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【人生コンテンツ化】休職したり転職したり紆余曲折あってCAEも好きで続けている

こんにちは(@t_kun_kamakiri
以前に人生コンテンツ化というテーマでこちらを書きました。

とある方がXでポストしてくれたので、改めて過去を掘り起こされたのですが、思ったのが「これ、4年前なんか!!」ってところです。
4年前というのは今と違うことをしていますし、4年間を振り返るだけでも色々と環境と気持ちの浮き沈みもあったなと。

4年っていうのは振り返りにちょうどよいと思ったので、人生の棚卸として振り返りたいと思います。

その前に、2020年までをざっと振り返ります。
誰得?って感じですが、自己満で文章を書き起こします ^^) _

2013年:入社。開発部署に配属。プロジェクト4つくらいを先輩と回す。残業は45~70時間くらい。深夜3時まではあったり、たまに朝帰り。
2014年:物理に再燃したため勉強を再開。この年からメイン担当を任され、仕事の回し方と人への頼み方が下手すぎて自分で抱え込みすぎて寝れなくなる。
土日や深夜に夜中に職場に忍び込んだりして、仕事をしていた(これは内緒、警備員を通っているので調べればバレルが)。上手くいかないまま一生終わるんかなと思うことも多い。鬱気味になる。上手くいき始めたころにプロジェクトが終了。「え、顧客から連絡なくなった!!」と思ったら、「あ、なるほど3月で終わるんやね」っていうことを学ぶ。
2015年:製品不具合などで忙しい部署があり4か月という約束で応援に行く。このとき、初めて量産設計の部署で働く。量産設計は開発部署と違って仕様書や設計目標が明確なので、あまり考えなくてもいいなーって思った・・・が、さばかないといけない仕事量が開発のときと段違い(考える暇が正直ない)。
2016年:年をまたいで会社が部署構成を変更する動きの中で、社内を歩いていると本部長から「お前、CAEに興味ないか」と声を掛けられる。「はい、あります!!」と食い気味に言ったため、開発部署のCAEの部署に配属が決まる。チャンスは逃さないタイプです!ただし、量産設計の部署がプラスで2か月延長ということになる・・・・このとき、会社の”4か月だから”という約束はあてにならないなと思いながらも2か月間応援を延長。
こういう限定付き応援からの延長で数年居座っている人多い聞く。「会社には意思を伝えているけど・・・・」ではだめだと思い、自分の意思を強引に通す。
強引というのは6月になって席を移動しCAE業務を開始。
2017年:CAEにまだ全然慣れない中、とある開発案件の担当になりじゃっかん鬱気味になる。夜中に会社に忍び込んで仕事をしたり、会社の仕事を家出したり(コンプライアンス大丈夫かw)、帰宅後に車から降りれなくてそのまま朝を迎えたり・・・このときオープンCAEを知り何としてもCAEの道でやっていきたくて自宅でシミュレーションを始める。
2018年:2017年からのプロジェクトが上手く行き始めた。最終3月で成果報告として120ページくらいの長編資料をまとめて提出。何とか、乗り切った。このとき、「あ、やっぱりプロジェクトって3月で終わるのね」って思った。吹っ切れたころにブログを始める。
2019年:鬱気味の経験が2回目になると思考力が回復するのに時間がかかるのかと思った。ゆえに、2018年~2019年までじゃっかん思考力、特に頭の回転が非常に悪いと感じていた。あと、残業全くしなくなったので「いや、給料低すぎやろ」と思うことが多くなり、副業を意識し当時はSNSでトレンド気味のWeb制作とかプログラミングとかをやる。
2020年:Web制作などプログラミングでの副業は挫折した・・・というかやり切れなかったので、大学の専攻の物理の質問サービスをココナラで始める。これが、結構あたって2024年の今でも依頼があり安定している。月に10万円いくこともあり、残業より副業の方がビジネス感あっていいねって思い始める。

ダイジェストで振り返りましたが、ここまでで2013年~2020年で2回ほど鬱気味になっていますね。しかし、何とか乗り切りました。
この後、どうなるのかというと2021年と2022年に鬱気味を発症して完全に休職に入ります"(-""-)"

2021年:同僚が辞め、さらにココナラでクレームきつめに入ってやる気無くす→働くのを放棄

2021年はある意味転機だったと思います。
世の中転職が当たり前になるようになり、会社の同期や先輩がどんどん転職をしていっている中、自分は8年くらい続けている(これでも長い方)

そんな中、仕事で物理の内容を一緒に話したり、会社内で「物理ならこの人」的評価を受けていた先輩が転職をしてしまい、本格的に同年代がいなくなる感じで孤独感にさいなまれました。

さらにコロナの影響で、順調すぎたゆえにココナラの物理質問がめちゃくちゃ多くなりすぎて、完全に疲弊してしまい・・・・ついに体調不良で納期が間に合わない日があり、その旨を先方に伝えると、めちゃくちゃに批判クレームを浴びてしまい、ここで完全にやる気をなくしてしまいました。

ちなみに、ココナラはこちらですね。

当時ほどではないですが、今でも依頼は来ます。
時給1000円換算にしているので、まあ価格勝負って感じです。数は今ちょうど良い感じですので、今も続けています。

で、コロナ当時は依頼が多すぎて完全に疲弊しきってしまい、自分も転職をして場所を変えないといけないと思い始めて、何をしたかというと・・・・・

上司に「やる気が無くなってしまった」と正直に伝えました。

え、そんな正直に言うのって思うかもしれませんが、信頼と尊敬をしている上司(どちらかというと先輩に近い感覚)だったので、隠さずに全部伝えました。

「気持ちは理解したし転職を考えてもいいし、どちらにしても休職したらどうか?」という話になったので、1か月だけ休職をさせてもらいました。休職届は出していないので、給料なしで1か月休む感じです。

一か月間何していたかったいうのは、当時ほぼ毎日のようにnoteを書いていたので簡単に振り返ることができるのですが・・・・

で、やっていたのがこちら。

製造業コミュニティとか作っていますw

今、振り返って「正気かった?」って思いましたよね。
ぶっちゃけると、このとき会社を休んでいます。
さらに別の記事を見ると・・・・

朝の6時に起きて「朝もくもく会」とかやってますねw
その後、昼にバスケして、夜にツイキャスライブとかやっていますねw
これは日曜日ですが、平日見てもこんな感じです。(あれ?このとき会社休んでたよな?)

鬱で会社を休んでいたんじゃなくて、溢れる思いか気持ちかエネルギーの発散場所がなくて、絶望していたんだなって感じました。

で、4月の休職期間の一か月の間に転職活動して内定をもらって、5月にしれっと会社に復帰して7月に転職をしました。

あと、動物好きなので9月にとうとう猫を飼います。

1社目を転職して2社目に突入し、猫と暮らし始めた2021年。
1社目の経験を活かして、2社目もすぐに適用。

2022年:またまた休職して転職する

2社目にも慣れてきて突入した2022年ですが、2022年も色々ありすぎて、もう振り返りnoteを書きました。

結論から言うと2社目も休職して転職をしています。
ぶっちゃけると1回目の転職は失敗したなって思っていました。

なぜかというと、2社目は1社目の競合他社になるので、仕事内容は全く変わらずCAE解析で製品も全く同じ。それでいて、人間関係だけがリセットされたからです。

転職時に不満に思っていたことは、
・1社目の給料が低いこと
・学会発表などをもっとしたい(1社目もしていたが)
・ちょっと田舎過ぎない
(僻地ではないです。大阪育ちなので個人の感想です)?
・CAE解析でも特定分野ではなく色々と幅を利かせたい。

で、改善させたのは以下3つ。

・1社目より給料100万円アップ
・学会発表などの機会
・大都市圏まで電車で10分

1社目より給料100万円アップに関しては、からくりがあって1社目は家賃補助があったので、実質家賃はタダ・・・ですが、2社目は家賃補助がない。
自分は家賃で固定支出を増やしたくない派だったので、家賃5万円の2DKを借りました。会社まで車で15分、大都市圏まで15分のバランスのとれた場所に住みました。
なので、実質収支で考えると40万くらいアップです。

※ただ、この見た目の給料っていうのが大事で次の転職をするときの見栄えが良くなります。

転職をしようと思った材料をざっと並べると・・・
・仕事内容が全く同じなのに人間関係リセットされて、色々周りがだるい
・部署変革多すぎ会社だった。
 ゆえに、フォルダがぐちゃぐちゃで整理されていなくてマニュアルもない
・部署構成変わりすぎなのに、仕事が属人化しすぎ。毎回同じ人に聞く
・お局がうるさい
・順番と言われて途中工場応援にいく(これが完全にきっかけ)
・猫が朝4時くらいから泣きすぎて寝不足(これは慢性的な引き金)

完全に精神がおかしくなったのは、工場応援に行くことが決定したあたりです。もともと、転職失敗したなと感じていたのに、大企業あるあるかもしれませんが、工場が回っていないから期限付きで応援に行くというもの。
内容は組付け行程など。

工場応援の何が合わないと思ったかというと、
・院卒なので賢いと言われる
・院卒なのでボーナスいいのかと聞かれる
・「自分慣れているのでできます」とか言いながら、まず外で観察しているという受け身を見かける

おそらく自分よりもっとうまくやれる人いるからと思い、早々と退散することを決意し、2日で工場応援は行けませんを頭を下げることに・・・

さらに、猫ちゃんの朝4時からのにゃーにゃーによる寝不足があって、疲れがみえて、そのまま会社に休職の旨を上司に伝えました。
またまた、上司も信頼おける人だったので休職中も定期的に話をするなど色々と相談に乗ってもらいました。

さらなる転機は、休んでいる間にSNSで知り合った製造業コミュニティメンバーとオフ会をする機会を得たことです。
そのときに自分の悩みを打ち明けると「それ、軸ずらしミスってますね」って言われましてね。。。。

「おや?軸ずらし?」・・・「なにそれ?」ってなりましたよね(笑)

要するにに今もっている知見やスキルの軸をずらして、新たな経験ができる会社を選択できていませんよねっていうこと

2020年あたりにWebの勉強をしていたから、それで2社目というの転職の時に考えていましたが、今までの製造業での積み上げを消すことになり軸を完全に無くすことになるので、それは危険と感じ、競合他社に行くことに決めたのが2社目・・・・軸はずらさないように・・・

って思ったいたのですが、逆に全く軸をずらしていないということにそこで気づきました。

そして、その製造業コミュニティメンバーとオフ会の中で「うち、CAEのポジションはこれからだから空いていますよ」って話を持ち掛けてもらって、「おや、これまたチャンス来たか」って感じで乗っかることにしました。

その場でさらに言われたが、「こういうチャンス、良い方向に転がるかはわからないけど、すぐに乗っかれるかどうかって人生でかなり左右しますよ。良し悪しは後で判断すればいいわけですし」です。その言葉で、まずチャンスを掴みに行きつつ、落ち着いて別の会社も見ながら転職活動をしました。

そして、約5か月間の休職期間を経て、お誘いただいた会社に転職をしました。 

•仕事は製造業開発部でCAEをすること
•勤務地はほぼ変わらないこと(他県はなし)
•年収はキープ
•車通勤
やっぱり仕事の軸とかぶっちゃけ考えるのめんどいので、上記満たしてるかをふわっと見てました。
内定前にも、会社懇談会や工場見学などさせてもらい、まずそのフットワークの軽さと迎え入れようとしている姿勢を感じて、それが嬉しかったので合意しました。

ちなみに休職期間中はあとで休職手当をいただきました。
5か月間無給で休んでいるとマジでお金減りますw
お金いらないと思っていたのですが、2社目の人事に「後でももらえるので絶対もらった方がいいですよ」って言われて、甘えることにして頂きました。これはマジで助かりました(>_<)

次の会社は、1社目2社目とは違った業界のこれまたCAE解析者として迎え入れてもらいました。
ここでは流体解析、構造解析、熱解析などCAEでの有名どころをやっています。1社目2社目は何やっていたの?って話ですが、まあこれを見てください。だいたいわかるでしょう。

9月に転職をしましたが、同時期の9月にオープンCAEの勉強会の講師とかさせてもらいました。

会社を休んでいても社外活動はやめていません・・・

2023年:結婚などでさらに環境が変わる

今まで一人暮らし(途中から猫と暮らす)で好き放題やっていました。
どれくらい自由かというと深夜に裏の田んぼでシャトルランしています。

で、この年に結婚をしてパートナーと猫2匹で暮らし始めました。

仕事も休職などすることなく、伸び伸びとやっている感じです。
この年もまたオープンCAEの勉強会の講師をさせてもらうなど、ありがたい機会を得ています。

相変わらず、こちらの準備は時給換算したらいくらやねんって感じですが、すごく頑張って準備するので自分自身が成長しますよね。
こういう機会をもらえるのが本当にありがたいです。

年収は2社目よりさらに年収100万円くらいアップしました(年功序列がようやく効いてきたか?)

2社目全く持って失敗の転職に終わったかというとそうではなく、3社目は「年収いくらだったので、最低これくらいはほしいです。しかし、御社の給与体系には従います」と交渉材料には使わせてもらいました。
結果、1年目は試用期間でしたが2年目からだいぶ変わりましたね。
残業もほぼなく18時くらいには帰宅しています。

仕事も副業も順調ですが、この年の一番のネックは腰痛でした。

想像以上の不自由さ・・・・

もともと腰が痛いなーって思っていたのですが、ある日クシャミをしたタイミングで腰から崩れ落ちました・・・・
それから病院に行き、コルセットを巻きながらの生活を余儀なくされ、会社も2日ほど休み・・・・
ようやく回復してもクシャミは相変わらず恐怖で、腰が曲がらな過ぎて靴下も履けないし椅子にも座ってられない状況が続きました。

年を取り、もうこれ以上回復することはないと半ば覚悟を決めながら、毎日腰痛を薬で誤魔化しながら生活をします。

2024年:腰が全回復しアプリ制作を始める

2023年がマジで腰が終わっていたのですが、年末のある日突然腰の痛みが無くなりました。

2023年は公園にバスケに行ってもまともに走れない、腰から崩れるなどあったのですが、本当にある日腰が全く痛くなくなりました。

腰痛回復の特効薬とかあったかなと思い返しても無く、強いて言えば毎日神様にお祈りしていたくらいですw
「神様にお祈りしていた」ってなんやねんって話ですが、要するに「日々お与えいただいている出来事に感謝をする」ということです。

全回復したので、2024年から計算力学熱流体の問題アプリを作り始めました。

こちらも知人が「アプリの実装側をやるんで、だれか問題を作りませんか?」って話題が出たので速攻で乗っかりました。

・問題アプリ制作
・キャリア相談(メンター)
・LINEでのオープンチャット
・音声耳学習

など色々と準備しています(正確には準備をしてくれています)

こういったサービスを考えたとき、どこで収益源を作るかが難しいですよね。良いサービスを作っても売れない・・・・広告費で稼ぐか、コアな人に届けるか。無償で提供しながら広告費で稼ぐと業界全体の価値を下げて価格競争で自分の首を絞めることになりますし。。。

と、同時に技術書典にも申し込みました。

技術書を書くのはひとつの目標ではあったので、腰が全回復したタイミングで勢いに任せて申し込みました。
まだ、審査中です。
審査に通る通らないは別として何かネタを考え始めます。

まとめ

今は、3Dプリンターしたり・・・・

自宅でCAE解析したり・・・・

電子工作はじめたり・・・・

問題アプリを作ったり・・・・

動画編集をしたり・・・こちらは妻の作品です

2020年からさらに4年間を振り返りました。色々あったなと思いましたね。
人生は1度きりで通過点なんでしょうが、次2028年に振り返るとさらに状況が変わるんでしょうね。
社会人生活で2年に1回くらい病んでる自分ですが、今は全く症状が出ていないので多少成長したのかもしれません。
振り返ると、少し無茶しすぎているかもしれませんが(今朝の5時ですし・・・)、壊れた時が休み時ですね!(^^)!

最後までお読みいただきありがとうございました。
身バレ覚悟で誰か「人生コンテンツ化」書きませんか?
人の人生紆余曲折は興味ありです(^^)

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