〜もう死ねない〜移住1ヶ月で変わった価値観
こんにちは!Kanaです。
栃木に移住して1ヶ月ほど経ちました。
自分の中で大きく変化したことがあったので、残しておこうと思います。
それは
「今はもう死ねないな」と思うようになったことです。
わたしは人より「死」に触れる機会が多くて、
生きたくても生きられなかった人がいることを知っています。
その上で、今回「死にたくない」から「生きたい」と価値観が大きく変わった話をしていきます。
いつ死んでもいい
わたしは小さい時から「死にたがり」な子でした。
親がクリスチャンだったからか、「あなたは死んだら天国に行くのよ」と言われ続け、人より死ぬことへの恐怖がないまま育ちました。
むしろ「死ぬことは救い」であり、「楽園に行ける=楽になれる」という価値観を作られました。
だから、小学生になっていじめに遭うと「もう死んじゃいたい」そう言うことが増えました。
本当に死にたかったわけでなく、死にたいくらい辛かっただけですが、
それでも何かあれば「死にたい」「消えたい」と思ってしまうような人生でした。
そんな死生観を持っていたように思います。
そもそも人を亡くす体験が多くて、幼いながらに色々悟ってしまっていた部分もあります。
3歳の時、初めておじいちゃんが急にいなくなっちゃったこと。
12歳くらいで初めて棺桶に眠るおばあちゃんをみて号泣したこと。
それからも友達のお母さん、叔母さん、同級生の死もありました。
「本当に人はいつ死ぬかわからない」と思っているし、
「わたしも消えてしまいたい」と落ち込むこともあれば、
「精一杯生きてやる」と息巻いたこともあります。
要は、わたしにとって「死」は身近なものだということです。
今はもうそんなこと言えない
でも今回移住して、
本当に体調が悪い時があって、
背中と胸の辺りに激痛が走り、全身から変な汗が出て、苦しくて。
「あれ?わたし死ぬのかな?」
そう思った時に、
って思ったんです。
これはわたしにとって、すごく大きな変化でした。
先ほど書いたように、今までそういうことがあっても
「お、ついに死ぬのか。悔いはないぞ」みたいな・・・
心の底から「いつ死んでも問題ない」という諦観のような思いがあったので、
と受け入れモードでした。
それが、今回は移住というわたしの夢に夫を巻き込んだ責任感からか
「ここでわたしがいなくなったら、どうするんだろう」
「いや、もう死んでる場合じゃない!なんとか生きなければ」
と思ったんですよね。
いや、むしろ「もう死ねない。生きなければ」
とある種の使命を見つけたような気持ちになりました。
根本にある「人はいつ死ぬかわからない。だから悔いのないように生きよう」という死生観は変わらないのだけど、
消えるという選択肢を持つことで、一回逃げてもいい、と思っていた部分が無くなって
「生きるしかない、じゃあどうしようか」
と思うようになりました。
(これちょうどこの前読んだハイデガーの思想とドンピシャな体験だったんですよね。そのこともまた今度書きたいと思ってます)
今回の経験を通じて、
より「生きる」ということに目が向いたように思います。
日頃からジャーナリングしていると「今を生きる」という意識は生まれてきますが、「今をどう生きるか」という
いわゆる「生き方」の部分にももっと目が向いてくる感じです。
消えるという選択肢がなくなると、「こんなに辛いのに生きなければいけないなんて地獄だ!!」みたいに苦しくなると思っていました。
だから「最悪消えてもいい」と逃げの一手があることで、結局は復活できるというルーティンになっていたんだと気づきました。
でも、変わりました。
その選択肢がなくても、復活できるさらに最強のわたしになりました。
わたしはもっと自分の人生を夢中になって生きていきたい。
今まで掲げていた「自由にわがままに生きる」って、
何かに邪魔されてる場合じゃない!!
わたしはわたしの人生を生きることに必死だから
ってことだったのかもしれません(笑)
また少し発信のコンセプトも変わっていくかもしれませんが、ぜひ読んでいただき、反応してもらえたら嬉しいです✨
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今日の話があなたにとってお役に立てれば嬉しいです❤️
スキとフォローが励みになります♪
▼Kanaのホームページ
▼Kanaと話してみたい!と思ってくださったらLINEから
▼一番Kanaのことを知ることができるのはここ!
サポート嬉しいです!いただいたお気持ちは文鳥カフェ開業のために有効活用させていただきます✨