3・11 東日本大震災➁

3/11をまえに、思うこと〜ブログ3歩〜 - かめのあゆみ〜一陽来復〜 - Yahoo!ブログ https://blogs.yahoo.co.jp/kamethiyo_tokugawa2013/12795144.html #ブログ #地震 #震災

▼2015/3/11(水) 午前 0:56 #震災 #地震

こんばんは。

さきほど、「3月11日」になりました。
さまざまな想いがこみあげてくる一日です。忘れられない日です。

2011年3月11日・午後2時46分。

あのとき、わたしは東京にいて地元に帰る東北新幹線に向かうため家を出る瞬間でした。
いまだかつて経験したことがない揺れ。
いろいろなことが突然に壊れたような瞬間でした。

東北の家族とは連絡とれず、2.3日でメール確認できました。電話がつながりません。
約1ヶ月間、東北新幹線は不通となりました。

それから様様なニュースを耳にして、津波や原発の事故を知り、多くの知人の死を知りました。
このとき、Twitterをはじめて情報収集するようになりました。

後日分かったことですが、
実家は半壊。瓦屋根が周囲に吹っ飛び、壁にはひび割れ、塀が壊れました。部屋の中はぐちゃぐちゃ。電化製品や食器が全損。
水道管が破裂して断水。家の蔵書や資料コピーが水浸しで廃棄。
辛うじて電気だけは通じていたのですが、生活できない状態でした。

ご近所も全壊の家と半壊の家に別れており、マンホールが飛び出しています。道路もひび割れており、一部通行不能の道路も目立ちました。
まだまだ寒い季節。雪が降っていました。
生活物資が不足。ガソリン不足で、車の移動もできません。

わたしの家族(両親、妹夫婦と甥)は放射能問題と余震があまりに酷いので、親戚を頼って山形県に1ヶ月以上、避難しました。

地元に帰ると、体育館やイベント会場が、浜通りの皆さん「仮の避難所」になっており、社共職員の母とボランティアに行きました。
まだ仮設住宅にお住まいで、町の役場など移転して、業務されています。

壊れた家や道路は修復されたものの、生活圏から強制的な移住を強いられた多くの住民。
原発問題は終わることなく、その不安と風評問題に苦しみ悩まされ続けています。
落ち着いてから、街の除染活動が進みましたが、なにかと疑問と不安が残ります。
汚染水漏れの隠蔽など、不信感ばかり募ります。

決して他力本願ではありません。
2012年に東京から地元に引っ越して、“自分が何をできるのか”日々模索して、行動しています。
何を信じて、どんな未来を描いて生活したらよいのか、分からないことがあります。

そんな現状です。
つらつらと書き上げてしまい、自分でもまだ整理できないのです。

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