優しいだけの世界

なんだか国内が、世界が、おどろおどろしいなあと思いつつ会社に着くと、ホワイトデーのお返し(私は何もしていない)が置かれており、その平和に(その落差に)眩暈がした。お礼を言うと、おじさんが、おじさんたちからだよ~と笑っていて、おじさんがおじさんという”役割”を引き受けてくれている、ただそれだけでちょっと感動した。役割は放棄されがちだ。

こんな緩い会社環境で働いていると、もうマトモな会社で働けないのではと底無しの不安に落ちるが、すぐにマトモな会社で働く気なんてもうないことを思い出す。覚悟が無いから迷うのだろうか。覚悟は決めるだけなのに。

母から定期便のように届く段ボールの中に、ディズニーのお土産があった。義理姉からだ。義理姉はどこへ行っても私へのお土産を忘れない。ボールペンだったり、クリアファイルだったり、リップクリームだったり。一人っ子だった彼女が、”姉然”として私を想ってくれる事が嬉しい。

映画も映像も本当はあまり興味がない私が、脚本を続けているのはこの世界が好きだから。映画人(監督や作家や俳優さんたち)と、彼らの放つ無垢さと緩さが好きだから。

怪物映画でアカデミー賞の作品賞を受賞した監督が”映画は世界の境界を消していくことが出来る”と言っていた。或いは本当にそうなのかもしれない。




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