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2019/06/29 舞台「エダニク」感想

浅草九劇にて公演中の稲葉友さん主演舞台「エダニク」を観劇してきました。
歌わない舞台は高校時代に東京芸術劇場で観たNODA·MAP番外公演「表に出ろいっ!」以来かもしれない。

それは置いといて、まずは舞台「エダニク」のあらすじについて。

とある食肉加工センター。

ある日、屠室で厳重に管理されているはずの、牛の延髄が紛失。
ここ別屠室の、屠殺用ナイフ研磨室も人の出入りや情報の行き来が慌しくなってきた。
この事件をきっかけに、初対面である取引先新入社員と加工センターの職人二人は、
屠畜という作業への言及や、企業間の駆け引き、立場の保守など、各々のアイデンティティに関わる問題をぶつけ合い議論を白熱させる。立ちこめる熱気と臭気。
「生」がたちまち「死」に、「生体」が次々と「物体」と化していくこの労働の現場で、男たちの日常は我々に何を問いかけるのか。
(「エダニク」公式ホームページより引用)

関連動画↓

物語の舞台は食肉加工センター。屠殺場。最初、屠殺が読めませんでした。とさつ。
要は農家が育てた家畜を、スーパーなどに食肉として販売するために加工する作業です。
タイトルの"エダニク(枝肉)"は、頭部·四肢端·内蔵·皮などを取り除いた肉体のことで、工場などで整然と吊るされているアレです。(中華街でよく見るのは割と豚のままだからちょっと違うのかな……?)
目にする機会は非常に少ないですが、私たちが生きるために命を頂く上で必要不可欠な職業ですね。
この舞台はそんな屠殺場で働く2人と1人の取引先社員の男達による会話劇です。

主演の稲葉友さんが演じるのは、20歳そこそこで結婚して小学生の息子を持つ父親の沢村。演者曰く、詰めが甘いところや調子に乗ってしまうところがあるけれど、身の回りの事や人を大事にしなければならないと考えている人物。
特別変わったキャラクターというわけではなく、ごく普遍的な男なのだろうと思います。

(※この先ネタバレを含みます)

浅草九劇は舞台と客席が非常に近い小劇場でした。
洋楽が流れる中、目の前には汚い部屋があります。ガムテープで補強されたソファー。汚れたコンクリートの床。3つの名札がかけられたロッカー。その脇に貼ってあるボロボロなフィットネスクラブの広告。天然水のダンボール箱。エプロン、長靴、ヘルメット。
細かいところまでよく作り込まれているというか、日本のどこかにある屠場を切り取ってそのまま持ってきたんじゃないかと思うほどのリアリティーです。

ラジオが繋ぐもの

音楽がフェードアウトすると、人の声が聞こえてきました。
「お送りした曲は……」
声の主はラジオのパーソナリティー。どうやら今まで流れていたのはラジオ番組だったようです。番組名は「ALL GOOD EVERYDAY」。
どっかで聞いたことあるな。
具体的に言うと昨日。エブリデイということは、毎日4時間半生放送なのでしょうか。きっつ。
ラジオを聴いているとリポーターと中継が入りました。リポーターがいるのは浅草九劇前。ここで「エダニク」という演劇が行われること、タイトルの枝肉の意味、観劇の諸注意が語られます。
パーソナリティーとリポーターのやりとりが終わると、次のリクエスト曲へ進行。

「続いてお送りするのは、沢村さんのリクエストで……」

既に紹介した通り、沢村とは物語の主人公です。今までずっと客席の世界にあったはずのラジオは、たった一つだけの台詞で観客を物語世界に引っ張りあげたのでした。
キャラクター名を事前に知っていたからこそ分かったものの、主人公の名前をその時まで知らなければこの切り替わりには気付けません。
虚構であり現実。現実にして虚構。「エダニク」がただの演劇ではなく、観客である私に密接に関わってくることをあのラジオは示唆しています。

くだらない雑談から示される問題

なんて馬鹿は馬鹿なりにごちゃごちゃ考えていると、「ウェーーイ!!」というデカすぎる声が響きました。
本物の馬鹿が来た。
下手からぬるりと現れた彼こそが沢村。どうやら自分のリクエスト曲が流れてテンションが上がっているようです。
そこから「ウエーーイ!!」と叫んでは給湯室と休憩室を行ったりきたり。どうやらカップ焼きそばを作っている模様。なんでここで湯切りするの。
粉末ソースを一点集中でかけて麺を混ぜていると、眼鏡をかけた男性が登場します。
名前は玄田。去年このミートセンター丸元に来た大阪人。沢村を先輩と呼ぶこともありますが、年齢もキャリアも沢村よりずっと上だそうです。

その2人が始めた雑談からはあらゆる問題が浮き上がってきます。センターの経営はあまり上手くいっていないようで人手も少ないこと。その中でライン作業とは別に、ブランド豚や病畜(病気や怪我をした家畜)の解体を別屠室にて手作業で2人だけで行っていること。
また、沢村の息子が父親の体に染み付いた臭いを忌避し始めたために、焼きそばソースの香りでバカになった嗅覚をリセットしたり、終業後にシャワーを浴びたりと気を遣わなければならないこと。

雇用問題や職業差別に関する話題ですが、決して重苦しいわけでも観客に強烈に訴えるわけでもなく、カートゥーンアニメのような大仰なお芝居で面白おかしく雑談は進んでいきます。
だってカップ焼きそばはひとつも焼いてないんだから正確にはゆでそばだとか、粉末ソースを一点集中でかけるとダマになって麺と混ざらないとかいう話を、顔を真っ赤にしたり首筋から眉尻にかけて血管をビキビキとかけ登らせながら叫んでいるんですよ。どうでもいいわ。でもこういう話するよね。

休憩室にやってきた事件と来客

2人が話していると下手からスーツを着た男性がぬるりと現れて休憩室を見つめています。
もっと馬鹿が来た。
彼の名前はイマイ。独特の喋り方と所作で2人を自分のペースに巻き込んでしまいます。話を聞くとどうやらセンターの取引先の新入社員だそう。そこの社長とセンターの所長が会議をしていて、それが終わるまで見学をしているとのことでした。
すると休憩室に一本の電話が。本棟で牛の延髄が紛失したとして騒ぎが起こっているそう。
「延髄ってなんですか?」
「それが無くなるとどうなるんですか?」
屠場に関する知識が全然無いというイマイ。持ち前の空気の読めなさで、観客と同じ疑問を容赦なく2人にぶつけます。その態度に苛立ちながらもきちんと説明する沢村。粗暴な大阪弁でヒステリーを起こす玄田。パワフルでカオスな状況でもきちんと3人のキャラクターが表現されていて、更に観客に説明もされています。
因みに牛の延髄は狂牛病の検査に必要な物で、それを無くすと出荷はできずセンターが損害を受けるそうです。
玄田は延髄の捜索に向かうということで沢村も同行しようとしますが、イマイの相手をしろと言われ2人は休憩室に取り残されました。

イマイの正体と妻子持ちの沢村

飄々としてして掴めないイマイと二人きりにされてしまった沢村。恐る恐る距離感をはかりながら、会話を始めていきます。
すると分かったのは、イマイは現在30歳でつい先日までニートだったということ。その事実に驚愕しつつも、なめたようなその態度が世間知らずからくるものだと思った沢村は、だんだんと上から説教するようになります。いずれは経営を~とほざくイマイを甘い!と一喝したり。
また、中盤に差し掛かるこの会話劇ではそれぞれのパーソナルな部分もより明らかになっていきます。
例えば沢村の家族について。冒頭の馬鹿な中学生のような振る舞いとは違い、沢村は妻と息子を愛する父親の顔を見せ始めました。
イマイにぴったりと寄り添い、スマホに保存された家族の写真を見せる沢村。イマイが写真に飽きていることにも気付かず、デレデレと幸せそうです。
ソファーの肘掛に浅く腰掛けて、楽しそうに閉じた両足を揺らすその姿は、リトルマーメイドを彷彿とさせました。ねえ、これ欲しい?20個もあるの。

そしてイマイのパーソナルな部分も明らかになります。長いニート生活から一念発起したと思いきや、特に就活を頑張った様子もなく父の会社に入社したというイマイ。おいおいとまた呆れつつも、沢村は引っかかります。
「お父さんの会社?」
「はい」
「会社の名前は?」
「伊舞ファームです」
「えっ君の名前…」
「伊舞です」
なんとこのイマイ、実はミートセンター丸元一番の得意先である伊舞ファームの跡取り息子だったのです。
馬鹿じゃなかった……。
今までの失言に肝を冷やした沢村は、その態度を180度どころか540度くらい変えて、伊舞に謝罪し泣いて縋ります。その光景は役者さん達のお芝居によってかなり笑えるシーンにはなっていますが、沢村の態度は妻子を養うために自分の解雇や会社の倒産は絶対に避けなければならないという、笑えない事情からくるものでした。

やがて3人は対立していく

やがて伊舞の正体が判明したこと、牛の頭部解体を担当した"柳さん"と彼と因縁のある玄田の奇行、丸元の存続の行方をきっかけに、3人の男たちは修復も叶わぬほどに拗れていきます。
クライマックスにおける3人の台詞の押収は非常にダイナミックで、そのエネルギーの強さに圧倒されました。さすが食肉を捌く人間というか、お淑やかにシーザーサラダを食んでる連中とはわけが違います。

伊舞は丹精込めて育てた命のために、玄田は一度傷つけた命に贖うために、沢村は愛する命を守るために。命というテーマの下、汗を飛ばし唾を飛ばし怒号を飛ばす彼ら。しかし指し示す命が全員違うがゆえ、答えを見い出せないというのは面白かったです。

生きるための肉を食うために生きるための肉

なんで3人はこんなに汗や唾飛ばして、叫んで泣いて、ナイフを向けたり首を締めたり胸ぐら掴んだりしているのでしょうか。
考えてみたら、突き詰めた先には肉がありました。
生きるための肉を食うため、私たちは働いている。働く意味とかやりがいとか、小難しいことをごちゃごちゃ考えることの多い現代人ですが、極限まで探し求めると肉に辿り着くようです。感情を追い求めたら、ただの電気信号に行き着くように。
人は生きるために肉を食べなくてはならないから。

そう考えたら、なんだかこの舞台が本当に可笑しく思えてきました。
食べるための肉を得るために、こんなに悩んだり苦しんだり傷つけあったりしてるなんて!
けれど、それが対価なのかもしれません。
動物の命を、人生の一部を支払って頂く。肉を食べるというのは、それだけの重みがあるです。あの舞台を観ることができた今の私には、それが少し分かるような気がします。

心よ、原始に戻れ

アイデンティティだのレゾンデートルだのと、自分の仕事について悩んだり迷ったりしてきました。今もそうです。
だけど自分が働く理由の一つを、この舞台を観て見つけることができました。
生きるための肉を食べるために生きる。
自分の内側にある、ここまで原始的な場所は知りませんでした。
将来への不安は変わらず重たいけど、生きる意味とか仕事へのやりがいとかそこに大仰なものを探すことをやめて、肉を食べることだけを考えることで見えるものもあるかもしれない。
浅草九劇を出たとき、「ずいぶん遠くまで来たなあ」と、耳の奥に残ったイーリアンパイプスの音色を聞きながら思いました。

最後に

家に帰ったら、奇しくも食卓には大きなハンバーグが置かれていました。
いただきますと両手を合わせて、一口ひとくち噛み締めて食べる時間は長かったです。
ハンバーグがこの日この場所にたどり着くまでに、たくさんの人の人生が消費されてきたこと。多くの問題を内包したままであること。そんなことを考えながら食べるハンバーグの味は表現し難く、でもやっぱり美味しかったです。

明日も肉を美味しく食べるために、私がやるべき事や考えなければいけない事は、これから先も山ほどあるようです。

浅草九劇「エダニク」は7月15日まで公演しています。チケット情報は↓
チケットぴあ
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b1932802
カンフェティ
https://s.confetti-web.com/detail.php?tid=52868

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