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第48段「ネットオリジンは存在するのか?」

ネットの記事ってテレビのワイドショーのコメンテーターが、ある事件にこう見解したとかすごく多いんだけど、いつ頃からだろう?
多分テレビ見てれば書けるから記事にしやすいし著名人の名前をキャッチに使えるし効率が良いのだろう。
でもそのコメント自体がどーだろうが、その事件の問題に比べれば、ほんとどーでもいいのではないだろうか?

あるネタをコンテンツにすることにはそれ相応の労力と時間と作り手のセンスがいる。
そしてそれを効率という名で省くことが主流になればコンテンツは元ネタの劣化コピーまみれになってしまう。
それがネット的とも言えるけど、実は違う方向にネットを使うことだってできるんではないか?と考えてる。

実はネットを今のネタコピー的に使う方向は、ネットの使い方としてあまりおもしろくないと最近感じてしまってしょうがない。

あるネタがネットの中こそがオリジナルであってもいいわけで、それが出来た時ネットは次の段階に進化すると思うんだよな。
紹介するされる、引用するされるを超えて、ネットが使われる未来。

では、本当の意味でネットオリジンって何なのだろう?

本の代替の電子書籍ではなくて、テレビの代替のネット動画ではなくて、コンパの代替のオンラインサロンではなくて、実店舗の代替のネット通販ではなくて。

そんなもの元々無いのかもしれないし、どっかの天才がサクッと見つけちゃうかもしれないし。




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