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【読書日記】12/14 「明日 またるる その宝船」「忠臣蔵の決算書/山本博文」

時は元禄15年師走半ばの14日

はい、12月14日、赤穂浪士吉良邸討ち入りの日でございます。
子供の頃は決まってTVで忠臣蔵を放映していたのですが、最近はとんと見かけません。
まあ、令和の価値観に合致するかといわれると微妙ですが、格好良い役者さんたちの見せ場も多くて物語として優れていると思っています。

さて、少し違う切り口で「討ち入り」について紐解く本書

「忠臣蔵の決算書」著者 山本博文  新潮新書

吉良邸討ち入りに費やされた軍資金は「約七百両」──武器購入費から潜伏中の会議費、住居費、飲食費に至るまで、大石内蔵助は、その使途の詳細を記した会計帳簿を遺していた。上野介の首を狙う赤穂浪士の行動を金銭面から裏付ける稀有な記録。それは、浪士たちの揺れる心の動きまでをも、数字によって雄弁に物語っていた。歴史的大事件の深層を一級史料から読み解く。「決算書」=史料『預置候金銀請払帳』を全文載録。

書籍紹介ページより

どんな事業でも必ずお金が動きます。そのお金の動きを記したものが会計帳簿。
逆にいうと、会計帳簿を見ればどんなことをしていたのかが逐一分かる。

藩がおとりつぶしの憂き目にあったのち、藩札の償還や財産の処分を行い、藩士たちに退職金を渡すなどして残った資金約7百両。

その資金を使ってまずは、お家再興のために働きかけた
その道が立たれた後は、同士の生活費に、上方と江戸の旅費に、潜伏場所の家賃に、と同士の生活を支えながら着々と討ち入りの準備を進める費用に費やされた
そして、とうとう最後、討ち入り道具の購入費が記載される

 着込と鉢金(鎖帷子と頭の防具)金一両一分二朱(約16万5千円)
 長刀 金一両(約12万円)鎗 金二分(約6万円)等

戦国の世が終わって久しい元禄の雪の夜、鎖帷子に鉢金に身を固め長刀や槍を構えた浪士たちの姿が浮かんできます。

これらの収支を記した『預置候金銀請払帳』は、大石内蔵助により、浅野内匠頭の未亡人に仕える用人に12月14日の夕方に提出されました。

まさに討ち入りの直前。
会計の責任はお金の動きを記録し、それを報告することで果たされます。
藩政を預かっていた家老の最後の会計報告であり、これからなす「討入り」に至る顛末一部始終を記した報告なのです。

「忠義だけでは首は取れない。」
これは、本書の帯に書かれていた惹句です。
討入の成功は、彼らの行動を支える資金とそれを管理し適切に使用した大石内蔵助の財務的能力が不可欠だったということです。

されど忠義がなければ首は取れない

『預置候金銀請払帳』の収支の顛末はこのようになっています

金七両壱分不足 自分より払

七両一分不足したので私が払いました

7百両の軍資金をすべて使い果たし、もう資金的な猶予が無い、ぎりぎりのタイミングで討ち入りに踏み切ったということがわかります。

私はこの最後の一文を読むと涙がにじみます。
不満でぶうぶうと暴発しそうな浪士たちをなだめ、腰抜けのなんのという部外者のヤジを聞き流し、諸所の事情で離反していく仲間たちを見送った内蔵助の孤独はいかばかりだったか。

討入の動機については色々な説もありますが、内蔵助の苦難の道を支えた「何か」があったのでしょうし、その大きな根っこにはやはり主君への忠義があったのだと思います。
この文を書いて亡き主君の未亡人に提出した時、これで自分の責任は果たせた、と万感の思いだったろうな、と。

内蔵助、本懐を遂げて良かったね。
辞世の句、ほんとうに晴れ晴れとしているものね。

あら楽し思ひは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし

忠臣蔵、私はやっぱり好きだなあ。

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