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その先はずっと先

何かを始めることって実はそんなにハードルは高くなく、それを続けることこそ肝で、一度立ち消えても、なんとか舞い戻り、すまし顔で居座る図太さって大事だ(周知)。

仕事も趣味も誰かの応援も料理も恋愛もnoteもとにかく何も続かないけど、”脚本”だけは細々と接していたいがどうだろう。

今はあまり脚本を書く事が楽しくない。
よそ見ばかりしている。そうはいっても、クラスに通っているので提出期限を守り、作品を拵えてはいるが。”楽しくない”と思うと、”じゃあいいや”とこれまでは手離してきた。誰かに強いられている訳でもあるまいし、嫌なら辞めて店じまいだろう。そうして次の対象を見つけてまた小さく熱中して、を繰り返してきた。

結果として私の手元に何も残っていない。

確かに夢中になって割いた時間も、同じ志の仲間も、心躍る瞬間もあったはずだが。レンガのように積み上げたそれらをガシャンと崩すように、ある日突然に葬ってしまう。

私はいつも何かを続けた”その先”の景色を知らない。見た事がない。

それはそうで、単に川が上流から下流に流れるように、楽な方へ流れついたその先が現状なのだ。続ける手間を省いてきたのだから当然だろう。

”その先”を知らない私は、それ故に”その先”を割とピュアに夢見ている。

まさかそこが荒野で焼野原で虚無でしかないなんて思っていない。ましてや報われないなんて(だってアスリートはようやく辿り着いたその先で世にも綺麗な涙を流すし、難山を登頂するイモトの姿はもう何度も胸を打つ)。

だから。消えたり薄くなったり寄り道しながらもこの世界(脚本界隈)にちゃんと戻ってきたい。続けた”その先”を現世のうちに見てみたい。

何も続かない、という癖すらも物語にしないと(やってられない)。

果たして。

にわかに私周辺が結婚ラッシュだ。傷つき半分、尊み半分。私が”その先”を追っている一方で。
あの子は誰かと”今”を生きている。

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