見出し画像

1年間、死んでみた。

■あまりにもSNSが普及しているものですから…

令和4年5月27日に総務省が発表した「令和3年通信利用動向調査の結果」によれば、「SNSを利用する個人の割合は78.7%に達した」んだそうな。
10代、20代は9割越えだし、30代、40代も89.5%、87.3%と驚異的な普及率。
あれですよ、日本人が大好きな「みーんな使ってるもん!」のうち、これはもうほぼ「みんな」と言ってよろしいんじゃなかろうか?
しかもグラフを見ると、前年比で未だ伸びているという…すごいね、未だ伸びしろあるんかい。

もはや使っていない方が珍しい。それくらいSNSが当たり前になったこのご時世、どこかのSNSで、
「発信しないことは、存在しないのと同じ」
「今の時代、SNSやってないのは死んでるのと同義」
みたいな書き込みを見かけました。1年ちょっと前くらいのことです。
世の中の多くの人間たちによって構成されている「社会」に対して何も言わないのは、生きてないことだ、とか、
SNSでしかつながっていない人は、SNSへの投稿がなければ“あなた”の存在を覚えていない、とか。
なんか、そういうことらしい。

おぅおぅおぅおぅ、発信しないだけで死ねるだと!?
暇さえあれば死ぬことばっか考えている私にとって、これ以上手軽で簡単な死に方があるだろうか、いや、無い!
上等だコラ、死んでやろうじゃねぇか!

かくして私は1年前、正確には2021年4月2日のTwitter投稿を最後に、死んだ。

■死ぬための準備


死ぬと決めたら、つつがなく死ぬための準備が必要です。
私自身はSNSで投稿をしなきゃいいだけなので、自分のアカウントなんて無くていいのだけれど、仕事でリサーチやトレンド調査などを行う以上、アカウント削除はできません。
でも、死ぬなら死ぬで穏やかに死にたい。誹謗中傷や炎上やら、うっかりだって人間の業に触れたくない!
そのために不要な投稿が表示されないよう、以下の対策を行いました。

・Twitterの個人アカウントは、フォローしている人をミュートにした(プロレス団体公式以外)→プロレスマガジンに仕上がった
・Facebookも友達フォローを外した(プロレス団体公式以外)→プロレスマガジンに仕上がった
・Instagramもフォローしてるアカウントをミュートにした(プロレス団体公式以外)→プロレスマガジンに仕上がった

結果、私のSNSは、どこよりも早くプロレスの公式情報が集まるメディアとなりました(笑)
プロレスは、偉大です。

■死んでいる期間にしていたこと


さて、SNS上では私は死んじゃったので、その分の時間を、生きている方の世界での人間に集中しました。
ご近所さんとのおしゃべり、仕事で顔を合わせる人との会話。
言葉はリアルで合う人たちとのコミュニケーションのために使います。
とはいえ、ご時世がご時世だし、そもそも友達少ないし、1日中ほとんど人間としゃべらないこともありました。
でも、それは嫌いな人間と話す必要がないということだし、疲れる駆け引きに巻き込まれることもないので、とにかくメンタルが健全!
健康極まりない! 毎日とっても良く眠れる!

また、個人事業主としては、既にお取引していただいている人や会社さんに、口コミ“だけ”での紹介をお願いしました。
その結果、付き合いたいお客様とだけお取引できて、やりたい仕事だけをやっている状態になり、そんななのに過去最高売上を叩き出すことができました。
これは、モノを売ったりフォロワーが必要な人気商売じゃないっていう仕事の性質もあるかもしれません。
SNSだと、広く知られるけど、有象無象が集まってしまう。
でも、既にお付き合いのある会社さんならば、イコール現時点で付き合いたいから取引してるわけなので、その人の口コミで紹介いただくお相手もだいたい類友、良いお取引先ってカラクリですね。
雑音に振り回されることなく、素晴らしいお客様の仕事に集中できたことが、結果売上につながったのかもしれません。

■死んだメリット・デメリット


今日が7月14日なので、4月2日の命日はとっくに過ぎていますから、厳密にいえばもう1年以上死んでいます。じゃあ何故SNSを再開しないのかというと、死んでいる方が圧倒的に心地よいからです。
もうね、これに尽きる。
そりゃもちろん、現実の世界でも、無茶苦茶言われたり、理不尽な目に遭ったりはするけれど、自分の意志ひとつで嫌な人間と物理的に距離を置き、交流を断絶できるのは、SNSでのウザ絡みに比べればとても簡単です。
それから、死んでいる状態になると一切の承認欲求が不要になります。
何故なら死んでるからね(笑)
反対に、いかに目立たないように暮らすかが生きがいになって、ロイド・フォージャーばりのスパイ設定で過ごすのが楽しくなってきます。
(「ロイド・フォージャー? 誰やねん?」な方はこちら→SPY FAMILY

あとは、SNSだけで繋がっているような、以前の友人知人からの連絡はほぼ来ません。
これはもう、そんなもんです。
もし今、身内が私の訃報を投稿したとしても、誰かのポエム投稿に消費されてオワリでしょう。
本当に、そんなもんです。
誰かに思い出してもらえるほど、私は誰かの役に立っただろうか、誰かのために貢献できていただろうか。
そういう自己通信簿みたいなものがあぶり出されたような気がします。
思い出すに値しない人間なんだろうな、ってね。
けれど、死んでいる期間でも、私のことなぞを思い出して、そして連絡をくださる人が数人いたのです。
(宗教とネットワークビジネスとなんかの発表会の勧誘は除く(笑))
以前一緒に行った旅先を再訪して連絡くれたあなた、私の専門分野を思い出して相談してくれたあなた、とりあえず美味いモン喰った!と写真を送ってきたあなた、しつこく遊びに誘い続けるあなた方。
一切の損得勘定ナシに、ふとあなた方の脳裏を私がよぎれたのは本当に励みになりました。ありがとうございます。
彼らのことは今後絶対に裏切らない、何か困ったことがあったら、私なりに全力で助けたいと思っています。

■死んで手に入れたタフさ~メンタルヨワネスな人ほど死んでみたらいい~

SNSに投稿をしなくなって良かったことは、他者の反応があるかどうか、また他者はどんな言葉を浴びせてくるのか、気にしなくなれたことです。
自分がどう見られちゃってるかしら…なんて考える時間を、すべて他のことに回せるから、ちょっと1日が長くなったような気さえします。

それから、自分で、仕入れるべき情報、見なくていい情報を選別できるようになりました。
どこかの有名人が不倫していても、私のお給料に関係ないしね。
ただ、仕事柄、新型コロナ関連の話題やウクライナ状勢など、どうしても見なくてはならないニュースもあります。
そういう場合は、納品物として問題ない程度に仕上げたら、全部忘れる! 以上!
幸い、レギュラーで担当している番組は専門色が強く、むしろ世論をにぎわせてるワードは入れないでくれって要望だったのも救いでした。

私は、世の中の、理不尽なことに対する怒りが非常に強くて、自分でもそれが分かっているから、わざわざ怒りを拾いに行かないことで、メンタルを平静に保てていた気がします。

ちなみにデメリットとしては、ホットなトレンドについていけないことでしょうか。
見るとメンタルが死ぬコンテンツをまき散らしてそうって察知したから、コレコレって人とか、ガーシーって人が、いまだに何してる人なのか知らないし、カルメ焼きの型抜きがなんで流行ってんのか意味不明。
もっと言うと…オリンピックがいつ始まっていつ終わったのか知らなかったし、今年冬季五輪があったのなんて、先々月知った…(この辺りは本当に、人間不信が高まり過ぎててマジでテレビもSNSも観なかったので…)

良い悪いはさておき、強い刺激を入れなければ、心は安定します。
ついついSNSを開いては、どこの馬の骨とも知らない人間たちが発する心無い言葉に傷ついている人たちは、一度思い切って、死んでみてはいかがでしょうか。
インターネット上で見えていた繋がりを断絶し、自ら孤独状態を作ることは、デトックスというか、ファスティングというか、そんな感じです。…ダイエット?
この1年、一切の発信をしないことで、私は心臓の筋トレをしていたのかもしれません。

■これからのオツキアイ


死んでいる生活があまりにも快適すぎたものですから、今後ネット社会やSNSとどう付き合っていくか、正直考えあぐねているところではあります。

発信することは、イコール良いこと、ではありません。
発信すること、と、良いこと、は、ジャンル違いの全く別物。
発信することで、誰かに知られる、ビッグネームにつながる、といった、自分にとっての良いことが起きるかもしれませんが、それはただの結果論に過ぎません。

そんな中で、発信する意義とは何でしょう?
…明確な答えは未だ出ていないですが、もし私が発信するならば、それはどこかの誰かの助けになるようなものでありたいと思うのです。
明日のごはんを買うお金に困っている人間と、タワーマンションのゲストルームでハイブランドに身を包んでピンチョスつまんでいる人間たちが、同じ世界で生きている理不尽さに、
他国のボスの老害思考で日常を奪われ、命を脅かされ、祖国を追われるやるせなさに、
死ぬことばっか考えてる私でも、もしできることがあるなら…。


もしよかったら、あなたとSNSのオツキアイ方法を、教えてください。
読んでくださって、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

X日間やってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?