「焦り」の言語化に成功しちゃった。

私は毎日お風呂で考え事をする。

入浴はルーティン化されている為、 頭は暇なのだ。

ふと、焦りとは何だろうと思いつき考え始めた。

誰しもが、焦りを感じた事があるだろう。
しかし、焦りが何なのか、その正体を突き止めた人は、
少ないのではないだろうか。

目一杯考えた。頭フル回転。時間にして約10分。


答えは距離なんだ


自分が今立っている場所があります。
そこでは必ずやる事、又はやるべき事があります。

すると奴らが来る訳です。そう、焦りです。
奴らを表現する時、
"追われてる""迫られてる"と表現する。

本当に近づいてきていると考えて良いわけだ。
何故、焦りは近づいてくるのか。

やる事やってないから。

ただそれだけ。
今いる場所に突っ立ってるだけだからだ。
今いる場所で足踏みしているだけだからだ。

だから、焦りは近づいてくる一方なのだ。


じゃあどうすれば?



やる事やれば良い。単純です。
すると、今立っている場所から″前進"する。
一歩前に踏み出すのだ。

前進すれば焦りとの距離がどんどん離れていく
離れれば離れるほど良い。


離れていって生まれた距離。

これは余裕と呼ぶことが出来る。

そして、その余裕は、

心の余裕直結する。


焦りが無くなる事は恐らく無い。
人は感情の生き物であり、
人の感情の一つだからだ。

しかし気にならない程の距離を取ってしまえば、
焦らなくてもいい。

なぜなら、

心に余裕があるから。


その余裕を他の物事への時間にしたり、あるいは自分を休める為に使ったりする事が出来るようになるのだ。


しかし、
たまにチラ見する必要がある。

焦りが近づいてないか。

もしも、近づいてきているようであれば、
また、距離を取る必要がある。

やること、やらなければならないことが生まれた証拠だ。
しかしそれは、やるべき時が来ただけであって、

焦る必要はない。またやればいいだけなのだ。


こうする事で物事を要領良く、そして余裕を持って集中することが出来る。


これが焦りの正体。


と私は考えました。


最後に

すぐにこの考え方を自分の中に、落とし込む事は
難しいと思いますが、知っていると知らないとでは、
知っている方が、圧倒的に生きやすいと感じる。

お風呂から出ると、体もスッキリ、頭もスッキリ。

とてもいい湯でした。

そのお気持ちが私の支えとなり、励みになります。 ゆったりじっくり一緒に生きましょう。