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写真や絵画とAI生成画像を、どこで線引きしたらよいか考えてみた。

実際に撮った写真や、人が描いた絵やイラストとAI生成画像があまりにも似通ってきて、その境目がだんだん曖昧になって来つつあるので、どういう線引をすればいいのか、自分なりに考えてみました。

そもそも写真とは何なのだろう。

めっちゃ、アタリマエのことを書くことになると思いますが、写真とは実在するものに光があたって、影を落とした状態を、レンズを通して受け、その明暗を、感光して写しとったものです。

例えば人物だと血の通った肉体の表面に薄い肌があり、透けて見える血色の様子や重力によって少し下がった顔の表面にできたシワの影や髪の毛一本一本、着衣、その他いろいろなものが作り出す反射光、透過光と影をフィルムやセンサーに色の情報として変換し刻み込んだもの。

感情を省いて客観的に見たらそれだけのもの、というと身も蓋もないですが、そういうものだと思います。

絵画やイラストとAI生成。ペンタブで描いたイラストは広義ではCG?

従来の絵画やイラストは、紙やキャンバスなどの素材上に、様々な画材を使用して、色分け、にじみ、透過、筆のタッチ、盛り付け、テクスチャーを駆使してアート表現するもの。

データではなくこの世に存在するもの。

ここで気になるのが、ペンタブなどを使ってパソコンなどに直接、手動で描いたイラストやアートです。これらはデジタル上でコピーすれば完全にオリジナルと同じものができます。

だいぶ前の話になりますが、パソコンが普及して間もない頃、PCで作成した画像のことは、大部分CGという呼び方をしていた記憶があります。マウスやペンタブで制作したものは、やはり広義ではCGということになるのかも。ペンタブで描いた絵も作者の気持ちが乗っていれば立派な作品なので、すこしモヤッとします。

PCで制作に入る前に、スケッチブックなどに下書き、エスキースなどがあれば、人が描いた証拠として認められるかも。でも後で描くことも可能だし…。

AI生成画像はそれらをデータ化し統計的に模倣した色の配列

一方でAI生成画像は、写真で撮影した結果や絵画などのタッチ、混色、多層表現、テクスチャーを言語やその他のデータと紐づけして、その膨大な統計結果を使って人間の撮影手法や、描き方を模倣したものをグリッドになった画像データ上に、色の配列として表現したものです。現状では、そこに直接的な感情を乗せる手立てはないと思われます。

この解釈であっているのだろうか。

この違いは決定的で、今のところ人の意志で撮影したり描いたものとAIで生成した画像は全く違うものだと言えると思います。

また、ChatGPTやBardに尋ねると人が作った画像のデータベースはコンピュータ内で再構築されたものを使うため、既存データをそのまま使ってコラージュすることはあまりないみたいな回答が返って来ますが、どのへんまで原型を残しているのかが今ひとつ判然としない。よく取り沙汰される話題ですが、オリジナルデータに似すぎていると、著作権的には、かなり問題ですね。

人間の目で違いが分からなくなってきたのが不安の原因。

見出し通りです。ちょっと前までは、写真系の画像なども、フォトショでバリバリ加工したみたいな感じで、なんとなくAIっぽい感じがありました。

それが日を追うごとにリアルになってきて、見分けがつきにくくなってきました。

加えて、実際撮った写真も、ソフトやアプリでの修正、加工が当たり前になっている。

フィルム時代でも写真の補正やオプチカル処理と言ってフォトショップで変形加工、合成するような処理はあったので、今や当然と言って良い工程です。これをやめるのは現実的に無理。

これも写真とAI画像との境界を曖昧にする一因でしょう。

アドビもAIを積極的に実装してきているので、さらにこの傾向が加速していますね。

ただ食品などを完全なAI画像で紹介したり販売したりするようなことがあると、それが分かった時点でかなり抵抗を感じる気がする。細かく検討すれば、AI生成でも構わないものと、実写やオリジナリティのある絵であってほしいものが見えて来るかもしれません。

AI生成にも芸術性は存在すると思う。

カエルはAI生成画像を否定してはいません。むしろアートの領域を広げるものだと思っています。

アートには人が手作りで一から作り上げたものだけという定義はないし、人に有益な新しいコンセプトがあれば、価値あるものが生まれる可能性はあります。アート性を人が見いだすと言ったほうが良いのかも知れません。

ただデータとはすべて過去のものであって、それを使って生成される閉じた状態の生成AIはそれを並べ替えたり組み合わせた、既存データの焼き直し(二番煎じ)だと思うので、それを知っている以上、魅力は感じにくいです。

また統計データは増えれば増えるほど、一般化に収束すると思うので、とんがった個性のものも出てきにくい気がします。今後の経緯に注目したいです。

統計データなのか、人の意志でできたものか、違いは大きいが、素晴らしいものができたら、気になれば議論すればいい。判断は人間の側にあります。

Adobeのコントリビューター Firefly ボーナス

カエルはアドビストックのコントリビューター(クリエーター)を2年ほど前からはじめましたが、最近コントリビューター Firefly ボーナスという名目でポイントが加算されていました。

これはアドビの生成AIソフトの学習に使われた報酬らしいです。AI画像の著作権問題対応の一環だと思われます。

カエルのやっているストックフォトは恥ずかしながらあまり売れてないので、こういった形で報酬がもらえるのはちょっと嬉しいです。コントリビューターと使用する方、双方にメリットがあるのなら、今後いい仕組みができてくれることを願います。

しばらくは生データや、原画を残しておくべきなのかも知れない。

AI生成と向き合う生活がこれから長く続きそうです。

カエルのようなグラフィックで仕事をする人間にとって、AI生成と人によるクリエイティブを分ける手立てとしては、意味がある、無いに関わらず、しばらくはオリジナルを残しておくのが良いのかも知れないと思いました。

先程も書きましたが下書きでも良い、できればメモ付きで。

とりとめのない文章になりましたが、今日はこの辺にします。


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