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本は読み終えた瞬間から命が吹き込まれる📚

これは読書ができない人への文章だ。

読書というとどういう印象を抱くだろうか。かつて本を読まなかった僕からすると、もはやこの読書というのは苦行の極み。いちいち文章を読むことほど面倒くさいと思うことはなかった。特にこの夏、8月の終わりなんかは一冊の本を読んで感想を書くという読書感想文と呼ばれるものは何も書きようがないし、書き方も分からないし、何を書けばいいのかもわからず、適当に書くしかなかった記憶がある(もはやその記憶すら怪しいくらい拒絶していたと思う)。

そんな僕もまぁこうやって7年くらいずっと文章を書き続けているわけだが、最近本について考えることが増えた。個人的には本は所有しておきたい派。買って読んで、そのあとはメルカリとかブックオフで売るとかいうのはあんまり考えることがない話だった。自分が読み終えた本が棚に並んでいるのを見て、自己満足に浸る時間が好きだったのだ。

そんな中、なんでこうやって所有しておきたくなるのか少し考えてみる。もちろん、所有欲というのが僕らにはある。誰もが一度は経験してしたことがあるだろう、コレクションというやつがこの代表的な症状だ。僕自身も先ほど述べたように自分が読み終えた本が一冊ずつ棚に増えていくのは自分が積み上げてきた成果のように感じられて気持ちがいい。

捨てるとか売るとか考えると、随分と勿体ぶってしまう。ここで気付いたのが、本って読み終えると自分の子どものようなもののように感じるのである。じっくりと大切に長い時間をかけて読んだ一冊は、本当に特別な一冊なのだ。時間をかけたということは、それだけ自分の時間、つまり命をかけたということになる。命とはつまり時間でもあるため、時間をかけたということはそういうことだ。であれば、一冊の本には僕らの命が吹き込まれているはず、というのが僕の結論だ。命と同様にかけた時間がそこにはあり、それだけ愛着も沸くのである。

読めない、読みたくない、読む気がしない。そんな人は多くいる。何せ一ヶ月に読書をする人なんて、ほんとに少ないんだから。読む人の方が珍しい。でも、自分の命と同様に時間をかけた一冊一冊が棚に並んでいる姿を思い浮かべて欲しい。自分が読むことで吹き込んだ命がそこに形として存在しているのだ。証明があることがなんと嬉しいことだろう。

僕らは本と共存しない人生はない。学生時代から嫌でも教科書や参考書と向き合って来たのだから。今さら本のある人生を経験してませんとは言わせられない。

さて、読書が苦手なあなたにぜひ提案がある。近くにある一冊に命を吹き込んでほしい。時間をかけてあげてほしい。そして、あの紙に命を吹き込んであげてほしい。

(さっきブックオフで購入した中山先生の記念すべきシリーズ一作目)

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