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❶国語1英語1だった私が50歳でニューヨークのコミュニティーカレッジを卒業し、現地採用された私は英語で日本語を教えている。

何故ここに来たか? ーそのいちー

 40歳目前日本で3年間勤めていた法律事務所で突然のくびになってしまった。弁護士は私には落ち度はないと言って少し退職金を貰い、そのお金を持って1年語学留学に出た。30歳の時(1997年)にはフランス語を勉強したくてフランス語留学に1年出たが、その時の状況より2007年のニューヨーク留学は雲泥の差で苦労が少なかった。フランスではテレビも持っておらず、アパートの電力不足でまともにCDを聞くこともできなかた。当時は個人のPC所有率もまだまだ少なかったと思う。携帯電話を持っている人を初めてみたのが1998年で、友人のリッチなボーイフレンドだった。

 法律事務所勤務のパラリーガルと聞くと自分でも‘’何だかまともな、ちゃんとした生活を送っている人”と思うが実際にはそうではなかった。弁護士一人とパラリーガル一人の個人事務所。何の保証もなく保険も国保。もちろん薄給。当時は実家暮らしだったので何とか暮らしていけていたが、一人暮らしは家賃の安い田舎暮らしでも難しかったと思う。しかし、この経験は将来ニューヨークでの職探しでとても役にたった。

 私は高校卒業後、実家を出て東京の美容学校に通った。”かっこいい美容師になってやる!”と高い志を持っていたわけではない。親元を離れ、東京で暮らしてみたかったのだ。高校時代に読んでいた”宝島”と”ビックリハウス”におおいに影響を受けたためだ。大学に行くという選択はなかった。私は勉強は大嫌いだったし、成績も見事に悪かった。しかし、手先はかなり器用で、おしゃれも好きだったので、”美容師になりたいので東京の美容学校に行かせてください。”と親に言っても納得してくれる材料は十分と考えた。

 美容学校を無事卒業して、港区にあるスタッフ3人のこじんまりとしたサロンに勤務し始めた。在学中までは割と良い子でほぼ無遅刻無欠席だったと思う。しかし、働きだすと友達もできライブハウスやクラブに行く楽しさを覚え、朝起きれない事がしばしば続き、9時始業にもかかわらず出社が午後2時3時ともなれば働きにくい状況を自分で作り出してしまうことになる。サロンのオーナーは事あるごとに私ともう一人の同い年の勤勉なスタッフと比べ、全ては自分の蒔いた種なのだが、私の不甲斐なさを執拗に突いてきた。若さゆえの利己的な意地もあり、「どこかに私の良さをわかってくれるサロンオーナーがいる筈。」と無鉄砲にもそのサロンを退職した。

 当時はバブル前でヘアサロンでの就職口は割とあったと思うが、5件以上のサロンで採用を断られた。以前の勤務先の先輩に私の状況を説明すると、適当な返事が返ってきた。「六本木で犬みたいな名前のサロンがあるらしいんだけど、いつも人を探しているんだって。」今なら、もう少し説明とかヒントが欲しいと食い下がると思うのだが、当時の私は月曜日の朝日新聞で見つかるだろうと高を括っていた。当時はまだネット検索はおろか、求人雑誌すら存在していなかった。待ちに待った月曜日、この日ばかりは早起きをしコンビニで朝日新聞を買い求人欄に掲載されている社名を一つ一つ人差し指で確認しながら呪文のように「六本木の犬、六本木の犬、六本木の犬.…」と探すのだが、途中で「そんなのあるわけない!」と考え始めた途端「アンドレバーナード」の文字が飛び込んできた。そして住所は六本木。これだ、これに以外に犬みたいな名前なんてあるわけない。サロンがオープンしただろう時間を見計らって電話をかけてみた。すでに面接で何度も不合格だった嫌な思いがむくむく湧き上がってきた。「今回もきっとだめかも。」電話の発信音が突然切れ、色気のある女性の声で「ハロー」と言ってきた。英語で出るとは全く期待していなかったので私は固まってしまった。私が黙っていると「日本語でどうぞ。」と言われ、最終的には面接の日時を伝えられた。

 履歴書を持って犬みたいな名前のサロンに到着した。エレベータが開き1歩前に足を踏み出すと以前働いていたシュッとしたスタイリッシュな雰囲気とは真逆なロココ調な雰囲気が広がっていた。壁紙は花柄、接客用の鏡は巨大な白い化粧台に埋め込まれていて、何人かのお客さんは白人女性、そして外国人ヘアスタイリストも働いていた。「また、採用されない。絶対無理、場違いにもほどがある。」啞然としていたらレセプションの横にある店長室のような所に通された。襟を立たせた小柄な優しそうな男性が座り心地のよい椅子にリラックスして腰を掛けて私を出迎えてくれた。履歴書を見ながら私が出来ることは何か説明するように言われ、私が一通り説明すると、「いつから働らけます?」良い意味での青天の霹靂だった。もちろん仕事は欲しいが、英語は全く話せないし、今までの勤務先とあまりにも違うし、「私はここでやっていけるんでしょうか?」と聞いてみた。するとユキさん(店長の名前)は私が不安になるのはわかるが、一般の美容院となんら変らないし、英語が話せなくても全く問題ない。そして「私も四国の農家の次男なのよ。」と話を締めくくられた。とにかく店長がいいというのだから、まあ働いてみようと思ったが、あまりに私とは別世界へ飛び込んだ感が満載でサロンを出たあとも呆気に取られていた。今思えば、先輩に「六本木の犬みたいな名前の美容院」を聞いた時から私の人生がこっち側に寄ってきたのだと思う。


まだまだ続きます。


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