「人生の構想書」を作る習慣

日経新聞の記事を読んでいて知ったことですが、アメリカの大学入試は、学力試験や高校の成績、課外活動の実績などが日本と同様に選抜のための資料となり、一見すると日本の大学と同じように見えるのですが、実は一つ大きな違いがあって、受験生に「エッセイ」を書かせ、その内容が場合によっては学力よりも重要視されるのだそうです。エッセイとは、日本語で言うと随筆ということになりますが、この場合、ある意味で志願理由書であり、実質はその生徒自身の「人生の構想書」なのだそうです。

自分は何者か。どんな経験によってどんなことを学んできたか。その結果、自分は社会や大学にどんな貢献をしたいと思っているか。つまり一度きりの人生をどんな構想で生きていきたいと思うかをストーリー仕立てで書くのだそうです。

これを、入試のときにはもちろん、普段の高校の授業の中でも書くようになっていて、アメリカに留学した経験のある多くの日本人が、このエッセイを書く作業が自分のキャリア形成に非常に役に立ったと振り返るのだそうです。

留学経験者の中には、日本の高校生とアメリカの高校生の一番の違いが、このエッセイ、つまり人生の構想を普段から考えているかどうかだと言います。

大人になる過程で、誰もが一度は考える「自分の人生って何か」ということなのですが、大事なことは、若いころからその時々の考えをいつでも人に説明できるくらいの状況で考えているということなのかもしれません。

埼玉県立高校の校長先生が、このことを知って自分の高校でもエッセイを書く力、普段から「人生の構想力」を身につけられるように、カリキュラムの見直しをしながら教育現場での変革チャレンジをしているのだそうです。

私自身のことを振り返ってみて、その時々に人生の構想をしっかり持っていたなどとは到底言えませんが、身の回りにいる若い人たちにはぜひ真似てほしいし、残りはそんなに多くありませんが、自分としてのこれからの生き方にも取り入れていきたい考え方だと思っています。

実は、今から二年ほど前に、勤めていた大企業で若いメンバーに「あなたにとっての幸せって何ですか?」「10年後にどうなっていたいですか?例えば誰々のようになっていたいというような目標はありますか?」という質問をしてみたことがあります。
100人以上に聞いてみたのですが、まず、ほとんどの人が突然の質問に面食らって答えに困ったというのが実態でした。少なくとも、その質問を待ってましたという人は一人もいませんでした。
実に様々な答えが返ってきたのですが、総じて言うとかなり身近なこと、現職場での手の届く幸せや目標についての答えが大半でした。現場の5才くらい年上の先輩を目標としていたり、漠然と世の中に役に立つものを作ってみたいというものだったり、家族の健康だったり、それらのことは決して否定するようなことではないのですが、ストーリーとして想いが宿っているものではなかったように思います。

このような質問を若い人たちにした理由は、さらに一年ほど遡って、勤めていた企業内で数名の幹部候補の若者を預かって、いっしょに将来の準備をするという仕事を引き受けたことがあったからです。

そのときに考えたことは以下の3つでした。

1. 高い目標を持つ、そのために外の世界で何が起こっているかを知る。

2. 自身の現状を分析する。目標と現状のギャップ、つまり、自分が知らないこと、自分には出来ないことを認識する。

3. 目標、現状から、自分自身の育成計画を立てる。

今回テーマにしている「人生の構想書」を作るためには、まさにこの3つのステップが必要なのだと改めて思います。前述の100人余りの若い人たちの例でいうと、まず1の高い目標、外の世界を知って大きな目標を立てるところから怪しげな状況だということです。

幹部候補の育成では、最初の二か月くらいをかけて、成功者、成功企業についていっしょに本を読み解いたり、成功体験者の話を直接聞いたりする機会を作ったこともあって、1の高い目標を持とうとするところはそれなりに出来たのですが、次の問題は、2の自身の現状分析、棚卸しのところでした。別コラムで「自分の知らないことは何かを知ること」について書きましたが、自身の棚卸しは意外に難しいと実感しました。

ただ、第三者が入って(この場合は私)、本人と何度かじっくり率直に話しをしてみると、意外に本音の目標、本音の自己分析が出来ることもそのときに経験しました。
要するに、「人生の構想書」を自己責任として押し付けるのではなく、学校、会社、あるいは家庭の立場で支援してあげることで、眠っている才能を後押ししてあげることはできるのではないかと今は本気で思っています。

「人生の構想書」は、人の育成や与えられた人生でなく自分自身で人生を切り開いていく、という教育論だったり人生観だったりするのかもしれませんが、このことはイノベーションを起こす、新しいコンセプトの製品やサービスを作り出すということにも通じるように思います。この類似性については、かなり具体的に考えているのですが、簡単に説明すると、1の目標は、顧客価値、ライルスタイルやワークスタイルをどのように変革するか、新事業であれば、顧客価値を高めることと同時にいかにそこで収益をあげて事業継続をしていくかということが目標になり、それに対して、自分たちが持っているもの、技術力であったり、経営資源であったり、外から持って来れるものを組み合わせてできるもの、レベルはどこかという自己分析があって、その目標と現状のギャップをどうやって埋めていくかという、開発計画が出来上がっていき、開発過程で起こったブレークスルーがイノベーションになっていくというわけです。

イノベーション、事業創出についてはまた別の機会でお話ししたいと思います。

コンサルの世界では、1の目標をTo be(あるべき姿)と言い、2の自己分析をAs is (現状の姿)ということになるのですが、To be、As isの考え方は、我々の生活、仕事、すべての場面で通じることで、人間が進歩、進化していくためには必要不可欠な本質的な考え方なのではないでしょうか。

安倍総理が2017年は働き方改革のスタートの年だと言っています。経団連の新年会でも多くの経営者が待ったなしだと言っています。

この話を聞くと私は、2009年ころにリーマンショックで多くの日本企業の景気が悪くなったころ、ワークシェアという言葉が流行ったことを思い出します。要するに、不景気で仕事が無くなってくる。けれども日本企業としては雇用を守りたい。なので、仕事を分割して分け合おうという考え方です。今はすっかり聞かなくなりましたよね。

今回の働き方改革、電通の問題などがあって、当然の方向として語られています。私も多様性のある働き方は必要だろうと思うのですが、同時に何か釈然としないものを感じます。
かつてのワークシェアも、今の働き方改革も企業経営者の都合だけで話が進んでいるように思えてなりません。
働く側の意思はどこにあるのでしょうか?

「人生の構想書」には、自分が望む働き方が本来入っていると思うのですが、そもそも「人生の構想書」があまり形になっていない現状が少し寂しい気がしています。

家庭、家族をもっと大事にしたい、なので休暇を増やしたい人、労働時間を減らしたい人、自分の生きがいとしてもっと仕事に没頭したい人、自分の能力をいろいろと試したい人、複数の可能性を追求したい人、いったいどれくらいの人が、どんな違う「人生の構想書」を持っているのか、金太郎飴ではない我々自身を我々自身の手で表現していきましょう。

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kamonk

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