するイチロー選手。
引退は考えてましたか?の質問に、
常にクビになるのではないかと日々考えていたと。
偉大なイチロー選手でさえそうなのだ。
あらゆる人が自分はいらないのではないか?
用済みなのではないか?
無駄なのではないか?
って疑心暗鬼になることなんて、むしろ当然なのだ。

やらない理由なんてむしろ探せば腐るほどある。
そしてやらない人は後からそんな理由をこれでもかと言い始める。
やらない人は少なくとも絶対成功しない、だってやり始めないんだから結果も成果もそもそも何も無い。
結局できることは、あとはそんな人たちにどこまで付き合うかどうかという判断しかない。

もう確信持って言えるけど、結局成功する人はやり続けられる人だけだ。
やり続けても成功しないかもだけど少なくともやり続ければ成功する可能性はある。
でもやらない。
やり続けない。
やらない理由ばかり探し続ける。
もったいない。至極残念。
でもそれもその人の人生なのだろう。
さて自分は続ける?

そして何かを始めない、やらない、続かないことの言い訳をする人は「そもそも◯◯だったから」と過去形の言い訳を始める。
過去に問題があるから未来にやらないのだと。でもそれを持ち出すと永遠に延々と何も始まらないし、やらないし、続かない。
そしてその言い訳の実績を作り、さらにまたやらない理由を積み上げる。
さて自分はどうする?

それがそうなってるのはだいたい理由があるし、そうなってないこともだいたい原因がある。
未来は予想外が常に起こるけど、少なくともそうなってる理由とそうなってない原因から導き出された予測から、劇的に変わる未来なんてほぼ無い。
でもその予測を軽視して、人生の成功とは、宝くじで一攫千金を狙うことばかりの人がいる。

有名な人のコネを使って。
力のある人の援助で。
お金持ちをタニマチに。
人生の成功とは宝くじの一攫千金だと思ってる人は、そんなことばかり期待する。
そして自分にそれが無いことを嘆き、不平を言い、それが無いことを言い訳にして、結局自分自身が、始めない、やらない、続けない。
もはや、そんな人の人生に時間を費やすことに、何の意味もない。


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