ノリオ

2007年よりニューヨーク在住。1967年生まれ。会社員。オットと二人暮らし。私の暮ら…

ノリオ

2007年よりニューヨーク在住。1967年生まれ。会社員。オットと二人暮らし。私の暮らしについて書いています。 趣味ー料理、読書、ジョギング、手芸、イラストetc. 色々なことから逃げて来たけど、つくづくニューヨークにやって来てよかったと思う。

マガジン

最近の記事

❹ 国語1英語1だった私が50歳でニューヨークのコミュニティーカレッジを卒業し、現地採用された私が英語で日本語を教えるまでの道のり。

https://note.com/kamejiro2145/n/n952f4c82e86c ↑ーそのいちーのリンクです。お読み頂ければ幸いです。  フランス語クラス 二日目、  もう先生の名前は忘れてしまったが、絵に描いたようなフランス人男性だった。耳も襟足も隠れるくらいの長さで、栗色の綺麗なカールを活かしたヘアスタイルをしていた。ボルドー色のジャケット以外の洋服を着ていた記憶がない。中肉中背で田村正和がフランス人になったような感じの人だった。語学の先生にとても適した人だ

    • ❸ 国語1英語1だった私が50歳でニューヨークのコミュニティーカレッジを卒業し、現地採用された私が英語で日本語を教えるまでの道のり。

      ↑ーそのいちーのリンクです。お読み頂ければ幸いです。  公民館のフランス語教室にいた生徒は老夫婦一組、アメリカ人のご主人を持つ中年女性二人、このクラスの主催者である人はかなり年齢を重ねたご婦人、麻布でスナックを経営している私と同年代の女性、定年退職したご婦人二人。 私には後がない、英語がダメなのだからフランス語で挽回しないと!という無茶な意地があった。 アメリカ人のおばさんに習っているときはテキストなしでとにかく会話重視の学習スタイルだった。しかも、素人の上に日本語は話

      • ❷ 国語1英語1だった私が50歳でニューヨークのコミュニティーカレッジを卒業し、現地採用された私が英語で日本語を教えるまでの道のり。

        ↑ーそのいちーのリンクです。お読み頂ければ幸いです。 何故ここに来たか? ーそのにー犬みたいな名前のサロンでヘアカットをしていると同僚が突然「ねぇ のりちゃん、馬好き?」と聞いてきた。えっ?ちょっと変だと思う。この同僚は常識のある人だから私の施術中に突然意味不明な事を聞いたりはしない。でも、一様 礼儀として 「馬?競馬はしないよ。」 と返答をする私。 「いや、競馬じゃなくて、馬好き?」 更に突っ込んでくる。 「えー、好きか 嫌いかと聞かれたら、どっちでもない、の好きよりかな

        • ❶国語1英語1だった私が50歳でニューヨークのコミュニティーカレッジを卒業し、現地採用された私は英語で日本語を教えている。

          何故ここに来たか? ーそのいちー 40歳目前日本で3年間勤めていた法律事務所で突然のくびになってしまった。弁護士は私には落ち度はないと言って少し退職金を貰い、そのお金を持って1年語学留学に出た。30歳の時(1997年)にはフランス語を勉強したくてフランス語留学に1年出たが、その時の状況より2007年のニューヨーク留学は雲泥の差で苦労が少なかった。フランスではテレビも持っておらず、アパートの電力不足でまともにCDを聞くこともできなかた。当時は個人のPC所有率もまだまだ少なかった

        ❹ 国語1英語1だった私が50歳でニューヨークのコミュニティーカレッジを卒業し、現地採用された私が英語で日本語を教えるまでの道のり。

        • ❸ 国語1英語1だった私が50歳でニューヨークのコミュニティーカレッジを卒業し、現地採用された私が英語で日本語を教えるまでの道のり。

        • ❷ 国語1英語1だった私が50歳でニューヨークのコミュニティーカレッジを卒業し、現地採用された私が英語で日本語を教えるまでの道のり。

        • ❶国語1英語1だった私が50歳でニューヨークのコミュニティーカレッジを卒業し、現地採用された私は英語で日本語を教えている。

        マガジン

        • 気になる
          0本