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【課題の分離とは?】『嫌われる勇気』を読んで('ω')

こんにちは('ω')ノ
本日は『嫌われる勇気』を読んだ感想を書きたいと思います!

本書の内容のすべてを紹介しきれないので、本記事では以下に内容のみに絞って感想を述べます。

「課題の分離」

今回は『嫌われる勇気』を読んだ感想なので、自分が感じたことをつらつらと書きますよ(^^♪


「課題の分離」という言葉から何を連想するでしょうか?

●複雑になった問題を、最小要素の課題に分離すること?
●目標に向かって課題を段階的に設定すること?

本書で「課題の分離」という言葉をはじめて見たとき、上記の事を考えたのですがそのどちらでもありませんでした

言葉から連想する意味は人それぞれなので、本書でも「課題の分離」という言葉に対してわかりやすい説明をされています。

人間の幸福度の大半が人間関係という風に言われているように、人間関係においてもこの「課題の分離」を意識することが重要です。もし今不幸だなと感じている人がいれば、この「課題の分離」を理解することで幸福度が増すかもしれませんね(^^)/

「課題の分離」をわかりやすく言い換えると?

人間の幸福度の大半が人間関係で決められていると言われています。

人は他人の課題に対して土足で踏み込んで、あたかも自分の課題のように介入してしまいがちです。

「課題の分離」を理解するためにわかりやすい質問で言い換えてみましょう。

これは誰の課題なのか?
自分の課題なのか?他人の課題なのか?

「他人の課題に土足で踏み込んで介入したらダメだよ、自分の課題に目を向けて、自分の課題にだけ注力を注ぎなよ」ということです。

他人はあくまで他人。
コントロールできない領域にまで首を突っ込んだりしてはいけないということです。

上司の課題なのか部下の課題なのか?

上司が部下の仕事に対して指導するケースも少なくありません。

自分が部下である立場上、上司から「こうやるといいよ」「この仕事をやっておいて!」と指示されたら、「このやり方よりこっちのやり方の方がいいと思うのに・・・・」「どうして自分がやらないきゃならないのか」など色々思うところがあっても反論できない人がいるのではないでしょうか?

上司が部下の仕事に必要以上に介入したり、部下が自分の意見があっても反論できないというのも「課題の分離」ができていない場合に起こりうることです。

●なぜ反論できないのでしょうか?
●反論しないと何が起こるのか?
●反論するための考え方とは何か?

ここからは僕の考えです('ω')

なぜ反論できないのか?

「なぜ反論できないのか」という話の前に、なぜ上司が部下に仕事の指示をするという構図が生まれるかから考えてみましょう。

仕事のプロジェクトにおいて一人で行うものなどはほぼありません。
必ずチームとして行うものです。
この時、「誰に対して何のタスクを課すのか?」というタスクの領域が存在します。

タスクと言うのは「何かをやる活動の最小単位」を意味しますが、何も問題がないのにタスクというのは存在しません。

タスクが存在するためには目標があり、現状があり、そしてそのギャップが課題(何をしていくか)であり、その課題を具体的に行う活動をタスクと言います。

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そうすると、目標がチームによって共有されているため、課題は必然的に共有されているということになります。
なので、↓このような課題のオーバーラップが生じます。

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上司が部下に仕事の指示を行うのは、平たく言うと「自分に関係があると思う」から部下に指示を行うわけです。しかし、僕が考えるにこの構図自体は正常だと思っています。この構図を意識しているのであれば、上司に対しても反論(自分の意見を述べること)できると考えています。

一方、反論できない人の構図は↓このようになっているのではないでしょうか?

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上司の仕事の一部を自分が行っているという状態です。

このような構図では、自分の課題だと思っていない、もしくは自分だけが取り組むべき課題を意識できていないため、課題に対する責任の所在が不明瞭になります。

この責任の所在の曖昧さが反論できない人の考え方だと考えています。

反論しないと何が起こるのか?

先ほど責任の所在の曖昧さが反論できない人の考え方だと述べましたが、部下が自分の意見がありながら反論しない場合に何が起こるでしょうか?

それは「責任転嫁」です。

部下が失敗しても「上司の指示だから」「上司の責任だから」という結末を迎えるでしょう。なぜなら、頭の中には↓このような構図があるからです。

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本来は課題が共有されながらも、ある程度分離がされているものです。
この課題の領域は「責任の領域」でもあります。

つまり、部下のミスに対してどこまで部下が責任を負うのか、上司はどこまで責任を負うのかも分離されているということです。

反論するための考え方とは何か?

先ほどから、「課題の領域」「責任の領域」という単語を使っていますが、反論をする考え方は、

課題の領域を決め、責任の所在を決めるということだと考えています。

言い換えると、課題の分離を行い、取れない責任の領域まで介入しないということです。

●子供の大学の学部や学科まで親が決めてしまう
●子供の就職先まで親が決めてしまう
●子供の結婚相手まで親が決めてしまう
●部下の仕事の方法まで上司が指示してしまう

などなど・・・・・結果に責任を取れない領域まで踏み込んでしまっている案件は挙げればキリがないですね。

そして、気付いたことは・・・・

他人の課題にまで土足で踏み込む人は、人より立場的に上になっている人に起こりやすいのではないかと言うことです。

だから、指導する立場になる人は気を付けなければなりませんね('ω')ノ

●人の課題にまで介入して結果の責任を取れるのか?
●自分の課題に介入されて結果の責任を誰がとるのか?
※自分の課題の責任は自分で取らなければならない。

もし、「上司の指示で失敗した」「上司の言いなりになって・・・」という口癖がある場合は、上司の指示はアドバイスであり、自分の課題は何でどこまで責任を負えるのかを紙に書き出して考えてみると良いでしょう(^^♪

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