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2023年夏休みの自由研究「日本的霊性の下敷き」

いつも攻めのマインドで
イノベーションを起こし続け
相手に勝ち続けること

そういう近代の資本主義パチンコ台マインドに結局は着いていけず、守ること、保つこと、和むことに長けている日本は30年の衰退を続けている(と言われる)

いや、そんなことはない。

古代から極東の島国として、負ける、逃げる、守る民を受け入れながら、戦わずに和する風土を醸成したこの島の「和を持って尊しとなす」精神は、縄文の1万6千年を下敷きにしているから根深く盤石。

動的平衡的に保存されて来た古代の精神性なのでこれからの世界では価値が高いはず🦆

仮説「日本的霊性の下敷き」を記す。

縄神儒墨仏の5つの下敷き(古い順に)
縄 自然をそのままに仰ぎ見る自然崇拝
神 浄不浄を問わず八百万の神々へ
儒 祖先崇拝を軸とした精神的な守りの型
墨 物理的守りの型
仏 統合して国体の素地となった古いけれど最新の日本的霊性

時系列の目次

①12000年前以前: 原始縄文
未だ理性と野生が分かれていなかった統合の時代 

②12000年前頃: 分離の時代
大洪水で谷が消え、海と山に分かれた分離の時代

③7500年前:
更なる分散とネットワーク化。鬼界カルデラの巨大噴火による海の縄文人の世界的分散

④倭人の数千年をかけた帰郷の物語
A スメラ系
B スンダランド系
C 徐福+墨家の亡命
D 秦氏の亡命

⑤西暦500年あたり: 継体天皇がA〜Dの亡命・帰郷の民(いわゆる渡来人)を政権中枢へ融合

⑥600年あたり:
聖徳太子と呼ばれる智慧の編纂グループが、古神道・景教・墨教・儒教・道教・仏教などを統合的に十七条憲法に明文化

⑦その後: 倭人→和の民が、土着の思想的下敷きの上で、八百万の多神教、縄文的自然観、祖先崇拝を咀嚼し発酵させ続けた

⑧今に至る:
京都は洛陽の都を無くなる前に文化ごと保存しようとした「秦氏」の1大事業の名残りを保存している可能性もありそう。1人の強い王が治める国ではなく弱い王達でもその下に、王を慕う集団や民が多くいる方が良いという思想も一緒に保存している。

故に、京都には、縄文も、古代中国も、古代西洋も全てが保存され発酵し続けている。

そして、また野生と理性が統合された原始縄文の時代が再来。すごろく的に言えば①に戻る。シュメールからの壮大なお土産話が祇園祭か。



①12000年前以前: 原始縄文
未だ理性と野生が分かれていなかった統合の時代 原始「縄文人」は高度な精神文明を持って長く平穏に暮らしていた。作られていた作物の多様性や、お酒仕込みの痕跡。塩作りや巨木建築など分かってきたことだけでも計り知れない智慧の宝庫。縄文土器はエクアドルでも見つかったとか聞くとその航海技術たるや。

漆の木の掻き方が現代を全く同じだということが化石から分かったという漆作家の山岸さんの言葉は、それだけで縄文の高度さが証明されているように思いました。しかも、今以上に精神的な位置付けでも活用されていたという直感もあるそうです。さもありなん。

②12000年前頃: 分離の時代
大洪水で谷が消え、海と山に分かれた分離の時代。分離は分離を生み、国が分かれ、族が別れ、争いが生まれた。

南に逃げたスンダランド系、日本列島に上がった縄文系、大陸の奥へシルクロードを通り入り込んだスメラ系。どれもが数千年かけて少しずつ戻って来て「ヤマト」に吸収されていった。

③7500年前: 更なる分散とネットワーク化
海の縄文人の世界的分散
鬼界カルデラの巨大噴火により南日本の縄文人は更にまた三方に逃げた。東北の山に、西の大陸に、南の海に。倭人含め、海の民の入れ墨は海の害獣から身を守る自然との同化策というので、その後の大陸に出現した「墨家」のルーツは木の加工に長けた縄文ルーツの海の倭人か。

④倭人の数千年をかけた帰郷の物語
A スメラ系のアマテラス系が精神文化を逆輸入(対馬の太占神社の立て札に「遠い昔、この島から大陸に渡っていったヒタカミの占いの技術は、この島を通って日本に帰って来た」と書いてあったことを思い出す。)

B スンダランド系のスサノオ系が華南をペースキャンプに、稲作、建築、治水、製鉄などの技術文化を輸入。同時に過剰な農耕と共に森が失われて戦乱がやってくることを知っていたから、生態系バランスを崩さない文化を日本に注入しようとしたスサノオ。文明よりも文化を、と植樹して回った。受入側の縄文王国も、なるべくゆっくりと稲作を取り入れていった節がある。

C 徐福方士※(儒教の原始的な形を護っていた原儒の末裔か墨家の思想集団か)+ 墨家の技術集団(百工)が、共に秦から逃れて日本に。様々なルートで上陸し、世代を超えて落ち合った。徐福伝説。

後の遣唐使でも難破しまくる日本海を何隻も渡らせた丈夫な船を作る技術は、そもそも海の倭人(縄文の末裔)が墨子の祖先である可能性を少し裏付ける。14世紀以降の倭寇はバイキングがキリスト教から逃げて日本列島の海の民に合流した説はまた別の話。

※方士
中国古代の祭祀、祈祷、卜占、呪術、占星術、不老長生術、煉丹術、医術などの神仙方術を行って禍を除き、福を招き入れる能力を持ったヒト。王室進言できる位。その技術は元々、東北縄文王国「ひたかみ」(北上川の川縁)にあったと、対馬の「太占神社」の立て札が伝える。

D 秦氏の亡命 洛陽の都の保存
景教🟰キリスト教ネストリウス派で、大陸から秦氏を通じて輸入された。隠された十字架。
秦氏が造った渡月橋の葛野大堰は、中国の都江堰とそっくりだそうだ。景教の中国のお寺群は大秦寺とかいうので、秦河勝さんとかの「太秦」は可愛らしくチョン入りで後世へのメッセージが分かりやすいと思う。ネストリウス派は、キリストを神の子というより、人性と神性に分けて、マリアさんを神の母でなく「人」とした為、異端にされたと、あくまでも一点に磨きあげる西洋文明から弾き出された感が興味深い。そういうの全部、日本列島に持ってきたら分解された後に他の思想と一緒に熟成されるから。

景教にも影響を与えたと思われる、ミトラ、マニ教、ゾロアスターの日とか火とかの信仰すら、縄文太陽信仰の逆輸入と捉える見方でいきます。

⑤継体天皇がヤマトの国体を継ぎ、A〜Dまでの古代縄文人の帰郷者達(亡命者・渡来者とされていた)を政権中枢へ融合

⑥聖徳太子と呼ばれるグループが、墨家の編集部隊さながら景教・墨教・神道・仏教などを統合的に明文化したのが17条の憲法。厩戸のミコトとは、景教(400年代に異端とされた古代キリスト教ネストリウス派)の継承も意味している。ネストリウス派は、キリストを神の子とだけ盲信せず、人の部分と神性が統合されたものとし、マリアを神の母とせず、1人の女性とした。キリストの母を人とすることで異端視することに西洋文明がいかに結晶させ一点に向かって磨いていく力を強く働かせるか。日本に来たら多神教の中に紛れて分解され、統合されていく。日本は分解と発酵による保存の島。

聖徳太子の十七条憲法の第一条

「一に曰く、和を以て貴つとしと為(す)。忤(さか)ふること無きを宗(むね)と為(す)。人皆党(たむら)有り、亦(また)達(さと)る者少なし。是を以ちて、或いは君父に順(したが)はず。乍(ある)いは隣里に違へり。然るに上和(やわ)らぎ下睦(むつ)びて、事を論(あげつ)らふことに諧(かな)ふときは、則ち事理(じり)自(おの)ずからに通ふ。何(いずれ)の事か成らざらん。」

●意訳
「和を大事に考え、争わないことを第一としよう。人は誰しも気の合う仲間を作りたいものだし、頭の本当にいい人なんて少ないでしょう?だから、物事を決めてる人達に無闇に反抗したり、身近で仲違いもする。でももし、上にいるものがリラックスし心を開き、下のものもそれを慕い、双方が素直に言葉を尽くせるのならば、どんな物事でも道理に従って自然にうまくいくように出来ているのですよ。

十七条の憲法で上と下を合わせにかかったのは、渡来人の末裔を土着に組み込む方便でもあったかも知れないが、それが更なる日本的なものを確立していった。祖先崇拝、縄文的自然観、八百万の多神教。

墨家十論と十七条から政治的思惑を引けば多分結構付合しそう。
兼愛 非攻 尚賢 尚同 節用 節葬 非命 非楽 天志 明鬼

⑦負けたり、逃げたり、平和を求めたりした祖先と、土着の民が「日本列島」という自然災害が多くも美しい四季を持つ風土の中で、豊かに平和に暮らせるように守られてきたのが今に残る日本文化の根っこ。

遺伝子は移民との混血で多様化したが、ひとたび日本の地に暮らすと、風土、言語、季節、美意識に染まり馴染み日本人へと発酵していった。八百万の多神教、縄文的自然観、祖先崇拝。これらを咀嚼したら世界的価値を帯びる時代かも🦆

権力や富の集中とトップダウンの国造りを避け、和して出来るだけ公平性の高いボトムアップの国造りを目指した地球人のグループの集合体が日本。京都は、それを包み隠さず、一番の公のもの=祇園祭とすることで守って来たのかも知れない。

京都: 洛陽の都を移管しようとした「秦氏」の事業だった可能性。シルクロードを総括したモチーフを持つ「祇園祭」。皇祖神アマテラスと対抗するスサノオを祀る「八坂神社」。1つの強い王が治める国ではなく、弱い王でもその下に支える集団や民が多くいる方が良いという思想を保存している。京都には、縄文も、古代中国も、古代西洋も全てが保存され発酵し続けている。

海を濾し器としてエキスが注入され、混じり合い発酵していく。そして、また野生と理性が統合されていく時代が来ている。京都は野生を分母とした理性の都。

「祇園祭は、相変わらずであることこそ、おめでたいのですよ」杉本秀太郎

相変わらずである為の絶え間ないイノベーションを起こす京都は、動的平衡の都。変わり続ける都であるが故に様々なものが保存され守られている。

過去現在未来が「今」に込められている。まず、祖先となり、まず小さなものとなり、意識となる。祖先崇拝、八百万の神、縄文精霊信仰は、結局自分の前と後のこと。

2023年の自由研究の結論として日本的霊性の下敷きには、縄神儒墨仏がある程度順番に敷かれていると考えました。

縄 自然をそのままに仰ぎ見る自然崇拝
神 浄不浄を問わず八百万の神々へ
儒 祖先崇拝を軸とした精神的な守りの型
墨 物理的守りの型
仏 統合して国体の素地となった 日本的霊性

土着民、移住者、統治者
そのどれもが戦いを避けて
四季の豊かさ、災害の軽減を
志向すると、全員がベストを
尽くして美味しいものを食べつつ
みんなで生き残る思想となる

負ける、逃げる、守るの末に、戦わずに和する

「大変な時に来ちゃってごめんね」
「お互い様だから別にいいよ」
と風土的な下敷きにさえ馴染めば
どこから来ても受け止める民が
この島にはいる

保存する島 発酵させる民 日本

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